以前、とある掲示板に、「原典版」に関して長文の解説を書きました。

 

掲示板が、クララ・シューマンとファニー・メンデルスゾーンの話を主にするサイトなので、彼女たちの曲に関しての情報が入っておりますが、その他一般についても参考になりますので、こちらに掲載させていただきます。

 

 



・オリジナル楽譜とその他(モダン・エディション)
オリジナル楽譜と言うのは、作曲家が残した自筆譜であるとか、作曲家と同時代に出版された楽譜などが対象となります。それを写真に撮ってコピーしたものがファクシミリです。
楽譜の区別は、これから説明していきます。基本的な事項は、リュート奏者の竹内太郎先生のこちらのページをご覧ください  http://tarolute.crane.gr.jp/kogakkistarter4.htm

オリジナル版を使うには、当時の演奏や出版についての知識が必須であり、また、19世紀というのは、それほどオーセンティシティが重視された時代でもないので、当時の出版譜が一概に信用できると限らない、という問題が現れます。シューベルトの即興曲D899-3をディアベッリが出版した「初版」で演奏すれば、あの幻想的なGes-Durではなく、半音上げた普通のG-Durになってしまいます!しかも和音も変更されています。ディアベッリは、シューベルトのソナタでも、別のソナタから持ってきた曲を移調・大胆なカットをしてくっつけてペアーの小品にしたりとか平然とやっています。しかし、当時そうして出版されていたのは事実なので、自筆譜とは違う編曲された曲として理解するなら意味があるでしょう。こうした、当時の出版習慣なども「古楽」「学究的演奏」などの対象です。もし、D899-3の自筆譜が残っていなかったら。。。私たちは、ディアベッリ版で曲を知っていたかもしれません。


・学術的研究版と演奏用版
学術的研究版の種類についてはこれから説明していきますが、研究者や演奏家が、作曲家は想定した楽譜は何か、と言うことを念頭に研究を重ねて校訂を行うのが学術的研究版です。

 

一方、演奏用版は、1)誰かが、演奏に関する自らのアイディアや注意点などを楽譜に書き加えた楽譜 2)それ以外で学術的研究版と呼べないもの の2種類です。例えば、シュナーベル編纂のベートーヴェン・ピアノソナタ全集などが、演奏用版(1)の最もわかりやすい例といえます。シュナーベルの指遣いだけでなく、テンポの変化なども、細かくシュナーベルの演奏のアイディアが書き込まれています。(1)には、シュナーベル版のように大変価値のあるものから、テキトーな書き込みが雑記帳のように書いてあるだけの粗悪のものまでいろいろあります。
 
クララ・シューマン関係では、ベーレンライターから出ている作品集を含め(あれは、もともと別の出版社が出版していたものが合併によってベーレンライター社の製品として加えられたものです)ものも含め、原典版と名乗っていない楽譜の多くが演奏用版でにあたります。校訂方針・内容からいって川嶋ひろ子さんの春秋社全集もこれにあたります(原典版ではありません)。一方、没後100年の時期に集中的に出版されたBreitkopf und Haertel の版は、原典版あるいは批判的校訂版です。
 
 Furoreから出ているファニー作品も、多くは校訂報告が極めて不十分であり、よって指遣いすら書いていない楽譜もあるにもかかわらず「演奏用版」として扱われることになります。また、Das Jahr のFororeの楽譜サンプルを見ますと、指遣いの他、旧版・新版共メトロノーム記号が書かれています。しかし、自筆清書譜にはメトロノーム記号はありませんので、もしそれが校訂者によって加えられたとすると、一般的には、メトロノーム記号は原典版楽譜に校訂者が加える範囲ではないので、やはり演奏用楽譜であると判断されることでしょう。
 
 演奏用版は、解説がないわけでは無いのですが、資料選択の傾向として、「最も適切な資料」よりは「最も権威のある資料」を第一の資料として取り上げる傾向があると思われます。シュナーベル版のテンペストがその典型例で、誤りが多くても「初版も基に編纂」と書いています。
 あまり書きたくないですが、春秋社の井口版などは、手持ちのペータースなどをほかの楽譜と時々見比べながら書き写してテキトーに注釈?やヒントを書き込んでいるだけの粗悪な版であり、私の、弘前にいる元先生は、ヴィーンでザイドルホーファー(フリードリヒ・グルダの先生)に師事した際「こんな楽譜は捨てなさい」と真っ先に指導されたといいます。



