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熊本で地震!!!地震時急いでやったこと!




のんびりとパソコンを見ていたら、


突然、携帯の地震の緊急速報が鳴った。


この音なんだよ?!!


すごく不安にさせる音。


その瞬間、逃げるまもなく大きな横揺れが30秒ほど続いた。


あ、これやばい奴だ。


テーブルの下に隠れる。


震源地に近いところに住んでいるため、揺れがひどかった。


ひとまず、物など家屋含めて大丈夫だったかが、
かなり恐ろしかった。


まだまだ余震が続いている。


まず、やったことは、


① 部屋の扉を開けた。

 地震で建物が歪んだら、開かなくなる可能性があるため。


② 水が出るか確認と風呂桶に水をためた。


 どうやら、これ大事らしい。
 トイレ用の水として使用するらしい。
 ひとまず、よくわからないけど貯めてみた。


③ 靴と懐中電灯の準備

④ 着替えの準備

⑤ 救急袋の中身確認



 とりあえず、こんなとこかな?


これからも余震が2週間ほど続くとのことだから、
気を付けなければいけない。


久しぶりに恐ろしい体験だった。



大学の文学部は不要なのか?



よく言われる大学の文学部卒の社会に出てからのポンコツぶり。


かくゆう私も実は文学部より(正しく言えば言語より)の学部学科を卒業した人間である。


社会の大学文学部不要論にいたたまれない気持ちになりながら、要・不要を改めて考えるとなかなかすぱっと結論が出ないでいる。


文学系学問を学ぶのは、趣味であると思っていた時期もある。
実学ではない。

社会に出て、仕事をしていく上で、直結するような知識にも武器にもならない。

ただの自己満足と。何の役にも立たない。


長い人生のモラトリアム期間。
4年に及ぶ夏休みのようなもの。
趣味の世界に没頭する時間を与えられたようなもの。


そしてできあがるのは、厭世的で閉鎖的な自己陶酔型のダメ人間である。


文学部卒の人間のなれの果てはこんなもん。


自虐的にそう思っていた時期がある。

文系の人間は、理系の人間に比べて、言語能力に長けているため、コミュニケーション能力が高いと思われがちだが、実際はそうではない。


社会にでてからは、有能にみえる理系との差別化のために、それだけを精神的な柱にして、それだけを武器にして、なんとか社会の荒波を乗り越えようとするが、今思うにコミュニケーション能力に理系も文系も差なんてない。


個人の能力差・経験値の差  それに尽きる。
文系・理系         関係なし!!!


大学に在籍していいる間も、社会に出て何の役にもたたないだろうな~と半分不安になりつつも、文学や言語を学んでいるときは、正直本当に楽しかった。
この知識が未来にどう役に立つとかそういうものは一切考えず、ただ今その時がキラキラしていたのである。


東大文学部中退の堀江貴文さんが、はっきりと「文学部はいらない」と断言されている。
「ネットや本で自ら学べばいいから」だそうだ。


確かに一理ある。
気持ちはよくわかる。


ただ、思い出すのは、あの授業の高揚感。


私よりはるか高みに存在する知識と経験の塊のような教授陣の授業。


まだまだ先がある。まだまだ上がある。


私の知らない世界が、まだまだどこまでも広がっているんだ。


原稿なんてものはなく、頭の中にある深く広い知識と美しい日本語で、
これまたなんの飛躍も漏れもない整然としたわかりやすい説明をスラスラと話される。


教授の口から出る言葉の一つ一つが珠玉の言葉であり、
文字に起こせばそれだけで名作が生まれるんではなかろうかというそんな感動。


私には見えなかった世界の扉が、一つ、二つと目の前に現れる感覚。


教授がその扉へと続く階段を言葉で紡ぎ出し、「あの扉の先へ行ってごらん」と優しく背中を押してくれるあの感覚をあの感受性の強い時期に味わえたからこそ今の自分があるような気もする。


自ら学ぶことや自ら探求し、得ていくことはとても大事だけど、自分よりはるか先を行く人々に彼らが見ている世界の一端を見せてもらえるのは本当に貴重な経験ではなかろうか。


