青い海が見られたら良かったけど、靄に包まれる半島の姿も幻想的で意外といい。
遠くにぼんやり見えるのは、雲仙岳でいいのかな。
春の夕暮れ時にこの辺りから干潮の島原湾を見ると、潮目が美しくて「日本一の夕景」いうことで有名らしい。
でも、この時は潮は引いてきたけどまだまだ昼間、しかも天気は曇り。
頭の中で、素敵な夕暮れの景色をイメージしておくかぁ。
三角と上天草を結ぶ、天草五橋の最初の橋、天門橋。
ここからいよいよ天草パールラインで島嶼部に入る。
橋を渡ったところで、眺めのいいテラスレストランで早めのランチ。
この塩パンが美味しくて、併設のパン屋さんで朝ごはん用のお土産パンも買ってしまった😋
そこからさらに、ちょっと遠回りだけれどなるべく海岸沿いを走り続けた。
道の途中で、天草四郎ミュージアムに出会い、立ち寄る気になった。
歴史はわりと好きだけど、中学の時も高校の時も、江戸時代末期や近代以降の歴史はかけ足で授業が進んで、授業で全部教え切らないうちに受験シーズンに突入しちゃう感じだった。
(公立校はそーいうところが不親切、もっと計画的に早めに授業を進めてくれたら良かったのにー☹️)
(↑情報収集してないので、自分で先に勉強を進めるということを思いつかず、授業進度に合わせた勉強しかしてなかった)
一応理系だったので(今振り返ると、理系は不向きだった気がするが😅)歴史の勉強には時間をあまりかけなかったから、自分の中で、江戸時代後期以降の歴史は理解を深められないまま止まっていた。
だから、島原の乱とか天草四郎とか、言葉や名前は知っていたけど、実際はどんな出来事だったのかよく知らないままだった。
せっかく出会ったこの機会に、天草四郎のことも知ってみたいな。
記念館の中では、苛烈な税の取り立てに苦しむ島原や天草の民衆がキリスト教を心のよりどころとしていった過程や、わずか16歳の四郎をリーダーとして民衆が立ち上がっていった過程が、わかりやすい図やアニメーションで説明がされていた。
そして12万の軍に囲まれて兵糧攻めに苦しんだ挙げ句、原城に立てこもっていた37000人あまりの民衆が皆殺しになったという、あまりにも悲惨な結末をも知った。
人間はそれほどまでに残酷になれる生き物なのかと、胸が苦しくなった。
でも、そんな時代があったから、まだ十分ではないけれど今の時代の平和があるってことなんだね。
今の世の中に生きられるということは本当にありがたいことなんだと、心に沁みた。
どうか、誰の命も尊重できる世が続いて行きますように。
天草地方は思ったより広くて、運転に疲れてきた。
でも、世界文化遺産の﨑津地区の教会まではなんとか行きたい。
丘の上の大江教会にチラッと立ち寄り。
そして、目標の﨑津教会にようやく到着。
(どちらの教会も今でも使われているので、見学はできたけれど内部の撮影は禁止、お祈りだけ捧げてきました)
﨑津地区は下天草の端の方、穏やかで静かな海に面した小さな集落だった。
ここまで来るのは大変だったけれど、遠いからこそこの地に信仰が密かに残ることができたのかも。
海に祈るマリア像
集落の中を歩いていると、地域の人向けの日用品や食料品の移動販売車がやって来て、島ネコたちも集合してきた。
にゃあ〜とおねだりしたり、ケンカしたり。
この子はもう満腹だったのかな。警戒感ゼロ・笑
天草先端の牛深まで行くのは、体力的にもう無理。
本日はここでUターン。
戻りは島を縦走する走りやすい自動車道で、上天草の本日の宿へ向かう。
この日のお宿(民泊)、格安な上に絶景で。
部屋はとても清潔で、綺麗、広々。
設備も全てきちんと整えられているのに、こんな気持ちのいいお部屋を一泊5000円前後で借りられるって、なんて良心的な宿主さん😂
使わせてくださってありがとうございます〜
ここの部屋は東向き。
夕食を食べながら景色を見てたけど、くもり空が次第に赤らんできた。
もしかしたら、西側が開けた海岸に行けば、海の夕暮れが少しくらい見られるかもしれない!
急いでクルマで外に出て、西海岸へ走った。
すると…
なんて赤い夕焼け!すご〜い!
「日本一の夕景」には出会えなかったけど、これも素敵だった💕
少し夕焼けがみられるということは、西の方は晴れ間があるはず、明日からはいよいよ阿蘇へ行くし、もう少し日差しがあるといいな。
③に続きます