・原典版と批判的校訂版
学術的研究版は大まかに2つに分けることができます。楽譜のセールスコピーとしては、どちらも原典版(広義)として扱われます。

 原典版(狭義)は、どれか「最も信頼できる」資料を選び、基本的にそれにのっとり楽譜を書き起こしたものです。
 例えば、ファニー・メンデルスゾーンの「Das Jahr(一年)」という、チャイコフスキーの「四季」と同様のコンセプトと言える毎月をタイトルにした12曲とエピローグからなるの小品集の場合、ファニーが自ら清書し、夫ヴィルヘルム・ヘンゼルが挿絵を描いて、そしてきれいに製本し一家に代々伝わってきた楽譜、という、信頼度も権威も十分過ぎる資料があります。なので、それをそのまま書き起こして、読みやすい印刷譜面にしてプリントする「原典版」が充分ありえます。日本で出版された福田楽譜版(現在絶版)はこの形をとっていると思われますが、楽譜のレイアウト変更などを行っていることから、若干の問題があるとは言えます。

 しかし原典版という概念には問題もあります。決定的な1つの資料が存在しない場合であるとか、あるいは作曲家が生きていた時代に演奏に使われなかった資料が、原典版の底本となる可能性があります。

 

  そこで現れるのが「批判的校訂版」です。関連する様々な資料を整理しリストアップし、そしてどんな系図でそれらの資料が関連しているかを分析し、それをたどりながら、一つ一つの相違点を明らかにし、できるだけ「オリジナル」の譜面に近づこう、と言う趣旨で編纂される楽譜です。基本的に、聖書の写本研究やシェイクスピアなどの写本の研究手法に基づいた手法です。

 例えば、ベートーヴェンのテンペストソナタの自筆譜は残っていませんし、初版も、またベートーベンが決定版として出版させたはずのジムロック版も誤りを多く含んでいます。ですので、そこら辺を、ベートーヴェンやその関係者が出版に関わった資料の系図をたどりながら、できるだけ正確な記載が出来るように、と言う観点で校訂するわけです。
 しかし、批判校訂版にも問題があり、例えば「同等の信頼度と思われる複数の写本を資料として校訂し校訂譜を作成したが、結局、作曲家や関係者が遺したどの写本とも一致しない楽譜が現れる」ということが起こり得ます。


 Das Jahrの場合、ファニーの清書譜と言う圧倒的な資料がありますが、一方で、Furore初版が底本としたスケッチという別の資料もあり、相違点がかなりあります。別の曲に差し替えられているところもあります。

そのため、批判的校訂版を作成する場合、スケッチと清書の間にはどんな関係性があり、それぞれいつごろ、どんな経緯で作成されたのか、というものを解説で論じ、その上で相違点が多い曲に関しては、仮に清書の曲をメインに印刷したとしても、別途スケッチのほうも印刷することになります。例えば6月は全く別の曲ですので、どういった関係で2つの曲が作曲されたのか、ということをわかりうる限り解説に記載し、両方印刷しなければなりません。 1月の終わりの部分も全く違いますが、当然2つ印刷されることになります。



・演奏用楽譜が時を経てばオリジナル楽譜に変化することも

 例えば、コレッリのヴァイオリンソナタ集には、同時代の他の作曲家による装飾がついた楽譜が当時多数出版されました。ローマンなど大物作曲家が自らの版を出版しています。これは、当時の、装飾をつけながら演奏すると言う演奏習慣を伝える極めて重要な資料であり、コレルリ自身が作曲した譜面通りではないものの、第一級の資料です。ですので、コレッリの作品5のヴァイオリンソナタには、決定版と言える初版があるにもかかわらず、批判的校訂版であるベーレンライター版においては、同時代の作曲家による装飾版も併せて掲載されています。

