75 アシュラリスト 帰宅難民
平成23年3月11日
地震発生後、店内に外国人夫妻が危険を察して入ってきた。
ビルの中から出てきた人は、道路中央に避難(?)している。いずれもビルからの落下物から身を守るためだっだのだろう。
揺れがひどくなり、動揺も大きくなる。
会社のビルの横壁の一部が崩壊した。
さて、就業時間が過ぎて、上司から帰れる者は帰ってよいと指示が出て、帰宅準備をした。数時間歩くことになるので、革靴を置いて、スニーカーを履いて会社を後にした。午後5時20分、外に出て国道沿いに家の方向に向かう。日はまだ明るい。目に飛び込んできたのは、普段の3倍くらいの密度で歩く人々。この光景は一体なんだろう?そうだ、花火大会が終わって、帰る人々の光景と似ている。車もほぼ、お盆の帰省ラッシュさながら、一直線に完全渋滞している。高速道路は閉鎖されている。車内にいる人たちも疲れを隠せない。移動体ではなく存在体(一時的オブジェ)になっている。心も未体験ゾーンに入った。
ここにいる人の目的は一つ「帰宅」だ。はじめはさっそうと歩いていたハイヒールあるいは、ブーツの女性たちも、歩くのをやめ、沿道で休憩している。スニーカーの私でさえ、足が痛くなる。革靴は避難向きではない。しかし、多くの人々は、地震を想定して、準備している人も多くはない。すでに1時間近く周りの見知らぬ人々と一緒に歩き続けている。そこには様々な表情を見せている。サラリーマン・OLのほか、学生、子供を心配する父親、買い物帰りに荷物を持った主婦。ツアー中の外国人のグループ。手をつなぎルンルン気分のカップルなど…。だんだん暗くなり、東京地方の温度は8度くらいまで下がり、折からの強風でさらに寒くなり、体感温度も3度くらいは下がっているだろう。コートの襟を立ても、首筋に流れ込んでくる風が冷たい。ウキウキ気分の若いカップルはおしゃべりも口数も少なくなり、メールの書き込みも頻繁でなくなり、無口で黙々と歩くようになった。彼女の話しかけにも、「おぅ」とか「そう」という単語しかない。私はいちいち聞き耳を立てていたわけでもなく、それほど近くに隣接し、ほぼ同じスピードで歩行移動しているので、聞きたくなくても聴覚が反応するだけだ。このようなシンクロ体験は、日常生活ではまず有り得ないことだろう。
沿道の作業服専門店に長い行列ができている。ハイヒール・ブーツの女性・革靴の男性は作業服専門店で廉価なスニーカーを購入、店の袋に自分の靴を入れ、購入したばかりのスニーカーに履き替え、歩き始める。
また、沿道の自転車販売店にも行列ができている。手書きの看板には「現在引き渡しまで2時間!」と書いてあった。
ほとんどのコンビニは満員で、パン、飲料水を購入している。寒いため、簡易カイロも飛ぶように売れていた。どのコンビニでも見られたが、トイレに行列ができている。沿道各所にある公衆電話も行列ができている。携帯電話が不通になっているためだ。私は都心から横浜方面に歩いている。歩きながら、葬儀の案内板が見えた。そういえば、どこかの学校は卒業式だった。
歩き始めて1時間を過ぎていた。足腰が重くなる。渋滞しているさまざまな車(渋滞というより、道路に直列駐車状態)のさまざま排気ガスを吸い続け、花粉症にもあおられ、目がかゆく、連続くしゃみ。運動不足による肉体的負担。さらに折からの強風はビル風となり、風力はさらに強まる。健康体であっても体力とメンタルは容赦なく攻撃される。今日の朝、軽装で出勤したと思われるサラリーマン、OLにとっては一種の責め苦にも見える。
道路標識で目的地(自宅)までかなり近くなったことに気付く。それ程歩くことに集中することは珍しいことだ。確かに観光ではないのだ。歩き続け2時間は過ぎたと思う。専門家によると、人が一気に歩き続ける距離は、約10キロメートが限界だという。果たして何キロ歩いたのかはわからない。
ここから、国道を離れ、自宅に向かう道に分かれる。見知らぬ人と寡黙に歩き続けたが、その団体(未知のコミュニティー)から離れると妙な寂しさを感じ、冷たい風が一層冷たく感じ、くしゃみが鼻の奥をうならせる。鼻水が目の痒さを倍増させる。
そして、よく寄る中華料理店に入る。暖かい店内で大脳に安らぎを与え、栄養を補給する。寒さで指がしびれる。しかし、体は目の前の食糧獲得にあせっている。
すでに4時間ちかく時間が過ぎていた。
家に着く。部屋の中のいろいろなものが崩れ、散らかっている。
さっさと後片付けをして、ほこり立つ部屋の中、鈍い疲労感に抱かれ、少量の酒で崩れるように寝た。「みんな、たいへんなのさ…」、とつぶやく。そして意識は睡眠に飲み込まれた。
社員のほとんどは会社で一夜を過ごしたことだろう。
朝始発のJRは大変な混雑だったと聞いている。
翌朝、食料を確保しようと地元のコンビニへ。そのコンビニの経営者と立ち話をする。
「昨日は大変でしたね」
「人もモノも大変だったよ…。あんなにたくさんの人が店に入るなんて…。」
パン、弁当、おにぎり、麺類など主食となるものは商品棚にはみごとに置いていなかった。というか売り切れてなくなっていた。
「これから物流の支障が起きるよ」と…。困惑と疲労が無口にさせた。
☆
ゼーレの眼
私は、帰宅時、ペットボトルの飲料水は購入していたが、徒歩帰宅の中、途中空腹感を感じ、何度か飲食店に入ろうかと思ったが、そうしなかった。それは「食べれば、出る」ということだ。コンビニのトイレは行列、生理機能の抑制は無駄なストレスを連れてくる。1食抜いても、命にかかわることはい。
会社から自宅までの歩行距離またはその所要時間の把握、またその間でどのような身体的ローテーションを認識しながら、避難する。それも大切なことだが、今そこで何が起きるかわからない、人の行動は不可思議で、突発創造的で、可愛くて切ない。
ただ、私の周りの未知のコミュニティーは、小学生のバス遠足さながら、あたかも「目に見えないガイドさん」の旗のもと、整然と歩き続けた。
私は歩きながら「目に見えないガイドさん」のことを考えていた。それは「無知のベール(米政治哲学者:ジョン・ロールズ)」ということ。人は「無知のベール」の後ろにいる。そして平等の状態を作る。背後の原初状態、お互いに年齢や性別、人種、社会的地位、などを知らない状態。
「恵まれた者は、恵まれない者の状況を改善するという条件でのみその幸運から便益を得ることが許される」(ジョン・ロールズ)
裕福というわけではないが、命はある、慎ましいが食料と雨風をしのぐ部屋もある。私には一体何ができるだろうか?
今回の地震で、お亡くなりになられた方々にはご冥福をお祈りします。
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「東北地方太平洋沖地震」(気象庁):平成23年3月11日午後2時46分三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震発生。
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