スティーブ・ジョブズ氏の有名な伝説のスピーチを紹介します.人生には,入学,就職,転職,転勤,起業,厳しい挑戦や試練など,幾多の節目があります.スティーブ・ジョブズ氏は,どの節目にも当てはまる人生で起きるあらゆる要素を語ってくれます.心に残り,生き抜くヒントとなる動画と記事です.

 

スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ動画,スピーチの英文原稿,日本語訳(和訳),わたしの感想の4つの構成になっています。すでに多くのみなさんの翻訳が存在するので,いまさらと思いましたが,改めてわたしの視点で翻訳を試みました.

 

数多くのブログの中から、ご訪問くださり、

ありがとうございます!

 

目次(ページ内リンク)

「スティーブ・ジョブズ」

伝説のスピーチ、

何かを感じ、ヒントを得てほしい、ただそれだけです!

 

はじめに

 

1.「スティーブ・ジョブズ」伝説のスピーチ【動画編】

(1) 日本語字幕入り
(2) オリジナル版(英語のみ)
(3) 英文字幕入り

「スティーブ・ジョブズ」伝説のスピーチ【原稿全文】原文(英文)と日本語訳(和訳)
(1) 点と点を繋げる
 大学中退とその理由
 複雑な家庭環境と生い立ち
 大学でのある授業との出会い
(2) 愛と喪失
 Apple社の設立とMacの開発
 点と点が繋がる瞬間
 成功とApple社からの追放
 仕事への愛と再起
 Apple社への復帰
 人生を充実したものにするには
(3) 「死」について
 死を覚悟して生きる
 決断を下す最大の武器
 死の宣告と生還
 自分の心と直感に従う勇気

3.スピーチを観て、聴いて、翻訳して、わたしが感じたこと

あとがき&追記(2022.2.7)

 

 

はじめに

 

当初、自分の考えを書こうと、冒頭にとても長い文章が存在しました。しかし、スピーチ原稿を翻訳していくうちに、メインはわたしではない、現在、伝えたいのは、まさにこのスピーチそのものだという直感を得ました。

 

わたしは素直に心の声に従いました。

 

これから紹介するスピーチはとても有名であり、ご覧になるみなさんの中には、すでにご存じのかたもいらっしゃるかもしれません。

 

わたしは、このスピーチから何かを感じて、考えてほしい、もっと簡単に言えば、ヒントにしてほしいただそれだけです。

 

 

1.「スティーブ・ジョブズ」
伝説のスピーチ
-動画編-
 

◆動画は3パターン用意しました◆

 

ひとつは、日本語字幕入りのものです。

 

もう一つは、オリジナル版で英語のみのものです。

 

最後は、英語を学習されているみなさんに向けて、英語の字幕入りのものです。

 

 

【日本語字幕入り】

 

【オリジナル版英語のみ】

 

【英文字幕入り】

 

 

 

2.「スティーブ・ジョブズ」

伝説のスピーチ

-原稿全文編-

(英文と日本語訳)

 

◆こちらにはスティーブ・ジョブズ氏のスピーチの原文(英文)と日本語訳(和訳)です。原文と日本語訳を交互に配置しました。

 

スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ原文の日本語訳(和訳)は、わたしなりの解釈で翻訳していますので、動画の日本語の字幕とは異なることをご理解ください。

 

 

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチ原文と日本語訳

 

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I’ve ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That’s it. No big deal. Just three stories.

 

今日、世界屈指の名門大学、スタンフォード大学の卒業式で、みなさんの前に登壇することができ光栄です。わたしは大学を中退し、実をいうと、大学の卒業式をこんなに間近で体験するのは初めてです。これから、わたしは人生で学んだ3つの話を皆さんに紹介します。そんな大げさな内容ではありません。たった3つの話です。

 


The first story is about connecting the dots.

 

最初の話は、点と点を繋げるという話です。

 

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

 

わたしはリード大学に入学して半年で退学しました。しかし、退学したものの、その後1年半、大学に在校生のふりをして通っていました。なぜ、退学の道を選んだのでしょう?

 

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.

