んもう、お空を見上げていると、どうにかなっちゃいそうな、あえかです。



基本的に僕はひきずられやすいので、
誰かが悲しんでいると、悲しくなってしまいます。


でも、悲しむのはきもちよかったりもするので、それはそれでいいです。



悲しんだあとは、いっぱい笑うからね。



あ、そうだ。


あのね、
テクニツクでなんとかなると思ってると、
痛い目見るらしいですよ、ね、そこのあなた。
最後は心らしいですよ、ほとんどのことは。



本日は月イチの古書巡礼。


ブツクオフなんかじゃお目にかかれないような、
大正時代の流布本を、お買い求めになるのです。



神保町や早稲田に出向き

お買い求めちゃうのです。



さて、きょうもまた感情を喚起する、ほりだしもの。



「話対のとテエゲ/ソマカツエ」

と、右から綴られたタイトルの書物。


裏表紙には定価:60銭、と書いてあり、

ペエジをめくると


「冬のような低い空、学校にいきがてら購入せす
ちかごろはあまりよくなく、だが明日は来たり -赤石圭」


と、赤の油性ボウルペンでつづられた文字が

赤茶けて、急ぎ足で、そっぽを向きながら、ぼくに話しかける。




ぼくはそれにそっぽを向いて、こたえる。



「こちらの空もおなじように冬の低い空。よくもわるくもなく、だけれども明日は来るのかね。 -あえか」



古い本は、いろいろと書いてあるのが大好きです。


なんだか、タイムトリツプしたような、感覚。




あのね、

けっこうな確率で赤石のじいさんは逝っちまっています。

なのにも関わらずそれはそれとして、
納得して、慕情を抱いているのです。


大正時代に学生だった人だものな、と。


その赤石と、間接的であれ、ぼくはふれあっているわけです。
これってすごくロマンチツクではありませぬか。

こうふんで、鼻血が出そう。



ぼくはその本を購入し、
赤茶けた文字の下に、長いお手紙を書きました。


「こちらの空もおなじように冬の低い空。よくもわるくもなく、だけれども明日は来るのかね」

からはじまる、近況報告を

天国か地獄か来世かハワイに居る赤石に、お届けしました。




それは、私信。

ごく個人的な、些末な、それでいて、たいせつな。


そうだ、

ちかごろ、だれにもお手紙を送っていないので

唐突に送ってみることにします。



お手々で書いた直筆の感情は

ぼくが生きていることと、同義ですものね。




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