文学や言語の面白さは十分理解しているつもりだったが、
授業を聞くたびに、毎回目の覚める思いで、自分の浅はかさを恥じた。


文学部の意義を問うというテーマから少し横道にそれてしまったが、
私は、やっぱり文学部は存在していてほしいと思う。


文学や言語を学ぶ人がいなくなれば、人に重要な遊びの部分や余白の部分を失い、ロボットのような人間ばかりになり、深みもなにもない平坦な社会が到来するのではないかとなんとなく思ってしまうのである。


文学を学ぶというのは、「人のこころ」を学ぶということなのではないかと思う。


文学を否定してしまうといのは、その「こころ」の存在を否定するようなものではないかと。


物事をデータや客観的事実でとらえ、論理的に考え、結論を出していくことを求められることが多く、それが有能さを表す一つの指標ではあるけれど、そこに「こころ」がないと真の意味で正しく物事は進んでいかないと思うのだ。


人の想いを理解できなければ、世界は動かない。
世界は、人の想いの集合体だ。


私自身、文学を学んだから「人のこころ」を完璧に理解できます!とは、とても言えるレベルではないし、はるか高みにいる教授陣もそんなこと言う人はいないだろうけど、文学を通して、こころを理解しようという一連の営みが、どれほど自分を成長させたか。

これは、間違いなく断言できる。


社会の即戦力には、なれなかったけれど、
人のこころを常に見つめ、考え、行動できる人間になれたとは思う。



だから、文学部にいて、学んだことは決して100%無駄だったとは思わない。

私を形作り、世界を広げ、人としての深みを与えてくれたのは、
間違いなく文学部で過ごしたあの時間だったといえる。



そんな人間が、社会の一部にいてもいいんではないだろうか。


どうか文学部が、細々とでも存続できるような社会であってほしい。


消えてしまいそうな文学部をそっと応援したい。






暗殺教室を知ってほしい



漫画から始まり、アニメは二期、映画は二作目が公開と大変話題の作品である。


私は、「暗殺」という響きと教師と生徒という構図で、勝手な先入観で「バトルロワイヤル」的な話だとおもっていて敬遠していたのだが、アニメを見る機会があり、ひとまず全話視聴の上、どうしても先が知りたくなり、ついには漫画を最新刊まで読破してしまった。


これから先は、ネバばれも含むので、
全く先入観なく、この作品を楽しみたいと思う方は、そっと画面を閉じてほしい。





 この作品のあらすじだけさくっと話すと、

「殺せんせー」こと超生物が、一年後の3月に地球ごと吹っ飛ばし、人類ともども滅亡することを宣言した。どんな作戦や部隊をもってしてもマッハ20の速度で動く「殺せんせー」を倒すことができない。
そんな中、「殺せんせー」が出した条件は、ある落ちこぼればかり集めた中学生(3年E組)達の教師をする代わりに、そこの生徒たちに自分を暗殺させるということ。生徒に殺せんせーから手を出すことは一切ないという。


「暗殺」という絆で結ばれる「先生」と「生徒」


 とても奇妙で壮絶な話かと思いきや・・・・・。





一言でいえば、非常に心温まるスト―リーなのである。




暗殺という殺しの訓練を生徒たちが毎日受け、隙あらば「殺せんせー」を殺しにかかる日々なのであるが、この「殺せんせー」が実にチャーミングで、愛嬌のあるキャラな上に、最強の素晴らしい教師なのである。



生徒一人一人の個性を大事にし、よく話し、よく聞く。
そして、よく教え、よく見守り、よく叱り、よくほめる。


超生物でどんな方法でもなかなか死にそうにないスーパーモンスターなのに、生徒のことを誰よりも大事にしている。


生徒たちが成長して、その生徒たちに暗殺されることを心待ちにしている。


なんだか複雑な心境になるけど、不思議とそこまで殺伐とせず、
先生と生徒のハートフルストーリーになってしまっているのである。


その辺のさじ加減が非常にうまくできている作品なのだ。


殺せんせーの言葉には、本当にはっとさせられることが多い。


教育とは何か。


成長とは何か。


3年E組の生徒たちと殺せんせーのやりとりの中で、深く深く考えさせられる。




あの黄色いモンスターに、違和感を覚えてしまって、
食わず嫌いの大人も多いことだろう。


でも、きっとちゃんとこの作品の本質と向き合えば、
これは単なるお子様向けの娯楽作品ではないことに気づくはずだ。


映画は、かなり詰め込みすぎで、はしょられている感じがあるので
できたら漫画かアニメでもみてほしい。



確か連載では最終回を迎えたはずなので、
どんなラストがみんなに待ち受けているのか。


最新刊が出るのが待ち遠しい。>









今、真田丸が面白い!