 

話は、わたしが生まれる前にまでさかのぼります。わたしを若くして生んだ母は、当時、未婚で大学院生だったので、わたしを最初から養子に出すと決めていました。その際、生みの母は、養親となる夫婦が大卒であることを養子縁組の条件としていました。そこで、ある弁護士夫婦に養子に出すという話になったのです。ところが、わたしが生まれる直前になって、弁護士夫婦が女の子を希望したので、その話はご破算になってしまいました。

 

 

So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: “We have an unexpected baby boy; do you want him?” They said: “Of course.” My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.

 

それで、養子縁組の順番待ちをしていた後にわたしの育ての親となる夫婦に真夜中、電話がかかってきました。「引き取り手のいない男の赤ん坊がいます。養子縁組をしますか?」と聞かれ、「もちろん」と夫婦は答えました。後で生みの母は知ったのですが、その夫婦は妻が大学中退で、夫が高校すら出ていませんでした。そんなわけで、生みの母は養子縁組の書類へのサインを拒否しました。養親となる夫婦、つまり育ての親がわたしを将来、大学に進学させることを確約してくれたので、数か月後、生みの母は養子縁組の書類にサインしました。これがわたしの人生の始まりでした。


And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents’ savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn’t see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out.

 

17年後、わたしは約束どおり大学に進学させてもらいました。しかし、世間知らずのわたしは、スタンフォード大学に匹敵するくらい、とても学費の高い大学を選んだので、一般労働者に過ぎない両親が蓄えてきたお金のすべてが、学費へと消えていきました。半年後、わたしは大学に価値を感じなくなりました。というのも、自分の将来を思い描くことができず、その答えを大学が導いてくれるとも思えなかったからです。

 

And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn’t interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

 

このまま在学していては、両親が必死で稼いだ全財産を食いつぶしてしまいます。そこで大学を退学することにしました。退学しても、なんとかなるさと信じていました。そうはいっても、当時はかなり不安でしたが、今考えると、退学は、最良の決断だったと言えます。退学した瞬間から、わたしは興味のない必修の授業にでる必要がなくなったので、もっと興味を惹く授業に潜り込むようになりました。

 


It wasn’t all romantic. I didn’t have a dorm room, so I slept on the floor in friends’ rooms, I returned Coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

 

おもしろい話ばかりではありません。わたしには住まう寮がなかったので、友達の部屋の床で寝ていました。コーラの空き瓶を集めてお店に返して5セントを稼ぎ、食費に充てたりしたり、毎週日曜日にはハーレ・クリシュナというヒンズー教の寺院で夕食をもらうために、11キロも歩いたりしました。その夕食は大好きでした。大学に居座り続けて、わたしの好奇心と直感に従って、偶然、学んだ多くは、後に非常に価値のあるものになりました。その一例を紹介します。

 

 

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn’t have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture, and I found it fascinating.

 

当時、リード大学には、国内最高ともいえるカリグラフィ(西洋書道)の授業がありました。学内のポスターや、引き出しのラベルは、すべて美しい手書きの字でした。わたしは退学したので、必修科目の授業にでる必要がありません。そこで、カリグラフィの授業に入り込んで、美しい字の書き方を学ぶことにしました。「セリフ体やサンセリフ体の書体」、「文字と文字の字間調整」、「美しい書体のデザインが、どうしてこんなにもすばらしいのか」について学びました。カリグラフィは美しく、歴史があり、科学ではとらえらることができない芸術的な繊細さがあり、そこにわたしは魅了されたのです。

 

注釈:セリフ体とは日本の書体で言えば明朝体にほぼ相当します。サンセリフ体は同様にゴシック体にほぼ相当します。

 

 

None of this had even a hope of any practical application in my life. But 10 years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.

 

カリグラフィの授業で学んでいた当時、これがわたしの人生で本当に役立つとは思っていませんでした。ところが10年後、初代マッキントッシュ・コンピュータを開発するにあたって、あのとき、学んだすべてが頭に蘇ったのです。すかさず、そのすべてをMacに取り込みました。おかげで、初代Macは美しい書体を備えた最初のパソコンになりました。大学でカリグラフィの授業に巡り合っていなければ、Macに数多くの種類の書体と、フォントの美しい字間調整する機能は存在しなかったでしょう。

 

 

And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backward 10 years later.

