自立と覚悟の女性(ひと)

  

     

 

小池百合子 Koike Yuriko

      政治家。第20代東京都知事

             1952年7月15日兵庫県芦屋市生まれ

              エジプト カイロ大学文学部社会学科卒業

 

エジプト留学を経て、通訳、ニュースキャスター、政界にはいり、都知事になるまでの

小池百合子さんの知られざる人物像を数秘でひも解いていきたいと思います。

 

 

誕生数(人生の使命、生まれもった資質)#21−3

 

#3は創造性に優れ、豊かな表現力をもち、明るく社交的で華やか。

マルチな才能と子供のような感性のナンバー。

表現力、感性、直感力を惜しみなく世の中のために使い、精神的な喜びを与えることが使命。

カルミックナンバー#21は地球救済。新しい創造、エコロジーな感覚。

 

小池さんは小さい頃から両親に人と違うことをやりなさい。母にはさらに結婚がゴールではない。

いつでも自立できるように手に職をと言われて育ちました。

英語を仕事にしようと思い立ちますが、競争力とレベルの高さに愕然とし

父の仕事関係先であったアラビア語を学ぶことを思いつきます。

日本人で二人目となるカイロ大学卒業を成し遂げ、その後は貴重なアラビア語通訳として活躍されます。

また#3のもつ社交性とマルチな才能でたくさんの方と交流をもち、そのご縁でニュースキャスター、

政界へと活躍の場を広げています。

人とは異なるスキルを身につけ、人とは違ったフィールドで勝負をし、自立を目指すこと。

独特な母の教えは小池さんの創造力、遊び心をひきだし後にクールビズ、もったいないふろしきなど、

ユニークなアイデアへとつながっていったようです。

ライフワークはエコロジー活動と断言する小池さんは

すでに#21の波動を受け取っているようです。

反面そんな母の早くから自立と自己責任をうながす教えは

小学校高学年で500円のお小遣い以外はお手伝いをして稼ぎなさい。

中学校からは毎月一万円を渡され

授業料、文房具、着るもの、遊びにいくときのお小遣いなどすべてその中で自分でやりくりしなさい。

と決められます。足りずに同級生に借りたこともあったそう。

無邪気なこどものままに親に甘えながら過ごすことがかなわなかった。

#3の特徴である手放しで楽しんではいけない想いをたくさんしてきたことで純粋

に楽しむことにブレーキがかかります。

後に両親がカイロで開いた日本料理店で駐在の商社マンたちが

母親のことを「ママ」とよぶことに自分は「お母さん」としか呼んだことがないので違和感を感じた。

と50代で書かれた本のなかで語ってます。本当はこどもらしくたくさんお母さんに甘えたかったことでしょう。

カイロ大学卒業時に記念としてピラミッド登頂を敢行します。

早朝まだ警備員が寝ているうちに登り頂上では着物に着替え、風呂敷を毛氈にし茶器をおいてお茶をたてたのです。

本来の小池さんはこどものように

のびのびと茶目っ気があるほうが素のように感じます。

 

運命数(表面意識、お仕事の資質)#6

調和、真善美、家族的な愛。深い思いやり。献身的な愛で周囲の人への奉仕、サポートをし社会へ貢献する。

 