V6岡田君の黒田官兵衛に引き続き、

私が最も尊敬している吉田松陰先生がでてくるその妹の一生を描いた花燃ゆを見て、

今、「真田丸」を視聴している。



いやー、真に素晴らしい。


実に、面白く、毎度「アッパレ」と手を叩いて賞賛したくなる。


三谷幸喜作品ということもあって、


展開の鮮やかさやセリフの妙、スピード感は見ていて爽快な気分になる。


キャスト陣もばっちりハマっている。

(ただ、長澤まさみさん演じる「きり」だけは、なぜにあんな人物像になったのか謎。
主人公を一生支えていく側室となるには、あまりに軽薄で、存在がウザすぎるのではないか???)


特に、草刈正雄のすばらしさは、ため息が出る。


正直、堺雅人演じる主役の信繁を完全に、凌駕する存在感!!


私の父親が、大変な戦国好きで、
大河が始まる前に、真田一族の話を最初から最後まで
実はいろいろと聞かせてもらっているので、どういう流れを
一族がたどることになるのか知っているのだが、
父がいうには、


真田家は、信繁(幸村)よりその父の昌幸そして、さらにその父の幸隆のほうが大人物であったとのこと。


真田幸村は、負けるとわかっていながら豊臣家に最後まで仕えて、散った英雄。


日本人は、負けた英雄に弱い。
源 義経から始まる判官びいきってやつである。


とまあ、とーちゃんのほうが実は本当はすごかったんだってことを
言いたかったわけだが、ドラマを見てもそれはひしひしと伝わってくる。


一族をひたすら守り抜くために、
時に冷酷非道になりながらも必死で策を練り、生き抜いていく。


父の大きな背中を見ながら、育つ兄弟もまた、
迷いながらも一族の未来のために奔走する。


力が弱く、小さいために
大きな力にねじ伏せられないために。


色々な武将の家臣となり、人質となり・・・。


その必死な様を見ていると、ほんと力無きことの無念さが
心に響く。


それでもあきらめず、たくましく、したたかに
生きていく真田一族が涙ぐましい。


弟の信繁は、上杉の人質になり、その後豊臣へ。
兄の信幸は、徳川の元へ。


家族がバラバラになりながらも、
一重に心には真田のためを思って、それぞれの道を
進んでいくのである。



関ヶ原の戦いで、兄(徳川) VS  弟と父(豊臣)として
対戦することとなる。


このときの兄弟や父の思いを考えると胸が痛くなる。


しかし、どっちが勝っても負けても
どちらにも真田の者が根を張っているので、
一族は滅びることなく、生き延びるのである。



これもまた真田の策!!!



これを父から聞いたとき、
衝撃が走った。


歴史に疎く、特に真田のことは全く知らなかったので、
非常に興味深かった。



ドラマは、まだまだ始まったばかり。



父と兄と弟の生きざまをどう描き切るのか。



毎週、日曜日が楽しみである。




















日本文化 ~茶道の心~




今日たまたま見ていたテレビ番組で、


芸能人のみなさんの常識チェックというのがあった。


その中で、お茶会に呼ばれたときの作法をチェック
するという企画があったのだが、非常に勉強になるとともに
とても心惹かれるものがあった。


若いときは、いちいち回りくどいことをして
もったいつけて、この面倒な一つ一つの作法
(主にこれしてはいけない系)になんの意味があるのかと思っていた。

しかし、今回この番組で
一つ一つの作法の意味合いを知り、
日本人の美しさの極みを見た気がする。


茶室の中では皆平等である。
茶室へ入るには、頭を下げて入らざるを得ない。

畳のへりを踏んではいけない。
へりには、昔は主の家紋があしらってあったため。


床の間に飾られた掛け軸や華を鑑賞すべし。
なぜなら、茶会の主が客人をもてなすために、
あえて飾ったものだから。
その心に応えるため。

出された菓子は、皿の上では食さず、
持参した台紙に乗せ換えて、茶が出される前に
食べること。
皿の上で、食べると相手の皿を汚してしまうため。
また、菓子は次に出される主役のお茶を引き立てる役割を担っているため。