 

WindowsはMacをそのまんま真似た代物だったので、Macにこうした書体や機能がなければ、同じものはできなかったでしょう。大学を中退していなければ、カリグラフィの授業に出会わなかったですし、美しい書体を搭載したパソコンも世に出ることはなかったでしょう。もちろん、大学に残っていたときは、点と点の繋がりを予測することなど不可能でした。しかし、10年後、振り返ってみると、その繋がりがとてもはっきりと見えてきたのです。

 


Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

 

繰り返しますが、点と点の繋がりは予測できません。あとで振り返って、初めて、点と点の繋がりに気づくことができるのです。今、みなさんが大学で学んだことが将来、点として、どこかに繋がると信じてください。何かを信じてください。自分の直感、運命、人生、業(カルマ)、何でも構いません。この生き方は、これまでずっと、わたしの期待に応えてきてくれました。点と点が繋がった結果として、わたしの人生は有意義ものに一変したのです。

 

 

My second story is about love and loss.

 

2つ目の話は、「愛と喪失」です。

 

I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4,000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started?

 

わたしは幸運にも若いうちに、愛する仕事を見つけることができました。20歳のとき、実家のガレージでウォズニアックとApple社を設立しました。わたしたちは懸命に働き、たった二人だけだった会社を、10年で4000人の従業員と20億ドルを売り上げる大企業に成長させたのです。 そのまさに前年、最高の自信作、初代Macintoshを発売しました。翌年、わたしは30歳を迎えますが、Apple社から追放されることになります。どういう経緯で、自ら創業した会社から追い出される結果になったのでしょう?

 

 

Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

 

わたしはApple社が成長するにつれ、わたしと共に経営に携わってくれる有能だと思った人物を招き、取締役に据えました。最初の1年くらいはうまくいきましたが、将来へのビジョンが食い違い、亀裂が入るようになりました。その亀裂が決定的になったとき、取締役会は、このわたしではなく、わたしが据えた取締役を支持したのです。その結果、30歳でわたしはApple社を去りました。世間のだれもが知るお家騒動でした。20歳から人生のすべてを捧げてきたことを失い、絶望のどん底に突き落とされました。

 


I really didn’t know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down — that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.

 

Apple社を去ってから、数か月は途方に暮れていました。当時、わたしはこの分野の起業家先輩たちの期待を裏切り、託されたバドンを落としてしまったと感じていたのです。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、わたしの不甲斐のない結末を詫びようとしました。

 

 

I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.

 

わたしの追放劇はあまりにも有名だったので、シリコンバレーから逃げ出そうかとも思いました。しかし、時間の経過と共に、あることに気がつきました。自分がしてきた仕事をまだ愛しているということです。Apple社でのごたごたの後でも、その愛は微動だにしませんでした。わたしはApple社を退職に追い込まれましたが、まだ仕事への愛は残っていました。だからこそ、一から出直すことを決意したのです。

 


I didn’t see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

 

当時、分かりませんでしたが、顧みればApple社から追放されたことは、人生最良の出来事だったと言えます。将来への不安はありましたが、成功者であることのプレッシャーから解放され、起業初心者の気軽さを取り戻したのです。このおかげで、人生で最も創造的な仕事をすることがきるようになりました。


During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world’s first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world.

 

一から出直してから5年間で、NeXTとPixarの2つの会社を設立し、のちに妻となる素晴らしい女性にまで出会いました。Pixar社は世界初のCGアニメ映画「トイ・ストーリー」で、現在、世界で最も成功をおさめたアニメーション制作会社になりました。

 

 

In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple’s current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together. I’m pretty sure none of this would have happened if I hadn’t been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.