貿易会社や石油卸会社を経営していた父は、アラブ諸国やヨーロッパなど世界を飛び回る国際人でした。

また自身が衆議院選挙に出馬するほどの政治好きで世話好き。

関西経済界の一員としてケネディー元大統領の弟である司法長官ロバートケネディーの日本招致を成功させるなど

積極的に政治、経済界に関わっていました。

小さい頃から有名政治家の集まりに連れて行かれたり、父の選挙のサポートをしたりと

今につながる経験をします。のちに政治家になったのは父に影響された部分が大きいと自身も語っています。

いろんな人との往来が多いナンバー#6ですが、ニュースキャスターを始めてたくさんの著名人をゲスト

として毎日迎える番組でゲストと記念撮影をしてお礼状とともにお送りしていたそうです。

感謝の想いはいつのまにかかけがえのない人脈として育っていきました。

このころトルコから来た日本語弁論大会優勝者の青年が

トルコ風呂の名称のために日本で笑われた。

という記事を見つけるやいなやメディアをうまく利用し

彼とともに厚生省などに働きかけ見事改称にこぎつけたのです。まさに#6のボランティアナンバー。

世のため人のために使命を発揮されています。

一方#6はまず自分を愛することがたいせつです。

政治家としてのカリスマ性が高まる一方、小池さんのプライベートは謎につつまれています。

カイロ大学留学時代に同じ日本人留学生と勢いで結婚したものの

留学をやめてついてきてほしいと言われ大学卒業が目的だから別れますと離婚。

その後も面倒という理由で結婚はさけてきました。

また46歳で子宮全摘出手術をうけ出産への選択肢がこどもを産む産まないではなく、

産める産めないという現実に変わったことに向き合わされました。

入院中 隣から聞こえる新生児とその家族の嬉々とした声に、

こうした出来事がもう永遠に自分は体験できないのだなと辛く苦しい胸の内を手記にしています。

留学後ずっと自分の健康と女性としての幸せを脇におき

みんなのために走りつづけてきた小池さん。

まず自分を愛することを思い出すことが必要だったのかもしれません。

 

ソウル数(魂の欲求、一番大切な価値観)#11−2

#2優しい、感受性豊か、直感的、受容。イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で実現すること。

#11バイブレーションが最も高次の段階を示す数字。人と天を結ぶ波動。天と地の橋渡し。

 

#2は自分と人との境界線がひきにくく依存や受け身の人生をおくりやすいところがあります。

海外主張が多く留守にしがち、政治に顔をつっこみ自宅が集会場所となるなど

破天荒で家族よりも他人のことばかり世話をしてきた父を、

愚痴をこぼしながらも逃げずにサポートしてきた母をみて育ちます。

お母さんの役に立ちたい、助けたい想いがうまれます。

母の晩年癌がわかると自宅療養で最後まで看取ることを決めたのもその想いからでしょう。

しかし母は娘の想いとは逆に4歳違いの兄にわかりやすい愛情をそそいだのです。

こどもの頃から兄には大甘だったと小池さんは言っています。

お墓の場所も兄の住む近くに決めたり、一主婦の母がカイロでの日本料理店開業を決めたのも、

自社のカイロ支店で働くことになった兄を追いかけてのものだったかもしれないことは

小池さんも感じていることでしょう。

自宅療養中もたまに兄が顔をみせると急に元気になり、それは嬉しそうにしていたほど。

超えられない何かに胸を苦しめつつも母の教えの通りに生きること、

ほめられることが母の愛を自分にむけてもらうための方法だったのです。

お母さんを最後まで悔いなく自宅で看取ったことは

蓋をしてきたたくさんの想いと向き合い、ゆるし手放すための時間だったにちがいありません。

#2をへて#11へ天と地の橋渡しになるべくあゆみはじめたのでした。

 

人格数(親や環境からすりこまれた人格、他者からみたその人の表面的人格)#22−4

#4は真面目、信頼、冷静沈着、独立独歩

#22は高い理想、公的使命、リーダーシップ、マスタービルダー

 

初恋よりも早くから自立を教え込まれた小池さんは夢をみることよりも

現実的に生きることをうながされました。理想よりも現実。

誰に心ゆるしているのだろうとふと孤独さを感じます。

孤独にならず友好を結ぶことがたいせつです。

人と違った波瀾万丈の経験はこの世に秩序や法則などをもたらし公的使命のもと大きなことをなし得る

ためのプロセスでした。

 

実現可能数(目指す姿)#9

包容力、経験による叡智の習得

 

自分の本質に還るナンバー。自分も人も許すことですべてをうけいれる真の強さ、エネルギーを得る。

#9の人は潜在意識の植えつけをたくさんされてきています。

さまざまな経験を通し不必要な思い込みや

考えを手放していくことで本質で生きることに近づきます。

 

