オルガ・トヴェルスカヤのフォルテピアノ演奏は本当に特別で、他では聴いたことのないような音と表現が聴こえてきます。

 

 まず、トヴェルスカヤの経歴を見てみたいと思います。

 

 トヴェルスカヤは1968年レニングラード生まれです。同じ年には最初のCDで共演しているレイチェル・ポッジャーも生まれていますし、これまた若くして引退したチェンバロ・フォルテピアノ奏者ゲイリー・クーパーも同年生まれのようです。

 

 レコード芸術が1999年2月の来日時にインタビューしており、それによると、家族には音楽家はおらず、母親が「ピアノをなさいよ」と言ったのが始まりだそうです。

 

 CD解説によれば、ソ連ではモダンピアノで活動し、若い音楽家の為のテレビにも出演したそうです。インタビューによれば、当時からハイドンやシューベルトを好んで弾いていた模様です。

 古楽器については「ロシアで勉強していた頃の最後に、チェンバロというものがあり、ロシアでも演奏する人がいるということを知った」そうで、古楽器との接点は特になかった模様です。従って、リュビモフとも特に接点はなさそうです。

 なお、しらかわホールで行われたコンサートのチラシには、ミンスクでも勉強したと出ていますが、CDなどほかの情報源にはミンスクのことは出ていませんでした。https://www.shirakawa-hall.com/dl/archive/1998/19990209_merged.pdf

 イスラエルへ移住したのは1990年の模様です。


 少々話は逸れるのですが、当時、ソ連からイスラエルへは多くの人々が移住しました。これについては、別の投稿に今後書きますね。

 

 トヴェルスカヤが、どんな背景で移住したのかはわかりません。しかし、彼女はインタビューで、母と移住したこと、ロシアにいればピアノ教師で終わってしまうと思い、演奏家としてキャリアを積むために移住したのだと語っていました。イスラエルではコンクール優勝などもあった模様で、モダンピアノで活動していたようです。そして、イスラエルで、フォルテピアノの存在を知り、「アメリカかイギリスにそうした楽器を教える人がいる」とのことで、1992年、イギリスへ向かった模様です。

 

 イギリスでギルドホールに全額奨学生として入学し、クリストファー・カイトに師事したようです。カイトはフォルテピアノでメンデルスゾーンやショパンのコンチェルトも録音していますが、1994年に47歳で亡くなっています。

 1993年には、International Early Music Young Artists Competition にスコットランドのソプラノ、マイリ・ローソンと共に優勝し、ハイドンのイギリス・スコットランド・ウェールズ歌曲集を録音してCDデビューしています。その録音は、レイチェル・ポッジャーとトヴェルスカヤが共演した唯一の録音にもなっています。当時、ポッジャーによると、ポッジャーとトヴェルスカヤは当時、モーツァルトのソナタをトヴェルスカヤの家で演奏したりしていたそうです。

 

 そして、トヴェルスカヤはハイドンのCDを出したOpus111から継続してCDを出すようになります。第二弾はビオンディとのシューベルトのソナタで、そして1995年9月には、フォルテピアノ録音の金字塔といえる、シューベルトの大A-DurソナタD959を録音しています。もうこれは圧倒的な録音です。

 

 続いて1996年に録音した「Music at the court of St. Petersburg vol.1」では、彼女自身の楽器である、デイヴィッド・ウィンストン製作のヨーゼフ ・ブロートマンのコピーが使われています。レコード芸術でのインタビューによれば、支援者からの支援を受けて購入できたそうです。

 

 その後も録音を続け合計11枚が出ています。しかし、Opus111 が Naïveに身売りするのと関係したのか、リリースはヴォジーシェクとチャイコフスキーで途絶えています。他にもシューベルトと、(なんと)アレンスキーのピアノトリオの計画があった模様であるにも関わらずです。

2003年には、演奏活動を続けていたものの、CDは廃盤だった模様で、http://www.musicalpointers.co.uk/reviews/cddvd/OLGA_TVERSKAYA2.htm

その後情報はなくなります。

 

 

 ツイッターで色々尋ねてみたところ、彼女が生きているという情報は得ています。ご家族とイギリスにお住まいの模様です。