お茶の椀は、正面があるという。
その正面を客人に向けて出される。
その心遣いに応える形で、あえて正面をずらして
お茶を飲むこと。
そして、飲み終えたらまた正面に戻して椀を置く。


作法の一つ一つが、常に相手の心遣いに敬意を表し、
お互いを思いやる気持ちにあふれているのである。


饒舌に語らずとも伝わる心のやりとりに
非常に感動をおぼえた。


作法を形式的にとらえてしまうと
茶室は緊張感のみの異質な空間になってしまうけれど、
作法の意味と心を理解して、敬意と感謝を込められれば、
きっと自然で穏やかな温かみのある空間へと変わるんだろう。


茶を通して、もてなす者と
そのもてなしを受ける者。


一体となって作り出す「和」の空間。


いつかそんな場所で、素晴らしい時間を過ごしてみたいものである。





断罪する国、日本





最近の日本は、

日本の陰湿な嫌~~~~な部分が

ひどく全面に押し出されており、

さらに、その嫌な部分を開き直って、楽しむ雰囲気にある。




「真実ですから!」という免罪符を掲げて、

つぎからつぎに放たれる文春砲。


嘘で塗り固めた化けの皮をはがす感覚。


鬼の首を取ったかのように、過ちを断罪する人々。


淑女を、聖人を、賢人を売りにしておいて、


よくも裏切ってくれたなと。
よくも嘘ついてくれたなと。


正しさは正義!だから正義のもとに断罪する!




嘘と欲と罪と見栄と過ちに、満ち溢れた生活を送りながら、
一方では、正義面して、大衆に紛れて、声高々に正しさを語る人々。


栄光からの転落劇をおもちゃのように、もてあそび、楽しむ人々。


人の不幸がエンターテイメントになり下がり、
それ一色に染まる日本。



この国は、近いうちに終わるのかもしれない。








2014年大河 黒田 官兵衛 

黒田 官兵衛 は

ダウンタウンの松っちゃんが熱く語っていたこともあって

非常に興味のある武将であった

それをあのV6の岡田くんが演じるというのだから

もう見ないわけにはいかない

今日の放送を楽しみにしていた

ストーリー展開、スピード感、間の取り方、セリフの妙

配役、演技と息遣い

ともに非常によかったと思う

ただ、惜しむべくは

なんだ あのオープニング????