 

すると、想像さえしなかった出来事が起きました。Apple社がNeXT社を買収し、わたしはアップル社に復帰したのです。NeXT社で開発した技術は、現在、再建中のアップル社の中核を担っています。加えて、ロリーンとわたしは幸せな家庭を築いています。Apple社から追放されることがなかったら、その後の展開はどれひとつとして、きっと起きなかったでしょう。とても苦い薬を飲むような経験をしましたが、わたしの再起に必要なことだったと思います。

 


Sometimes life hits you in the head with a brick. Don’t lose faith. I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers.

 

人生では、レンガで頭を殴られるようなとんでもない出来事にみまわれることがあります。そんなときでも、自分の信念を曲げないでください。これまでしてきた仕事を愛していたからこそ、わたしは立ち止まらずに続けることができたと確信しています。みなさんも、愛せるものを見つけることです。 恋愛のみならず、仕事にも言えることです。

 

 

Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking. Don’t settle. As with all matters of the heart, you’ll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don’t settle.

 

仕事が人生の半分以上を占めます。人生を充実させるには、間違いなく最高だと思える仕事をすることです。最高の仕事をするには、その仕事を愛すること、だだそれだけです。まだ見つかっていないなら、探し続けてください。妥協せず、探し続けることです。間違いなくこれだと思えるときがきます。こころは分かっています。気のおけない仲間同士のように、長く付き合うほど心地よくなります。だから、妥協せず、愛する仕事を探し続けてください。
 

 

 

My third story is about death.

 

3つ目の話は「死」についてです。

 

When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

 

17歳のときに、ある本にこんな一節が書かれていました。「毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつの日かそうなる日が間違いなくやって来る」。その一節が心に深く残って、その日以来、33年間、毎朝、鏡に向かって自問してきました。「今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをするだろうか?」。「No」という答えが何日も続くようであれば、何かを変える必要があるということです。

 


Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.

 

「今日が人生最後の日」と自問自答し続けてきたことは、人生で重大な決断を下すとき、わたしにとって最強の武器になりました。なぜなら、ほとんどのこと、例えば「周囲からの期待」、「プライド」、「きまり悪さや失敗の恐れ」などといったことは、死に直面すると消え失せてしまうからです。最後に、本当に重要なことだけが残るのです。

 

 

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

 

「今日が人生最後の日」という覚悟があれば、何かを失うかもしれないという思考の罠から逃れることができます。みなさんは、もともと失うものなど何ひとつ持っていません。心の声に耳を傾け、心がさし示す行動をとればいいのです。
 

 

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn’t even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.

 

1年ほど前、わたしは癌を宣告されました。朝7時半に受けたスキャンで、膵臓にはっきりと腫瘍が写っていました。わたしは、膵臓が何なのかも知りませんでした。医師たちは治療不可能な腫瘍だと明かし、余命は3ヶ月から半年だろうと宣告されました。

 

 

My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor’s code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you’d have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

 

担当医から「家に帰って、財産や法律上の取り決めについて準備しておくように」と言われました。つまり、死出の旅立ちを準備するようにという意味です。もっと言えば、「子供たちに、今後10年で言うつもりだったことを、数か月のうちにすべて伝えておくこと」、「家族に負担が残らないよう、すべての段取りをつけておくこと」、「さよならを言っておくこと」という意味です。
 

 

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I’m fine now.

 

余命宣告に耐えて丸一日、過ごしました。その日の夜、生体組織検査を受けました。内視鏡が喉から入れられ、胃をとおって腸にまで達しました。膵臓には針が刺され、腫瘍細胞が採取されました。わたしは鎮静剤が効いていて分からなかったのですが、そばにいた妻からの話では顕微鏡で腫瘍細胞を調べていた医師たちが騒ぎ出したそうです。手術で治せる極めてまれな腫瘍だったからでした。おかげで、わたしは手術を受け、今はとても健康です。

 

This was the closest I’ve been to facing death, and I hope it’s the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

 

これがわたしの最も死に近づいた経験です。こんな経験するのはこりごりです。今後、数十年はしたくありません。現実に死を直面した経験から、鏡を見て単なる想像として死を覚悟していたときと比べ、確信をもって言えることがあります。

 


No one wants to die. Even people who want to go to heaven don’t want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life.

