寛永六年(1629)に関東郡代・伊奈忠次の次男・忠治が鴻巣小室から赤山の地に移り、

在地支配・開発事業の拠点として築いた。

川口市東北自動車道と外環自動車道の川口ジャンクションの近くである

ここから大宮方面などへ赤山街道・大宮道があった

東浦和付近(見沼溜井南部)を経て現間宮公民館付近の永田陣屋に至る

 

今もこのように空堀が残る