永井荷風の『葛飾土産』(岩波文庫『荷風随筆集(上)』)は何回読んだでしょうか。
戦前、ずっと東京に住居を持ち、ほとんどが独居で東京中をくまなく歩み尽くした荷風の、つぶさな足跡は、日記『断腸亭日乗』に譲りますが、昭和20年3月10日の東京大空襲で、約25年居住した「偏奇館」(今の六本木一丁目、泉ガーデンタワーのあたり)を焼け出され、数か所を点々とした後、住み家に選んだ(やむを得ない事情もあり)のが、葛飾菅野(すがの)というところでした。
葛飾というと、多くの人は東京都葛飾区をイメージされると思いますが、元々「葛飾」という地名は、東京、埼玉、千葉、茨城にまたがる広域な呼び名であり、荷風が言う「葛飾」も、今の千葉県市川市、船橋市を指しています。
根っからの東京人である荷風が、葛飾の地に移ってきたときの気持ちはいかばかりであったでしょうか。
比ぶべくもありませんが、私も東京人を捨てて千葉の新興地に引っ越したとき、随分田舎に来てしまったな、と正直思いました。
そんな荷風が、この名随筆を著わしたのは昭和22年、『断腸亭日乗』には、1月26日、と或る村道を歩いていて、古石碑と古井戸を発見します、石碑には大田南畝の碑文が刻まれていました。これが「葛羅の井」です。
西船橋に用事があったついでに、久しぶりに葛羅の井を見にいきましょうか。
ターミナル駅と言ってもいいJR西船橋駅から歩いて15分くらい。
途中、京成線の踏切を渡ります。今は「京成西船」駅になっていますが、荷風が歩いた頃は「葛飾」駅でした。随分誤って下車した客が居たことでしょう。
それでも、伝統的な駅名を尊重してかのことか、駅標示には「旧葛飾」と記されていましたが、いつのまにか消えてしまったようです。
「業平橋」駅が「東京スカイツリー」駅になったように、駅名はただ分かりやすければ良いものと思いませんけれど。
車がすれ違うのも苦労するような道路、中山競馬開催日にちょうど抜け道になるので結構人通りの多くなる道です。
目印は路傍の大樹、荷風は「榎」と書いていますが「欅」です。
周囲は住宅が密集し、ちょっと住居不法侵入するあんばいです。
数歩奥にわずか1坪くらいの池があり、金魚がのんびり泳いでいます。
これが、南畝の石碑です。
もうひとつ、荷風の小説をご紹介。
『買出し』(岩波書店『荷風小説』第七巻)という短編。
葛飾の情景、米、芋を買出しに来たかみさんと婆さん。空襲や戦後の苦労を語り合う、曼珠沙華の咲く秋の小春日和。
生きていくのにやっとだった頃の、清濁云々ではない人間が描写されています。
この場面は、荷風の創作でしょうか、実体験だったのでしょうか。
帰路、チチッと啼きながら眼の前を横切る鳥がいました、ツバメです。
そばの古びたビルの軒裏に巣があり、子供ツバメが数羽騒いでいました、5月ももう下旬です。