 

だれも死にたくはありません。天国へ行きたい人でも、天国へ行くために死のうとはしません。とはいえ、死はだれもが行き着く終着点です。だれひとりとして、逃れることはできません。これが自然の定めです。死はおそらく生命の最高の発明だと言えます。

 

 

It is Life’s change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

 

 

死は、生命の世代交代の役割を果たします。つまり、死は古き者を消し去り、新しき者への道を切り開きます。「新しき者」とは、まさに今、卒業するみなさんのことです。しかし、そう遠くないうちに、みなさんも徐々に「古き者」となり消えていきます。卒業式の言葉としてふさわしくありませんが、まぎれもない事実です。
 


Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

 

みなさんの時間は限られています。他人の人生のために時間を浪費しないでください。他人の人生のためとは、他人の思考(ドグマ)の罠に落ちることです。罠に落ちると、他人の考え方に従って生きていくことになります。他人の考え方の雑音で、自分の心の声がかき消されないようにしてください。一番大切なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。自分の心と直感は、本当に求めていることを分かっているものです。それ以外は二の次です。

 


When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.

 

わたしの若かりしころ、「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。わたしの世代のバイブルです。スチュワート・ブランド氏によって、この近くのメンローパークで制作されていました。彼の詩的な感覚が紙面を躍動感のある生き生きとしたものにしていました。

 

 

This was in the late 1960s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors and Polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: It was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.

 

1960年代後半のことで、パソコンはもちろん、ワープロソフト、スキャナー、プリンターさえもない時代です。タイプライターやハサミ、ポラロイドカメラなどですべて作られていました。例えてみれば文庫版Googleというべきもので、Googleが世に出るよりも35年も前に出版されたものです。理想を追い求め、見事な手法と素晴らしい考えに満ち溢れていました。

 


Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: “Stay Hungry. Stay Foolish.” It was their farewell message as they signed off.


スチュワートのチームは、何号か「全地球カタログ」を発行したのち、ひととおりやり尽くしたところで最終号を出しました。1970年代中頃のことで、わたしは卒業するみなさんと同じ年齢でした。最終号の裏表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。冒険好きなら、ヒッチハイクなどで目にするような光景です。その下にはこんな言葉がありました。

「Stay Hungry. Stay Foolish.(貪欲であれ、自分の信じる道を貫け。)」、それが彼らの別れの言葉でした。

 

 

Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

 

「貪欲であれ、自分の信じる道を貫け」、わたしも、ずっとそうありたいと思っています。今、卒業を迎え、新たな人生の門出を迎えたみなさんにも、そうあってほしいと願っています。


Stay Hungry. Stay Foolish.

「貪欲であれ、自分の信じる道を貫け」

 

Thank you all very much.

 

原文引用元:Steve Jobs’ 2005 Stanford Commencement Address – Stanford University

 

原稿日本語訳:島田智史

 

 

3.スピーチを観て、

聴いて、翻訳して、

わたしが感じたこと

 

このスピーチは今から14年ほど前に、スタンフォード大学の卒業式で行われたものです。そのスピーチから6年後、スティーブ・ジョブズ氏は、この世を去りました。彼のスピーチのとおり、自然の定めから逃れることはできませんでした。

 

しかし、ジョブズ氏のスピーチは、わずか15分ではありますが、その内容はあらゆる人の心をとらえところとなります。オリジナルの動画は3000万回以上、再生されています。わたしはこの動画に2週間前、出会いました。

 

わたしが最初、この動画を視たとき、真っ先に印象に残ったのは点と点の繋がりについてのストーリーでした。わたしがこうして文章を書き、スピーチ原稿を翻訳したり、資格を取得したり、こうしたことができるのは、点と点が繋がったからにほかなりません。

 

プロフィール欄でも書いていますが、わたしは大学に入るまで、文章が書けませんでした。ところが、たまたま大学の教養ゼミである英語の本に出会ったことで、文章の書き方を学ぶことができました。

 

小学校のときから歴史が好きで、ローマ史に興味を持ちます。さらに英語が大嫌いだったわたしは、あるゲームがプレイしたという動機で英語の勉強するようになります。

 