とんでもなく古臭く感じたのは私だけだろうか

CGの使いどころが下手すぎるような気がする

全体的にダサい

岡田くんというすばらしい素材がありながら

まったく生かしきれていないOPである

黒田 官兵衛が水にこだわりがあったことで

水をモチーフにしているのだが、画面が全体的に白くぼやけてしまて

さらにモロにCGです!ってのが見え見えで

90年代初頭のレベルのCG感が漂っている

もっと当たり前の偉大な自然を前面に押し出して

雄大さと鋭さを演出すればよかったのに

とにかく残念すぎる

岡田君は乗馬をやっていて、馬の手綱さばきも上手だし

颯爽と馬に乗って駆け抜けるシーンだけでも絵になるはずだ

不自然なCGとの融合(まったく融合しきれてないけど)は

視聴者を興ざめさせてしまうだけだ

まあ、オープニングには目をつぶって

これからの中身を楽しみにしたい

2014年は年間の日曜の楽しみができた


今後に、大変期待したい



外見の良さは武器

自分は、まったくもって女性らしくない

自分でもあきれるほどだ

中身がよければそれでよいという考え方なわけで

それは男女ともに共通していると思っている

だから、外見にこだわり、着飾り、磨くことを

嫌悪し、軽蔑している

しかし、世の中は全く違う

みんな自分を良く見せようと必死で

外見の魅力を増すアイテムが飛ぶように売れ

外見の良い人が崇め奉られ

外見の良さがまるで人間の価値そのものかのような

扱われ方である

この風潮に辟易としており

自分は違うと一線を引いて

わが道を行くつもりだった

しかし

最近ようやく気づいた

外見を磨くことをしないということは、怠慢であり、ただ逃げていただけということに

ただただひたすら面倒くさかっただけだということに

少数派を気取り、高尚な精神論をふりかざしていたものの

それは屁理屈にすぎず

凝り固まった自尊心の殻の中に閉じこもり

世間の批判から身を守っていたにすぎない

外見の良さは 武器になる

武器は多いほうがいいに決まってる

中身ももちろん大事だが


今年は 自分の外見の魅力を高めることを目標にしよう

今までいろいろな武器を磨いてきたけれど

なかなかその武器を使う機会にめぐまれない

懐刀はたくさんあるのに

ゲームのように面白おかしく

磨いていこう

ミッションをこなすように

クエストをこなすように


短期決戦で


今はゴツゴツした石ころのような状態だけど

それがどう光り輝く価値ある石に変貌するのか


自分で自分自身が楽しみである




住まいを充実させるということ



最近、引っ越した。

とても良い物件にめぐり合うことができた。

何度か引っ越したが、一番暮らしやすい物件である。

適度な広さ、落ち着きのある色合い、充実した設備。

正直、文句のつけようがない。

20代のころは、一切、自分の部屋を何とかしようという気が起きなかったが

今は、この快適な空間をさらに快適にしようといろいろと画策している。

無駄なものやチープなものをすべて捨てて、

一生使いたいと思えるもののみ残し、また新しいものを買うときも

何度も吟味して、一生ものと思えるものや本当に心から好きだと思ったもののみ

買うようになった。

20代のころは、とにかくその場をしのげればいいと思って、

食器などは、プラスチックのものなど使っていたが、それではあまりに

料理が味気ない。

安い絨毯を敷いていたが、部屋の印象が悪くなり、すわり心地も悪かった。

色の統一感や部屋の全体的雰囲気も考えずに、物を買っていた。

そんな部屋で落ち着けるはずもなく。

今は、色を茶系で統一し、モダンな雰囲気を大事にした部屋作りを心がけている。

食器も丁寧に選んで、一生ものをひとつひとつ増やしていっている。

どんどん部屋が充実していき、変わっていくのが本当に楽しい。

外か会社か家。

この3箇所にしか自分はいない。

外や会社は、なかなか自分の思うようにいかないことが多い。

家だけが、自分の好きなようにできる。

だからこそ、もっと自分の住まいを充実させ、心が安らぐ自分だけのとっておきの空間にしたい。

この部屋に何年住めるかわからないが、今後の自分のためにも部屋作りに力をいれていきたい。





MONSTER


最近、とてもハマって飲んでしまう飲み物がある。


MONSTER(エナジー)(グリーンの方)

というアメリカ発のエナジードリンクである。

糖分も多いので、飲みすぎには注意しなくてはいけないが、

飲むと不思議なことにテンションがあがり、行動力UPの上、頭がスッキリする。

このすさまじい効果は、ちょっと危険な感じもしないでもない。

なんで、よっぽど疲れたときや、踏ん張らなくてはいけないときのみ

飲むようにしている。

リポビタンDやオロナミンCを甘ったるくした感じなのだが、

炭酸なので、結構スカっと飲める。

200円くらいするのが、ちょっと痛い。

ちなみに、カオス(オレンジの方)は、味が薄くてあまり効果を感じない。

何か力を出したいときや集中して何かに取り組む必要があるときは、

MONSTERはオススメかもしれない。

ただ、どこにでも売ってるわけではないのがツライ。

ほぼどこにも置いてくれてないし、安くもならない。

もうちょっとどこでも手に入るようにしておいてくれたらいいのに。

仕方ないので、アマゾンに頼るしかないのだが。。。

中毒には注意して、うまく付き合っていきたい飲み物である。








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