例えば、畑で作るもの。
根菜、葉菜、果菜にかかわらず、生育される地べたが国土内にあればその収穫は日本人の成果物となります。
仮に沖ノ鳥島にイモを植えて育ったとしたら当然それも日本人の財産です。
竹島に大豆を植えた場合は・・・かなり微妙な判断でしょうが、何を言いたいかというと、主権の及ぶ国土から得られるものは当該国のものということが明らかだということです。
陸上の畜肉のほとんどは囲われた環境で肥育しているので、やはり野菜と同等のものでしょう。
では中央アジアの遊牧民の羊が国境をまたいだときはどうなのか・・・そんなこと知りません、羊に聞いてください。
これらに比べて水産物というのは線引きからしても、その資源量にもあいまいなところが多く、各国の利害調整は難しいところのようです。
4月1日の誌面トップ(毎日新聞)は、「南氷洋(南極海)の調査捕鯨中止」。
最近のニュースも矢継ぎばやで追随するのも大変なのです。
消費税については比較的シツコく報道されていましたが、STAP細胞疑惑、集団的自衛権解釈、クリミア問題とか、「酉の市の熊手」を買うために8億円借金した方のこととか、日替わり的に出てくるものの中、
「そんなのどーでもいいじゃん」ランキング上位になるであろう「くじら」問題。
何を隠そう、2012年11月、12月に渡って「くじら」大特集をブログで連載し、その後何もなかったように沈黙して早や1年半近く。
それでも「くじら」に対する思慕は途切れることはありませんでした。
やっぱり「調査捕鯨」という「詭弁」には無理があったのでしょうね。
南氷洋からの撤退やむなし。今後北西太平洋の「調査捕鯨」、沿岸捕鯨への影響も懸念されます。
だけれど、捕鯨船に対する「シーシェパード」とかの操業妨害(テロ)は、あまりある所行ですし、それを黙認というより奨励しているかのようなオーストラリア政府の態度は不愉快です。
今後「オージービーフ」食べてやりません。「カンガルー」も食べてやりません(食べたことないけど)。
オーストラリアの主張のひとつ。
科学的研究、調査といいながら、実質商業捕鯨なのであると。
確かに「調査捕鯨」の「副産物」が流通しているのは事実です。
でも国際的に「白を黒」、「黒を白」と言い換えることってザラではありませんか。
日本の「くじら」製品の産業規模からして「白を黒」と言いきるまでにはいかないのでは。
「白猫でも黒猫でも鼠を獲る猫が良い猫だ」と言った鄧小平氏の懐の深さを理解すべきです(ちょっと違うかな)。
日本の伝統文化として確立しているかは、やや心細い感じです。
けれど、個人的にも思い入れのある「くじら」ですから末永くあらんことを。
そこで私も微力ながら「くじら製品」をあれこれ購入してお役にたちたいと思います。
でも心境複雑です。「くじら」を買えば買うほど「商業」を裏付けることになりはしないか。
巨大な「くじら」に比して余りにも微視的な煩悶であり焦燥でございました。