ステージ数(活躍する舞台)#13−4

 

人格数と同じ#4。すべての維持、管理、安定に関わる仕事。経済、法律、医療。

新しい枠組みをつくることが使命。

まさに政治の世界はこれらすべてをふくむマルチに活躍できる

場所といえるでしょう。

カルミックナンバー#13は創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起させられる

厳しいナンバーです。

 

チャレンジ数(チャレンジする課題)#10−1

 

#1は唯一無二のオリジナリティーをもってあらゆる分野の創始者、指導者になること。

カルミックナンバー#10は金銭的に恵まれた環境に育ちながらも愛情面で満たされないことが多い。

女性初の〜と言われることをいくつも成し遂げ、常に新しい風をうちだしてきました。

 

イチャー数(素の自分)#5

自由、変化

 

活発で多才、如才なく予想不可能。話しのまとめ役、なんだか魅力的。甘えん坊。

分析能力の高さは仕事で発揮されていますが、

ニュースキャスター時代は原稿がうまく読めないため

自分の言葉で話すことを許されたほど。

インテリアはシンプルで機能的なものを好み、友人に手料理を

ふるまうほどの腕前。テニスをたしなみ、歌をうたうのが上手だそう。

クールさにかくされたピュアで自由な面をぜひみせてほしいとおもいます。

 

アクション数(行動のパターン)#3

 

誕生数と同じ#3。

さまざまな壁につきあたろうと、周りが驚くほどのアイデアでくぐりぬけます。

アシスタントキャスター駆け出しの頃、急遽番組で使う円グラフのフリップが必要になり

周りを見渡し筒型のゴミ箱をみつけその底をなぞり、円グラフとしたのです。

いまでも常にアイデアの人である。

といわれる所以はありのままに創造性を表現するところからだとおもいます。

 

 

 

人生の周期

サイクルナンバー(テーマ)Cy,ピナクルナンバー(状況)P,チャレンジナンバー(課題)Ch

 

0〜33歳(Cy7,P22-4,Ch1

25歳まで二桁の困難な人生をおくります。内省、内観学びの時期。カイロ留学から帰国したのはこの頃。

アラビア語の専門性をいかし、自分にしかできないオリジナリティーで社会での基盤づくり。

 

34歳〜42歳(Cy15-6,P14-5,Ch2

本当の自分をどう輝かすかがテーマ。家族との調和や仕事の変化を通して真の自由を学ぶ。

自分との調和。

母との関係性の中で、受容を学ぶ。

 

43歳〜51歳(Cy15-6,P9,Ch1

内に眠る本質のめざめ、ライフワークの確立。揺れ動きながら意識の手放し、精神的成長へ。

オリジナリティーとパイオニア的新しさへ。

#6、#9がコアナンバーと重なることでその学びを強化され自分の軸に還るよううながされます。

 

52歳〜(Cy17-8,P15-6,Ch1

自己愛、自己信頼、自己尊重。社会で地位と名声を得たあと豊かさのシェアと循環。

奉仕やネットワークの拡大。

出会いと別れ。家族の問題から内面を養い、様々な経験を得て次のステージへ。

革新的リーダー。独創性と奉仕。

 

 

ヒストリー

 

0歳(1952年)#21

7月15日に兵庫県芦屋市にうまれる。

父は戦後ペニシリンの販売で財を成しその後石油がらみの商売で海外出張が多かった。若い時に両親を

なくし苦労を重ねた母は自分で身を守る知恵をいつも口にした。4歳違いの兄がいる。

25歳まで2桁が続き家族や留学を通して精神的学びがたくさんあったことでしょう。

 

19歳(1971年)#22

関西学院大学社会学部に入学のちに中退。カイロ大学に入るためのアラビア語習得。9月からエジプト

にあるアメリカ大学アラビア語速習科で学ぶ。大きなことをなし得るための基盤となりました

カイロ大学への留学を思い立ったのは父よりも母によるところが大きかったとはなしています。

個性的であることを求められ続け、友達と同じでないことが美徳として育った環境故の選択、決断でした。

 