英語を学んだ結果、大学への進学を決意します。無事、入学を果たすことができました。歴史、ゲーム、英語が点と点であり、それが繋がり、大学へ進学できたわけです。さらに、文章を書くことが好きになったわたしは、ゲーム雑誌の記事のライターになります。文章とゲームと歴史が点と点として繋がった結果です。

 

点と点が繋がったものは、いずれも好奇心と時間を忘れてのめり込めるものばかりでした。ジョブズ氏の語っていたとおり、振り返って気づくものです。好奇心と関心のあることにのめり込むことは、いつの日か想像もしない形で結実することを改めて思いました。

 

 

わたしはおそらく、ジョブズ氏の語る中で一番こころをつかまれたのは、生き方についての部分だと思います。わたしが強く心に残ると共に、常々、思っていたことを見事に言語化されていたところです。

 

「みなさんの時間は限られています。他人の人生のために時間を浪費しないでください。他人の人生のためとは、他人の思考(ドグマ)の罠に落ちることです。罠に落ちると、他人の考え方に従って生きていくことになります。」

 

この一文はとても生きるうえで大切なことだと言えます。ドグマという表現を日本語にすると、教義、信条といった難しい表現になるので、敢えて思考と意訳しました。「常識」という意味もあるとわたしは考えています。これは次回、お話ししたい、本当は今回お話しするつもりだった自己肯定感にかかわる部分だと捉えています。自分をもっと肯定的にとらえていれば、この罠に陥ることはないと言えます。

 

ジョブズ氏の話は一貫しています。自分軸という軸をしっかり持とう、自分を信じよう。答えは自分の心の中にあるということです。他人からとやかく言われたり、他人に人生を預けるようなことは絶対にしないということです。妥協せず、自分の心をしっかり見つめろと言っています。

 

これが最後に三度、繰り返されるフレーズに繋がります。

 

“Stay Hungry. Stay Foolish.”

 

ジョブズ氏、自身の生み出した言葉ではありませんが、ジョブズ氏は自分なりの解釈をしたうえで、このフレーズを敢えて使ったのだと思えてなりません。敢えて、三度繰り返すには、それだけこのフレーズへの思いが、伝えたいことがここに集約されていたということの証です。

 

3つの話をまとめる言葉であり、新しき者たちに伝えたかった言葉であると、わたしは考え、意訳しました。

 

1つ目の話では、点と点の繋がりで、好奇心と関心を持つことの大切さ、2つ目の話では、妥協せずに、愛する仕事を探し続けること、3つ目の話では、自分の心と直感に従う勇気の大切さ、この3つが新しき者たちに伝えたかったことだと、わたしは読み取りました。

 

その結果として、“Stay Hungry. Stay Foolish.”を

わたしは、「貪欲であれ、自分の信じる道を貫け」と意訳しましが、「貪欲であれ、常識にとらわれるな」とも解釈できます。

 

情報化の時代、さまざまな情報が溢れかえって、情報飽和状態になっています。ともすると、他人と比較し、自分が小さな存在に見えてしまうことがあると思います。しかし、他人を真似たり、他人の考えに疑いもなく従うことは、まさに他人の人生を生きることになります。

 

みなさんには、みなさん自身しか持っていないものが必ずあります。他人と比較しても、いくら頑張っても、その人になることはできません。生まれも育ちも、環境もすべて違うからです。過去のうえに現在があります。だから、他人になることは、ジョブズ氏の言うとおり時間の浪費にしかすぎないわけです。

 

他人と比較するのではなく、過去と現在の自分を比較することです。本人を比較するのですから、間違いがありません。自分を一番よく知っているのは本人以外、だれもいません。自分のことであれば、比較して、未来を変えることができます。もちろん、変える必要がない場合もあります。いずれにしても、決定権は自分にあります。

 

ジョブズ氏は自分と向き合うことで、点と点の繋がりを得ることができたと言えます。振り返ってみて、分かることだと彼が語っている意味は、自分の過去と比較しているからできることです。

 

“Stay Hungry. Stay Foolish.”

