宮崎駿(みやざきはやお)
1941年1月5日生まれ(76歳)

映画監督・アニメーター・漫画家

長編アニメーション映画の監督として不動の地位を築いた宮崎駿さんの人生を

経歴を交えながら紐解いていきたいと思います。



誕生数(人生の使命、生まれ持った資質)《#12-3》

#3は表現する芸能のナンバーです。知性、感性の豊かさを持ち創造力を発展させ精神的喜びを人々に与えるという数字の通り、類い希なる感性をアニメーションという作品に表現して人々に影響を与える使命を生きています。
長所として純粋さ・責任感・精神性の高さがあるので、

作品の中に環境問題や人々の意識に問いかけるものが多いのだと思います。
しかし、#3の短所として極端であったり他者操作・躁鬱などがあり、

突然の引退宣言をしたり撤回したり、

長男・吾朗氏との確執が噂されたりしていることは短所的な特徴が出てしまったのかも

しれません。

しかし人々に精神的な喜びを与えるというミッションがある人です。

 

 

運命数(仕事など表面レベルの運命)《#10-1》

意志が強くリーダー気質で行動力のある#1が運命数の宮崎駿さんは

企画やベンチャー・フリーランスに向いているので、

溢れる創造力を情熱をもってコツコツと作品として創りあげることができます。
#1の人は冷静で未来志向型、エネルギーも莫大なので物事を具体的にスタートさせることが出来ますが、せっかちさが前面に出たりプライドの高さが極端に強く出ると

周りとうまくいかなくなるので、スタジオジブリの突然の退社や親子不仲説の噂は

もしかしたらこのような側面があったのかもしれないと想像出来ます。

ソウル数(魂の本質、心の中の欲求)《#10-1》

運命数と同じ#10-1なので、宮崎駿さんは魂が望んでいるやりたいことと

現実的な仕事や表面にあらわれている特質が合致しており、

この路線以外はない!というような人生を生きていると言えます。
運命数もソウル数も10を持つ1なので、

#1の持つ創造・行動・革新などの現実社会を動かした後には

カルミックナンバー10の持つ霊性に導かれオリジナル性のある人道的支援や

多くの人に癒やしを与える方向に向かう可能性を高く持っているのではないかと思います。

人格数(親や環境から植え付けられた表面的人格)《#9》

#9は原点回帰のナンバーでありカリスマ性を持ちます。
全体意識・人類愛・公的使命ということが必須なので

高い視点と意識を持って作品の創作に向かえば見えないサポートも

たくさん入るのではないかと思われます。
しかし9には#1と#8のアマチュアも入るため、

#9の持つアマチュア部分の強情さ・マイペース
#1の持つ自己中心的・せっかち
#8の持つ短期・ワンマンが強く出てしまうと周囲の人とのバランスを崩す可能性があるため、これからも素晴らしい作品を世の中に出すためにもぜひ、

奉仕・慈悲・人類愛という本質にある霊性の部分を発揮してまだまだ活躍して頂きたいなと

期待します。
それがご自身の心を一番癒やしていくのだろうと思います。

実現可能数(何を実現しようとしているか)《#22-4》

#4はそれまでやってきたことの総決算、

物事が形になる・収穫をする・社会で堅実に基盤を作るという数字なので、

長編アニメーションの監督としての歴史に残る実績を創りあげた

宮崎駿さんならではの世界観はすでに形になっているように思います。

#22-4ということで#2の調和・バランスをとり協力することが2つあって

より強く求められるということと、

22は破壊と改革・創造の高次元ナンバーなので、

今後さらに今までのパターンを飛び越えて社会的活動など

何か違う形で活躍される可能性もあるのではないかと思います。


ステージ(活躍の場)《#9》


人格数(パーソナリティ)と同じ#9がステージの宮崎駿さんは

複雑なご自分の二極性に揺れながらも、

公的使命を果たしながら愛と理解力を持って人類愛を実践することを選択されていく

のではないかと思います。

チャレンジ(生涯をかけて挑戦していくこと)《#21-3》

誕生数と同じ#3ということで、楽しく無邪気に喜びを表現する・精神的な喜びを与える

ということがチャレンジとなっていて、

#21は地球救済ナンバーなので宮崎駿さんはアニメという表現の方法をとって

その役割を充分に果たしていると思います。

イヤーサイクル(今年の個人数)《#4-7》

#7は精神性の領域へと向かうナンバーなので精神性への目覚めが始まる可能性を持っています。
#4も#7も何かを始めるのに適しているので#4の秩序・安定を持ちつつ、今年は新しいことをスタートさせる動きも見られるかもしれません。


【人生の周期】

 

サイクルナンバー:テーマ(Cy)

ピナクルナンバー:状況(P)

チャレンジナンバー:課題(Ch)

①0~33歳
(Cy11-1、P6、Ch4)
堅実的なことを学び独立心を養うことが学びで、おかれている状況は愛・奉仕・調和でした。
課題として秩序をもたらすこと、自分の能力を社会で活かしていくことでした。