20歳(1972年)#23

10月カイロ大学文学部社会学科に入学。軍事教練や、すべて必修科目という厳しい環境の中

絶対に卒業すると誓う。

 

21歳(1973年)#24

カイロで出会った日本人留学生と結婚。第四次中東戦争勃発。アラビア語は得意だが進級試験に留年し

続けたパートナーは大学をやめサウジアラビアで働くことに。大学卒業が目的だった小池さんは

ついていくことを拒み一年たらずで離婚。

 

24歳(1976年)#27

カイロ大学を卒業し日本帰国。日本人で二人目の快挙。

大学時代には日本のテレビ局の通訳スタッフとしてアラファト議長のインタビューや世界初となるリビアの

カダフィ大佐と両親の単独インタビューをとりつけました。

アラビア語の学びを完了。国際感覚や戦争について身をもって体験する。

 

25歳(1978年)#28

東京でアラビア語通訳の仕事に就く。

2桁の学びがおわり、いよいよ自分の人生を創造していくことになります。

 

26歳(1979年)#2

4月竹村健一の世相講談のアシスタントに起用されキャスターとしてデビュー。

カダフィ大佐の単独インタビューを成功させたことからの抜擢でした。まさに芽吹きの一歩。

 

 

 

35歳(1988年)#11

4月ワールドビジネスサテライト(WBS)の初代メインキャスターに抜擢される。得意な語学力で海外との

中継も自身で行い自信と実力を蓄えていきます。イニシエーションイヤー。真の理想にむかって目標を

掲げる。

 

40歳(1992年)3−#7

参議院議員に初当選。WBSにゲスト出演された細川元首相とのご縁で細川氏率いる日本新党より立候補。

精神性への目覚め。本来の自分を内省し才能を開花させる。

 

41歳(1993年)3−#8

衆議院議員に初当選。総務政務次官に就任。

 

42歳(1994年)3−#9

日本新党解党。小沢一郎率いる新進党結成に参加。

 

45歳(1997年)3−#12

新進党解党。小沢一郎率いる自由党結成に参加。翌年5月に子宮全摘出手術をうける。

感性と癒し。より多くを経験し視野の拡大。

 

47歳(2000年)4−#5

4月自由党離党、保守党結党に参加。初代党首扇千景。

 

50歳(2002年)4−#8

保守党解党。小泉純一郎元首相からの声かけで自由民主党に入党。

安定の中で現実社会へのうちだし。

 

51歳(2003年)4−#9

9月女性初環境大臣に就任。初入閣。

サイクルの成就、完成。結果がでる。

8年間で4つの政党を転々としたことを中傷する人もいましたが「政党」が変わろうと私の中の主張、

思想、信念は変わらないと言い切っています。

52歳(2005年)4−#10

4月地球温暖化防止策として軽装をすすめる「クールビズ」をうちだす。

オリジナリティーと霊性。

沖縄のかりゆしウェアを採用するなど斬新でユニークな試みは世界にむけても発信され省エネが至上命題の

中国にまで広まりました。

 

54歳(2006年)4−#12

9月安倍晋三内閣にて総理大臣補佐官に就任。

2007年7月女性初防衛大臣に就任。

 

55歳(2007年)4−#13

8月防衛大臣辞任。わずかに2ヶ月であったが防衛相として他の人にはできない人事整理をし

ギアチェンジ役を果たした。直感で辞任を決めのちに人事整理が正しかったと追い風となるなど

政治的センスはすばらしかった。創造と破壊。努力が実る。

 

56歳(2008年)5−#5

自民党総裁選に立候補3位で落選。女性初の総理大臣が誕生するのではと注目が集まる。

変化を楽しむ。新しい風。

 

58歳(2010年)5−#7

自由民主党総務会長に就任。

コンセプトや計画をより深める期間。研究や学び。

 

