5/10 父が72歳で永眠いたしました
ネットショップは、急遽5/19までお休みさせていただき、突然の休業で、ご心配をおかけいたしました
(喪主の母に代わり、挨拶や諸々の打ち合わせに立ち合い、ほとんど電源を切ったままでした)
1月に見つかった肺がん治療の過程で肺炎にかかり、3月半ばには予定通り退院し、セーブしながら仕事もしていましたが、4月の寒さの中で、趣味の山野草の手入れなどをしたためか、風邪をひいて再入院し、5/9に急変し、帰らぬ人となりました
5/1に息子と見舞いに行った際には、まだまだ元気で、退院後の話をしながら、予定通り5月末には退院すると思っていたのですが…
5/9~10にかけても、酸素吸入をしながらではありましたが、色々な方と話をしている姿は、急変するそぶりもありませんでした
部屋移動が悪かったのか、移動中の酸素吸入ができず急変し、最期は苦しかったと思います
父は、25年程前に多額の借金をし、そのために肩身の狭い思いもしていましたが、自己破産はせず、地道に働いて返済してきました
その姿を一番近くで見ながら、亡くなる前に返済させてあげたいと思い、一緒に働いてきました
その借金もほぼ返済し、今年中には債権者の方に会って、今までのお礼とともに完済する予定でしたので、今月中には父に代わって返済してこようと思います
私は、姉妹の中でも「姉」という立場から、母や妹たちに迷惑をかけさせたくないと、お金にまつわる面倒なことは全て引き受けてきましたが、度重なる父の理不尽な態度と、母や妹たちに理解してもらえない辛さで自分を見失ったこともありました
父と刺し違えなければ自由になれないと思ったこともありました
しかし、ここ数年の間に、妹たちの理解もあったことで自分を取り戻し、父が心筋梗塞や胃がんも患ったことで譲歩してきたこともあり、亡くなる前までに、普通の親子関係になりたいと願っていました
何度か急変する中で、モルヒネを使う決断をしたあたりから、父も私たちも死を意識し、泣くしかなかった時間がありました
その中で、自然と普通の父子になれたように思います
思い出すと涙が止まりませんが、借金を返せる目途をつけられたこと、父と普通に話せる関係になれたこと、やり切った感があります
そしてやっと、自分の人生を歩めるという気もしています
あれこれ小さい悔いはありますが、父の人生に費やしたこれまでを思うと、人生の折り返し地点を過ぎて、大方満足しています
お父さん、ありがとう

今から20年前に送った、父の日カード
金庫に保管してありましたf(^_^;