②34~42歳
(Cy5、P11-2、Ch1)
30代に入ってからは変化と自由が基盤となり調和・バランスをとることが必要な状況で、

多くの仲間と作品を創る上では大切な学びの時期でした。
課題として創造を表現すること・独立なので、サイクルに沿った人生のように見えます。

③43~51歳
(Cy5、P8、Ch3)
変化と自由のステージは同じで状況は#8の現実社会での成功。
課題として楽しむこと・表現すること・精神的喜びを共有することでした。

④52歳~
(Cy15-6、P16-7、Ch5)
現在76歳の宮崎駿さんはこのサイクルです。
現実社会の秩序の中で愛と奉仕が人生のテーマとなり

さらなる変化をされるのかなと思います。

【History】

0歳(1941年)《#21》

1941年1月5日、東京市にて一族経営の『宮崎航空興学』の役員を務める一家の

4人兄弟二男として生まれます。
幼少時は身体が弱かったこともあり運動は苦手でしたが、

絵はずば抜けて上手い読書家で

漫画少年でもありました。
生まれてから52歳までほとんどが20番台の2桁が続いており

精神性の学びが必然だったのではないかと思います。


22歳(1963年)《#16-25》

学習院大学政経学部を卒業して東映動画へ入社します。
高校3年生の時に観た『白蛇伝』に感動し大学生になっても漫画を描き続けていましたが、

東映への入社が実質的な宮崎駿としての活動開始となります。
#16という真理の探求を現すときに活動を始めたことになります。


24歳(1965年)《#17-18》

東映アニメーターの太田朱美さんと結婚し1967年に長男・宮崎吾朗氏、

1970年に次男・宮崎敬介氏が誕生します。


30歳(1971年)《#17-24》

高畑勲氏、小田部洋一氏と共に東映からAプロダクションへ移籍しこの年、

人気が低迷していたTVアニメ『ルパン三世』の演出を受け持ちます。
人気は上がらないまま番組は終了しましたが、

この時の演出がルパン三世の基礎を作りました。


33歳(1974年)《#18-18》

『アルプスの少女ハイジ』を手がけ、平均視聴率26,9%の大ヒットとなり、

初めての大きな成功となりました。
#26から#18へステージが変わった年でした。


37歳(1978年)《#18-22》

『未来少年コナン』で演出家に転向しましたが、この作品では監督がいなかったため

実質的な監督デビューとなりました。
Yearナンバーが#22の破壊と改革、そして創造のナンバーですが、

持ち前の作家性で原作『残された人びと』の悲壮なイメージを大幅に改変して

壮大なファンタジーに仕上げています。
 

 

       

 

 

38歳(1979年)《#18-23》

テレコムアニメーションフィルムに移籍し、映画『ルパン三世カリオストロの城』で

映画監督デビューを果たしましたが、SFアニメ全盛の時で興行不振に終わり、

しばらく映画に携われない不遇の時を過ごします。
しかし、このカリオストロの城の制作時にのちに重要な人物となる鈴木敏夫氏と出会います。


43歳(1984年)《#19-19》

サイクルがカルミックナンバーの#19のときのYear#19のときに

個人事務所『二馬力』を設立しました。
カルマの負債を清算したり権力や力の誤用を修正することで真理を学んでいくナンバーです。
また#19の1はピンで変化していくことを現し、揺れ動く10を経て

#19のコー・オペレーションナンバーとなりチーム・他の人とやっていくという時です。
この年『風の谷のナウシカ』がエコロジーブームもあり大ヒットしました。
『ルパン三世カリオストロの城』がTV再放映されたことも重なり、

作家としての宮崎駿が広く認知されるようになります。
宮崎駿の才能に惚れ込んだ鈴木敏夫プロデューサーの尽力もありました。


44歳(1985年)《#19-20》

スタジオジブリ設立。
#20は調和・バランスをとる2のあとに0
0は霊性のナンバーなので精神性を極める動きのある年に

人々に夢を与えるアニメーションスタジオを設立しました。


48歳(1989年)《#19-24》

『魔女の宅急便』大ヒット。
この作品の前に『天空の城ラピュタ(1986年)』『となりのトトロ(1988年)』を発表していますが

興行成績は振るわず後で人気が高まりグッズやビデオ販売で

ジブリの経営を支えていました。
#24のときの成功は2から4へ。

調和をとりイメージの世界での価値ある創造物を具現化することで

現実的な安定がもたらされます。
この年に大ヒット作品を生み出しジブリの経営が安定したことで

労働環境を整えるための社員化を図ったことは#4の数字の持つ安定・信頼・形成・管理の

特徴があらわれたのだと思います。


51歳(1992年)《#19-27》

『紅の豚』はもともとはJALの機内で上映される中編予定だったものが、

構想が膨らみ長編アニメとなりました。
#19ステージはまだ続いているのでカルマの負債を清算するための真理の学びは続けながら、#2から#7への精神性領域に踏み込んでいかれた時期かもしれません。