これがすべてだと、わたしは確信します。

 

この解釈は、みなさんの心の中にきっとあります。

 

 

 

あとがき

(2019.4.13)

 

実は「こころのレインボーブリッジ」というテーマは以前から存在しながら、ふさわしいものがなく、消そうと思っていました。

 

そんなとき、4つの偶然が重なりました。「自己肯定感」という言葉をわたしに灯してくれた3人のブロガーの方と、このスピーチを見せてくださったブロガーの方がいらっしゃいます。

 

この方々のおかけでテーマは残り、ふさわしい記事を書く機会となりした。

 

この場を借りて感謝、申し上げます。

 

ありがとうございます。

 

 

追記

(2022.2.7)

 

COVIDー19の世界を見て感じたこと

 

この記事を公開してから間もなく3年になります。3年という月日で世界がこれほどの激変を見せるとは、当時想像もしませんでした。COVIDー19のことです。ジョブズ氏の言葉を借りれば、レンガで頭を殴られたようなことを世界が経験しているのです。

 

わたしの専門分野から言えば、ここまで地球は小さくなってしまったのかという印象です。もう四半世紀前のことですが、shrinking world と国際政治学において言われていました。縮む世界ということなのですが、本当に地球が小さくなったわけではなく、文明の発達で短時間で世界のあちこちに移動できることからそう言われたのです。

 

わずか100年前の世界への移動手段は船でした。当時、欧米へ渡るには1ヶ月以上の日数を要しました。現代では飛行機で1日もあれば、世界の至るとろに行くことができます。移動時間を単位として地球を捉えた場合、shrinking world となったわけです。

 

このことを21世紀の表現を使えば、 globalizastion ということになります。世界が一体化していることを意味しますが、何事にも言えるようにglobalizationにもメリットとデメリットがあります。COVIDー19 の出現はデメリットに働きました。およそ100年前に出現したスペイン・インフル(スペイン風邪)は、その猛威が世界を席巻するのに数年の年月を要しました。ウイルスを運ぶ人間の移動は、先ほど述べたとおり船に頼るしかなかったからです。当時の世界への移動単位は月という単位です。

 

ところが現代は飛行機という空飛ぶ絨毯があるので、世界への移動単位は時間という単位です。つまり、COVID-19は時速の速さで拡大するわけです。それは1年に数波も押し寄せる大流行の数から一目瞭然です。

 

こうした疫病の大流行は、globalizationの副産物です。今まで人が分け入ることもなかった、あるいは一部の人しか入ることなかった地域に足を踏み入ることになるからです。これが端緒になり、未知のウイルスを人はわざわざ外部へと持ち出します。

 

歴史を見ても、疫病の拡大はわざわざ人が自ら持ち出し、拡散させています。欧州人は中世に南米へ進出し、天然痘を南米に持ち込みます。一方で欧州人は南米から梅毒を持ち帰ります。もっと時代を遡ると、日本は飛鳥・奈良時代に中国から天然痘を持ち込みます。人の往来は富や文化(弱い立場から見ると搾取と破壊)をもたらしますが、その代償として疫病ももたらすのです。このことからはっきり分かることは、疫病は人災だということです。

 

 

COVID-19の以前と以後では、ジョブズ氏のスピーチを読み返すと違った印象を持つのではないでしょうか。わたしは違った印象を持ったひとりです。

 

 

時代の流れは確実に早くなり、急流となりました。COVD-19の出現で激変しました。世界はCOVID-19への対応を戦い、戦争と表現しています。戦時体制で臨んでいるということです。いち早く行われたのは、ワクチン開発です。この開発速度は驚くべきものでした。一般に数年かかるものを数ヶ月単位で成し遂げたのです。戦時ではあらゆる開発が平時の数十倍の速度で行われます。技術革新が数多く進むのも、戦時の特徴です。

 

技術革新はわたしたちに目の見えるものであるもありますが、見えないところでも、多く起こります。結果として産業構造、ライフスタイルに変化をもたらします。時代の潮流に合った企業がサバイブしていきます。環境適応が数多く求められます。置換されていく時代とも言えます。

 

 

最高の仕事をしよう

 