60歳(2013年)5−#9

5月23日父勇二郎が還らぬ人となる。90歳。誰も最後を看取れず後悔が残る。

9月16日母恵美子自宅にて家族に看取られ永眠。88歳。

家族との様々な想いや感情、誤解など母親を自宅で看取ることでゆるし向き合う。

完了。

 

64歳(2016年)5−#13

8月女性初の東京都知事に就任。政治塾「希望の塾」をたちあげる。

政治や経済に関心を持つ人たちを幅広く募集し、主義、主張、党派を超えて学ぶ場所を創りました。

より高次へむけて創造と破壊を繰り返す。常に新しい経験をしつづけることで人を指導、勇気づける

ことができる。

 

65歳(2017年)5−#14

7月都民ファーストの会特別顧問に就任。

9月国政政党「希望の党」設立。特別顧問。

相反するものと統合し器を大きくする。

 

 

タイプⅡ

バランスは−8。学びと気づきでおぎなっていきます。

飛び抜けている項目はないのですが特徴的なものをあげます。

《リード、リーダーシップ》

感性豊かな表現により人を改革したり、喚起していく能力。創造エネルギーで他者に愛と霊感を与える。

 

《サポート》

家族や親族、親子関係を尊ぶ。幼少期の家庭の問題、それにまつわるサポート。

 

《メイクムード》

受容的。皆がくつろぎ楽しむことを優先する雰囲気づくり。知性的だが時に排他的。

 

《インテリジェンス》

有能な構成、分析能力。明晰かつ俯瞰的視点。コツコツ粘り強く確実に課題をこなす。

 

タイプⅡの能力を小池さんはしっかりと自覚しており、とくに俯瞰的視点は心がけていることの

ひとつです。現実社会でタイプⅡの能力をいかんなく発揮して世の中のために使命を果たされて

いくこととおもいます。

 

 

小池百合子さんをリーディングして

 

東京都都知事選で見事当選。女性初の知事ということで新しい風がふきこまれることを期待しました。

女性の時代の到来を象徴するような小池さんが気になり調べてみると誕生数、ソウル数が同じでした。

遠い存在に感じる小池さんと共感する部分が果たしてあるのかなとリーディングをすすめていきました。

華やかで仕事ができて人望もある、かっこいい女性のイメージしかない小池さん。

生い立ちや私生活についての情報や書籍は乏しくなかなかその裏側がみえてきませんでした。

しかし読む必要がないと感じ見向きもしなかった小池さん直筆の手記

「自宅で親を看取る」にこそ隠された母娘の関係、想いが赤裸々につづられていました。

母親の癌闘病を病院から自宅に切り替えて自宅で看取ると覚悟をきめて

臨んだ日々は悔いなく、かけがえのない時間でした。

そこには小池恵美子の娘、百合子としてのせつない想いがたくさんかくされていました。

母親との関係は普通に娘としていだく感情の葛藤でした。

兄には甘く自分には早くから自立をうながす母、

甘えたくても甘えられなかった環境、冷徹なまでの言葉の数々もたくさんありました。

そんな状況でも

母を想いこんなふうに書いています。

破天荒で家族をふりまわす父との生活、

苦労をした母のおいたちが娘に託す想いをよりつよくさせてしまったんだろうと。

本当の想いは脇におき母の立場を理解してあげようといつもかばって

いたこどもの小池百合子ちゃんを自分に重ね長年の想いがよみがえってきました。

12日間の母親の自宅療養を通してさまざまな想いとむきあい、ゆるし、心の整理をしたことでしょう。

「あなたの娘でよかった。」と綴っています。

手記から何度も目に入る言葉は「自立」と「覚悟」でした。小池百合子さんの原動力を垣間みて

母娘の想いを癒し、わたしが今まさにむきあう課題を気づかせてもらいました。

ありがとうございました。

 

Reported by 

AEONS Numerology Basic the 12th class

Yuko Nishiyama @ Megro class