独創性、洞察力、探求心というのもこれまでより強く出てきた年なのかもしれないと思いました。


56歳(1997年)《#2-5》

『もののけ姫』公開。
E.Tが持っていた日本の興行記録を15年ぶりに塗り替える大ヒットとなり、

「これが最後の作品となる」と発言しましたが翌年には引退は撤回しています。
生まれてから52歳まで続いた二桁がここに来てステージ#2になりました。
調和・バランスが基盤となりながらさらに変化・革新・冒険していく…という#5がイヤーナンバーとしてありました。
1998年《#2-6》にスタジオジブリを退社
翌年には《#2-7》スタジオジブリ所長として復帰しています。 


60歳(2001年)《#2-9》

60歳という節目の年、そして#9の完結のときに『千と千尋の神隠し』が公開され、

もののけ姫を上回る興行記録となりました。
観客動員2350万人、興行収入308億円は日本映画史上一位の新記録でした。

翌年にはベルリンの国際映画祭で日本として39年ぶり、アニメ史上初の金熊賞受賞。
さらに翌年の2003年にはアカデミー賞・長編アニメ賞も受賞しています。
それぞれ#2-10、#2-11という二桁のナンバーの時の受賞でした。


63歳(2004年)《#3-3》

この年は『ハウルの動く城』が公開されました。
2日目で110万人の動員、14億8000万円の興行成績で歴代最高の

オープニングとなりました。
この作品もヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞やニューヨークでの

最優秀アニメーション賞など、その他の海外での受賞も次々とあり

#3の発展・解放・楽しさ・芸術で精神的喜びを与えるなどの特性が存分に発揮された

時期だったと思います。

64歳(2005年)《#3-4》

TIME誌で『世界で最も影響力のある100人』に選ばれています。
#4の安定・信頼の年にアニメーション監督としての

世界的な不動の地位を獲得したとも言えます。


67歳(2008年)《#3-7》

初孫が生まれます。
喜びがテーマの中での内省・霊性への目覚めなので、

孫が生まれたことで内面に変化が起こり始めたのかもしれないと思いました。

『崖の上のポニョ』がこの年に公開されます。
制作中、「体力的にも本作が最後の長編」と発言されましたが、

ハウルの動く城のほうが観客動員が高かったことを知ってショックを受けもう一本創る!とも。
(その後2013年に自身の漫画『風立ちぬ』の映画を制作しましたが興行振るわず)


71歳(2012年)《#3-11》

文化の向上発達に関し特に功績のある者と認められる文化功労者に選ばれたのは

#11サイクルの霊性の年でした。


76歳(2017年)《#4-7》

2013年に引退を発表しましたが今年(2017年)2月に復帰を発表しています。
2016年12月に放送されたドキュメンタリー番組で、引退していた間『昔からの大切な仲間を

何人も亡くし自分自身の終焉に関してより深く考える日々が続きました』と語っています。
#7は本来の自分を内省するととともに飛躍のナンバーでもあります。
本来持っている霊性に導かれさらなる活躍をして頂きたいと思います。

【Type】
TypeのBalanceは『4』なので生まれながらにたくさんのギフトが与えられています。
TypeⅡの特徴としては以下のものがあげられます。

☆マチュリティ(完成度・成熟度・集合意識)①
・既存打破の改革者
・表現や解放を求めるバイブレーション

☆リード(リーダーシップ・人をどう導くか)⑤
・先見性があり刺激を与える人
・知的リーダーシップ

☆サポート(サポート力)①
・停滞している人に勇気を与え創造の火を灯す
・リーダー的だが一匹狼的

☆エモーション(情緒・感情の現れ)①
・創造の爆発的エネルギー
・改革者

このTypeⅡだけでなく総合的なリーディングでも至るところに『創造』『改革』『既存打破』というキーワードが出てくる宮崎駿さん。
捉えてるものも大きく内側から溢れ出る創造のアイデアは時代がまだ追いつかず

時に周りには理解されにくいこともあったのではないかと思います。

 


【まとめ】

 

創造のエネルギーが大きい宮崎駿さんのディスティニーやソウルの#1には

結婚後は家を顧みない、リアライゼーションの#22-4も仕事に目覚めると家に居ないという

特徴があります。
長男・吾朗氏の話として

『父と接している時間よりも父の作品と接してる時間のほうが長かった』

『ぼくは子供の頃から何一つ親らしいことを宮崎駿さんにしてもらったことは無いです』

という発言から予想されるのは、

仕事に打ち込みすぎるあまり家庭人としては認めてもらうことはなかったということ…
宮崎駿さんのリーディングをしながら感じたことは『孤独』でした。
人の上に立ちリードしていく立場にある人特有の本当には理解してもらえない

孤独感や不安というものが常に隣り合わせにあったのかもしれないと思いました。

しかし、それらに負けることなく創造性に溢れ表現していくことを躊躇せず、

それでもやる!と自分の才能を信じて決断してきた宮崎駿さんの決意と力強さを感じます。
私にも重なる数字があり、子供の頃から感じていた孤独感や疎外感とも重なりました。
自分の創造性を信じて表現すること、楽しむこと、調和をとることなど、

宮崎駿さんのリーディングを通して気づかせて頂けたように思います。

 

Reported by

AEONS Numerology Basic the 12th class

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