果たしてすべてそのとおりなのでしょうか。ジョブズ氏はレンガで頭を殴られるような経験、つまりApple社を追放されるという憂き目にあいました。その結果に悩みながらも、ジョブズ氏は、信念を変えることをしませんでした。愛する仕事とは何かということを問いかけ、それを捨てることはしませんでした。

 

彼はパーソナルコンピュータでApple社と同じことをするのではなく、違う側面から追求します。パーソナルコンピュータを駆使して、時代の先端を突き進んでいきました。ジョブズ氏のコアの部分は変化していません。アプローチを変えてチャレンジし続けていきます。それがPixar社であり、NeXT社です。これは柔軟適応戦略と呼ばれるものです。

 

ジョブズ氏は「人生を充実させるには、間違いなく最高だと思える仕事をすることです。最高の仕事をするには、その仕事を愛すること、ただそれだけです。」と語っています。

 

 

自分の生き方をしよう

 

また、こういう不確定な時代だからこそ、次の言葉も大切です。「みなさんの時間は限られています。他人の人生のために時間を浪費しないでください。他人の人生のためとは、他人の思考の罠に落ちることです。罠に落ちると、他人の考え方に従っていくことになります。」

 

他人の思考の罠というのは、巷間に溢れかえっています。人生などについてのハウ・ツー本の類です。例えば、こういう生き方をしようとか、人生とはこうあるべきだというべき本のことです。不安な時期ほど、こうした罠に囚われてしまうので、とても注意が必要です。

 

他人の思考の罠には、もう一つの側面があります。自分と他人を比較することです。隣の芝は青く見えるものです。他人の真似をして他人になろうとしたところで、また別の他人が現れて、また真似をするという終わりなき繰り返しに終始するだけです。結局はだれにもなることなく、人生を終える結末が待っているだけです。

 

自分と他人を比較するのではなく、過去の自分と現在の自分を比較して、よりよい未来を生きることです。ジョブズ氏は「他人の考え方の雑音で、自分の心の声がかき消されないにしてください。一番大切なことは、自分の心の声と直感に従う勇気を持つことです。」と語っています。

 

 

選択に迷ったとき

 

人生は選択の連続です。この選択という行為に煮詰まらない時、つまりどれにしようと迷うことが一番、ストレスになります。そのときの処方箋についてもジョブズ氏は語っています。

 

「「今日が人生最後の日」と自問自答し続けてきたことは、人生で重大な決断を下すとき、わたしにとって最強の武器になりました。なぜなら、ほとんどのこと、例えば「周囲からの期待」、「プライド」、「きまり悪さや失敗の恐れ」などといったことは、死に直面すると消え失せてしまうからです。」

 

どのような選択肢にたどり着くのか、ジョブズ氏は「最後に、本当に重要なことだけが残るのです。」と語っています。傍目や自意識、つまり「何かを失うかもしれないという思考の罠から逃れること」が正解であると説いているわけです。

 

 

わたし自身について

 

翻ってわたし自身について言えば、ブログを書くことでは立ち止まってしまいましたが、文章を書くことが好きだからこそ、再起動を果たすことができました。最高の文章が書けたかと言われると、自分では納得できる作品に仕上がったと答えることができます。

 

現在、未知の世界にチャレンジしていますが、傍目やプライドとは無縁で、常に過去の自分と現在の自分との闘いです。未知の世界の選択は、自分の心の声に従って正解でした。何よりブログが再び書けるようになったのですから。立て続けにこうして文章が書けたのすから、言うことがありません。

 

未知や既知の世界で自分より優れた人がいても、それはプロセスや背景が異なるんであるから当たり前のことだと分かっています。だから、凄いなあとは思ったとしても、自分がその人になろうとはまったく思いません。それよりも自分の課題解決に手一杯です。自分の過去と現在の闘いが繰り広げられています。

 

未知の世界の刺激が、記事となって還元されるので最高です。今は未知の世界で少しずつ楽しめるようになった自分がとても楽しいです。

 

 

ジョブズ氏の言葉はCOVID-19の現在だからこそ、さらに意味があります。困難な環境下で何かひとつでも参考になることがあれば、幸いです。長文をお読みくださり、ありがとうございます。

 

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