今日はこれまでたまに考えてたことをここらでまとめてみようってな試みを。
ごくごくマジメな話でもしてみます。
mixiに書くにはあまりに長いんで。
大学生活中、ずーっと教育関連のバイトに携わってきました。
それで今では子供に何か教える時のスタイルみたいなモノが定着してます。
が、どーもそのやり方が他の人と違うみたいで。
① 教師たるもの、極力教えてはいけない。
まず教師の定義をしておきますが、人に何かを教える人全般です。
ちゃんとした職業でなくてもいいんで、僕も教師に含めときます。
他にイイ単語ないんで。
①は自分の中で核になってるとも言えるスタンスです。
教師の最終目標は、点数を上げることでも、生徒や親に気に入られることでもありません。
大事なのは、教師がいなくても生徒が自分で学べるようにすることです。
点数を上げることも勿論大事ですが、それはごく短期的な目標です。
それが実現して志望校に受かったところで、自分で学ぶ力がつかなければ一生何らかの教師を必要とします。
その都度カネでそれを解決していくことが教育だと思うならそれも一つの方法として尊重しますが。
答えを教えるだけなら誰にでもできます。
少なくとも大学受験まではだいたいの問題において解答は決まっています。
決まっていないと他人と比較しづらいからです。
学歴なんかなくても、解答・解説を見ながら教えることはできます。
少なくとも中学生までならこれで何とかなります。
授業をするぐらいはわけないです。
生徒の「わからない」の一言ぐらいで教えると、自分で学ぶ力はつきません。
周囲にはこのへんで教えちゃう人も多いですが。
それは過保護と言わざるをえません。
なまじお金をもらっているため、「何かしなくては」と勘違いしてとにかくよくしゃべる人もいます。
僕の働いている個別指導の塾では、授業後の感想を教師が書くんですが、
「今日は黙々と勉強していて何もしてあげられませんでした。すいません。」
みたいなコメントが多いですが、それは別に謝る所ではなくて。
その生徒に自分で学ぶ力がついているだけのことです。
もしくは教師の存在意義がないような教科(理科・社会など)を選んだからです。
「何もしないこと」と「教えること」がどうして自動的に矛盾関係にあると思ってしまうんでしょうか。
何もしないことが結果的に教えることになることだってあります。
ムリに教えようとすると、本来は生徒自身でできる(すべき)ことにまで首をつっこむことになります。
そのスタンスの下に、具体的にどういった接し方をしているかというと、
まず、基本的に理科と社会は教えません。
「わからない」と言って理科・社会を持ってくる生徒のほぼ8割は、甘えたいだけです。
解答・解説をしっかり読んで大事な部分を自分で考えるという、時間はかかるけど重要な手間を省いて、オイシイところだけをかいつまんで口頭で教えてもらおうとしているにすぎません。
そういった生徒には、「わからない」と「覚えていない」をほぼ同義で使う習性があります。
持ってきた問題集から適当な知識問題を出して即答できるかを試せば化けの皮はすぐにはがれます。
自分で調べて勉強するのがめんどくさいだけなんです。
それに該当しない場合でも、解答・解説がなければ教えません。
知識問題とかそんなどーでもいーことなんかいちいち覚えてられないからです。
これは誤解を招くので少々説明します。
「教師は何でも知っていないとダメなのか。」
の答えは確実にNOです。
知っててもダメな教師もいれば、知らないけどイイ教師もいます。
「でも教師として、理科・社会の知識問題ぐらい即答できた方がいいんじゃないの?」
の答えもNOです。
それは生徒が自分で調べる機会を奪う行為に他なりません。
社会、理科の細かい無用な知識などいちいち覚えてられません。
僕はもう受験しないからです。
そして、それらを知らないことは「教師として」は何の欠点でもありません。
じゃあ逆に、どういう時になら教えるのかといわれれば、
「解答も解説も自分で読んで一通り考えたけどわかりません。」
の境地にまで達した生徒になら教えます。
ここまで達してなければ、確実につき返します。
自分ではみんなそこまできて初めて質問をしてると思ってたんですが。
教える側に立ってみると、愕然とするほどにこの手前で質問する生徒は多いです。
他の教科についても、基本的にはこの路線を踏襲します。
いつも解答・解説を持ってくるよう要求します。
持ってこないと怒ります。
教師が解答・解説にもできるようなことをしゃべる時間ほどムダな時間はありません。
家でやればすむ話で、むしろ家ですべきことです。
でも、そこに教師の存在意義を見出す保護者・生徒・教師が意外と多いので困ります。
たとえば、生徒が
「関ヶ原の戦いは何年?」
というような質問をした時に、
「んなもん知らん。自分で調べーや。(僕は実際これを多用します)」
と答えたとします。
こういった場合、保護者・生徒の多くは
「そんな簡単なことも知らないのか。(教師として)大丈夫なんだろうか。」
という風に感じるようです。
でも、その発想は間違ってます。
まさに「教師として」は大丈夫です。
「常識クイズの回答者として」は失格ですが。
教師は生徒にとって知識比べの相手ではありません。
知識比べで負けたって何の問題もない。
そんなところに教師の存在意義はありません。
実際、僕はたとえ答えを知っていてもわざとそう言います。
簡単な問題に限らず、解答・解説を読めばできることは全て知識問題だと思ってます。
知識問題などは自分でやるべきで、教師の出る幕ではありません。
ただ、覚えやすくする方法などはあり、そういったコツは教えるべきです。
これは解答・解説には載ってないことが多いので厳密には知識問題には含まれませんが。
以上を実践すると、自然と授業中は口数が少なくなり、生徒は自分で解説を読んでやります。
「何か教えなくては」症候群の教師は、生徒がやるべき部分まで自分でしゃべります。
ハタから見ると、後者の方がよく教えているように見えてしまうんだから世の中不思議なモノです。
学生のくせにえらそーに、そんなもん自己弁護に過ぎないんだよという方、もっとイイ方法があるという方、色々ご意見お待ちしてます。
続きはそのうちやります。
でわでわ。