 18世紀までの作品、例えばバッハを、19世紀に出版した楽譜は「18世紀の演奏」を論じるなら「非オリジナル」で、余計な書き込みが多い演奏用楽譜ですが、例えばチェルニー編纂のバッハの楽譜を用い「19世紀前半の、ベートーヴェンからショパンの時代の音楽家が理解したバッハ像」を探るなら、チェルニー版のバッハの楽譜はある意味でオリジナル楽譜と言うことになります。当時のフォルテピアノ - ブロートマンとかシュタイン一族 - などの音を想像しチェルニー版楽譜を読んでいくと、かなり納得できます。



 また、「古楽」と言うのは作曲家が活動した当時、あるいは焦点を当てた特定の時代の演奏スタイル(例えばチェルニー時代のバッハ)を追求することですから、ベートーヴェンのピアノソナタを演奏するに際し、シュナーベルが残した楽譜はあまり意味がないように一見すると思われます。しかし、実際には、シュナーベルが演奏用楽譜に記載してくれたテンポの変化等の記述は、ベートーヴェンやそれ以前の時代から各種音楽書 - CPEバッハからチェルニーまで ー に記載される、「テンポの変化」について示唆を与えてくれるものです。もちろん、ベートーヴェンからは100年経っていますからその内容にはかなりの違いがあるでしょう。とは言え、現代の我々が想定するような、一定のメトロノームに常に曲全体を乗っけて弾く演奏とは全く違う演奏がまだ残っていた時代の記憶をシュナーベルは示しています。したがって、シュナーベルの楽譜と言うものは、確かに上記のコレルリのように同時代のものではないので「オリジナル版」とは決して言えず、批判校訂版に取り込まれることもないものの、重要な「古楽」の資料として価値があるわけです。仮に、シュナーベル版のような詳細な書き込み付きの譜面をチェルニーが作成していたとしたら、それはチェルニー版として、「チェルニー版に基づく原典版」がベートーヴェンのピアノソナタに関し、現在我々が目にする「原典(批判校訂)版」とともに出版されることになるでしょう。実際、チェルニーが「理論的実践的ピアノフォルテ教本(作品500)に記述したベートーヴェンの作品の演奏解釈は極めて貴重な資料です。


・楽譜のレイアウト変更に関する問題

 原典版や批判的校訂版であっても、編集者が指遣いなどを書き加えている例があります。これは、学習者にとって大変便利なものではありますが、一方で、想定している楽器は大半の場合はスタインウェイのピアノですから、例えば古楽器で演奏する場合には指遣いも変わってきますし、同じくモダンピアノで演奏するとしても解釈が違えば指遣いが変わります。そのため邪魔であると考える演奏家も多数います。

利用者が多い出版社で話をしますと、ヘンレ版とウィーン原典版は確実に指遣いが印刷されています。メールライター版には印刷されている本とされていないものがありますが、バッハなどでは両方の選択肢がありますが、そうでない作品に関しては、どちらか一方のみが出版されている場合もあります。



そして、もっとダメなのは、楽譜のレイアウト変更です。

 もちろん、作曲家が、音部記号を変更する手間を嫌って、例えば2声の部分で音の高さが高い場合、上段の譜面に両方書いてしまっている例もあります。しかし、和音の書き方など、記譜レイアウトによってなんらかのの示唆が与えられている例があります。

 例えば、ベートーベンのピアノソナタ第7番の第4楽章の冒頭部分のフレーズは、小節をまたぐ連桁によってアーティキュレーションが示されています。これを書き換えてしまっては正確に楽譜として使うことはできません。一見混み入ったような記譜でも、声部の書き分けや場合によっては手の使い分け、そして、ここからが重要なのですが、両手の使い分けによって、アルペジオやそれに伴うルバートまで示唆している場合があります(これは私独自?の解釈法なのでやってる人はなかなかいません)。クララ・シューマンのソナタでも、ファニーのDas Jahrにもその例があります。なので、混み合った記載の場合も、できるだけ拡大した譜面のような形で記載するなどして、楽譜レイアウトは変えないように作成するべきなのです。


 私がかつて音楽を学んでいた頃は、インターネットの導入が遅れたため資料が少なく、また私自身の解釈法も確立していなかったので、ここまで厳密な取り組みはしていませんでしたが、最後にクララ・シューマンのソナタを練習したことで、結局その途中で音楽はやめたものの、浅学ながら、わりかし深い意味まで読む読譜法を会得し、そして自らの演奏解釈とルバート奏法を得ることができたと思っています。感謝しています。