軍靴轟く | moritaのブログ

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在沖縄米軍の基地問題について、先行きの見えない深刻さは一向に解消できる目途がたっていません。

今日の毎日新聞社説では新任防衛大臣への課題を指摘していましたが、一朝一夕に打開できることではないでしょう。


我が国の自衛隊には、かつて名実共に「軍隊」であった頃の遠い系譜が残されていますが、基本的には、昭和20年、敗戦により、皇軍は廃止解体され、歴史はそこで分断した、というのが大方の認識だと思います。

在りし日を知る方も高齢になり、風化の度合いも加速度を増すのかもしれません。

私も含め、戦争を知らない子供たちとして育った者は、戦争の直接体験を伝承する先考や同時代、同世代の方々の言葉や、史料、痕跡を守っていく義務を忘れてはいけません。



千葉市も「軍都」と呼ばれていました。

軍都は全国津々浦々有れど、そのうちでもかなり大規模なものであったようです、網羅的に述べる知識はありませんが、いくつか現存する「遺跡」に遺る面影を訪ねてみました。


軍が拠点を設けるということは、軍需物資の生産や輸送など関連機能が近隣に集まることでもあり、将兵に加え、その家族も移住してくるのであれば、民生の活性化、住居需要、生活に必要な商店、教育施設も必要とされます。

家族を持たない兵士のために、遊郭も随分賑わっていたようです。


街の中に奇妙な建物が、体育館?銭湯?


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陸軍気球連隊の気球の格納庫です(作草部1丁目)

この部隊は、太平洋戦争後期、風船爆弾で米本土を爆撃するという作戦に参加しているそうです。

遺構は今でも現役の倉庫として利用されています。


手前の4階建てのビルより背が高い大きな建物です、残念ながら中がどうなっているか見たことはありません。


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千葉公園という大きな公園の中に、陸軍鉄道第一連隊の遺跡がいくつか遺されています(弁天3丁目)


当時、中国大陸、特に旧満州に覇権を狙っていた陸軍は、鉄道を兵や軍需品輸送の重要なインフラと位置づけ、明治期からの鉄道大隊の規模を拡大してこの地に重要拠点を設置していました。

任務は、鉄道の建設、運用、保守、また、敵の鉄道破壊など。

大正期のシベリア鉄道の占領、昭和に入って満州事変、日中戦争での活動。

装甲車に鉄道台車を取り付け行けるところまで行き、車輪を交換して自走兵器にするという研究もされていたそうです。


千葉公園は、千葉競輪場のすぐ隣、丁度競輪開催日でした。


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架橋訓練用橋脚の跡。


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演習線のウインチ台。


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演習用隧道跡。間近で見ると国策をかけた本気度がわかります。


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真横から見たところです。


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興味のない方にとっては、いずれもコンクリートの固まり、でもオブジェではありません。

聞きかじりでも構いません、これらを構築した時代の空気をいくらかでも知ったうえで見て頂きたいものです。


でも、いいかげんもう読者が去っていきそうなので、公園内の花菖蒲も観賞しておきましょう。


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皆さん、アヤメとカキツバタと花菖蒲の違いを見分けられますか?

アヤメは花弁に網目模様が有り、乾いた場所で育ちます。

一方、カキツバタは水辺に育ち、スッと一本の白い線が入っています。

花菖蒲は湿地にあって、花の付け根が黄色く色づいています。

咲いているのは三日間だけ。

花菖蒲は武士(もののふ)の花だそうです。


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閑話休題


住宅街の一角に有るのは、鉄道大隊記念碑(椿森2丁目)。

篆額は参謀総長大山巌元帥、碑文は巌谷一六の書、井上仁郎中佐の撰文、すごいものです(参考書の受け売り)

碑の裏には、北清事変(義和団の乱)のとき本隊が動員され、保全された鉄道路線(北京~塘沽)が描かれています。


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以前大和姫呂未さんが学園祭ライブをおこなった敬愛大学のすぐ裏手に、円周状に曲がった道が有ります(穴川1・2丁目)、鉄道連隊の材料廠の外郭道路だったもの。


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轟町という地名は、戦車や軍靴の音が轟いていたところから名付けられたと言われています。


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最後は、平和の礎碑(天台1丁目作草部公園内)。

ここには、陸軍歩兵学校が有り、大正元年より歩兵戦術の運用研究と普及を進めていました。


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碑の由来から一部抜粋します。

- われら本校ゆかりの者は深く現況を嘆きこの地に旧軍練成乃中枢的機関が存在した事実を後世に伝えるとともに先人の功績をたたえあわせて建軍の目的が日本国乃興隆と世界平和維持にほかならなかったことを広く国民に理解されんことを願い財を集めてこゝに記念碑を建てたものである

昭和三十九年十一月吉日 陸軍歩兵学校由縁者建之