告知46 四川省大地震 国際緊急援助隊
四川大地震(しせんおおじしん、しせんだいじしん):中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間(CST中国標準時)2008年5月12日14時28分(JST日本標準時15時28分、UTC協定世界時6時28分)に地震が発生した。
政治的な障害を乗り越えての、緊急支援活動だった。
福田首相(当時)は12日、四川省の大地震を受けてお見舞いのメッセージを送った。その中で日本政府としてできるだけの支援を行う用意があることも表明した。しかし13日夜、中国政府は「要員の派遣は当面必要ない」と正式に連絡してきた。また日本の民間団体も支援に乗り出そうとしたものの、中国の駐大阪総領事館に「外国からの支援は受け付けていない」とはねつけられる一幕もあった。その後、生存率が極端に低下する地震発生から72時間経過後の15日、日本政府が派遣する救援チームを受け入れることを中国は発表した。
そこで、1枚の写真が日本と中国に風穴を開けた。それは人としての優しさという風穴だった。
関連するYou Tubeは下にあります。
☆
ゼーレの眼
実は、トルコ大地震(平成11年(1999年)8月17日午前3時2分〈日本時間午前9時2分〉頃、震源:イズミット)における、日本の緊急援助隊の活動もそうだった。
1999年10月8日、都内の商社主催の「トルコ地震報告会」のことだった。前半は東京大学地震専門のトルコ人留学生による「トルコ地震」発生のメカニズムの説明とその経緯、後半は、8月17日(地震発生日)~24日(8日間)までの政府の国際緊急援助隊(外務省、自治省消防庁、警察庁、海上保安庁、防衛庁及び医療チーム等による組織、団長以下39人・うち東京消防庁12人)の中の東京消防庁チームの方3名による苦労話とスライドの公開があった。TV又は新聞では公開されていない現実を知るという意味で、結構、悲惨なものがあった。
可愛いはだしの両足だけ見えてて、建物に身体を押しつぶされてしまった幼い少女、近くに赤い靴がふたつころがっていた。ディスコで楽しんでいたカップルが落ちてきた天井の下敷きになって寄り添うように圧死しているスライド写真等公開してくれました。もはや援助打ち切り、やむなしと判断された隊長は、隊員横一列になって「黙祷!」の掛け声により、遺体に対し弔いの礼を捧げた後、後ろ髪を引かれる思いで、現場を後にしたという・・・。また、現地に到着した隊員達は寝ずの救出活動で、リュックに入れた固いフランスパンを少しづつかじりながら食べながらの作業だったようだ。そのため排便も2日に1度あればいいということだった。
私の記憶が正しければ、隊員たちから、わが子に黙祷を捧げられた父親は、その行為に感動・感謝しながらも、「私の子供はもうだめだ、どうかほかの生存者救出にあたってください」と涙ながらに言っていたという。ヨーロッパ圏の援助隊は、死亡が確認された場合すぐに現場を後にしたという。文化の違い・対応のシステムに差異があるから、微妙な問題もはらむ。しかし、トルコのメディアには好意的に受け止められたと記憶している。
◇
AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」と画像(You Tubeコンテンツは除く)
転載、コピー等はご遠慮ください。
Copyright(c)1999-2010 Toshimitsu Kuriki. All Rights Reserved.
四川省大地震 国際緊急援助隊
四川大地震(しせんおおじしん、しせんだいじしん):中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間(CST中国標準時)2008年5月12日14時28分(JST日本標準時15時28分、UTC協定世界時6時28分)に地震が発生した。
政治的な障害を乗り越えての、緊急支援活動だった。
福田首相(当時)は12日、四川省の大地震を受けてお見舞いのメッセージを送った。その中で日本政府としてできるだけの支援を行う用意があることも表明した。しかし13日夜、中国政府は「要員の派遣は当面必要ない」と正式に連絡してきた。また日本の民間団体も支援に乗り出そうとしたものの、中国の駐大阪総領事館に「外国からの支援は受け付けていない」とはねつけられる一幕もあった。その後、生存率が極端に低下する地震発生から72時間経過後の15日、日本政府が派遣する救援チームを受け入れることを中国は発表した。
そこで、1枚の写真が日本と中国に風穴を開けた。それは人としての優しさという風穴だった。
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ゼーレの眼

実は、トルコ大地震(平成11年(1999年)8月17日午前3時2分〈日本時間午前9時2分〉頃、震源:イズミット)における、日本の緊急援助隊の活動もそうだった。
1999年10月8日、都内の商社主催の「トルコ地震報告会」のことだった。前半は東京大学地震専門のトルコ人留学生による「トルコ地震」発生のメカニズムの説明とその経緯、後半は、8月17日(地震発生日)~24日(8日間)までの政府の国際緊急援助隊(外務省、自治省消防庁、警察庁、海上保安庁、防衛庁及び医療チーム等による組織、団長以下39人・うち東京消防庁12人)の中の東京消防庁チームの方3名による苦労話とスライドの公開があった。TV又は新聞では公開されていない現実を知るという意味で、結構、悲惨なものがあった。
可愛いはだしの両足だけ見えてて、建物に身体を押しつぶされてしまった幼い少女、近くに赤い靴がふたつころがっていた。ディスコで楽しんでいたカップルが落ちてきた天井の下敷きになって寄り添うように圧死しているスライド写真等公開してくれました。もはや援助打ち切り、やむなしと判断された隊長は、隊員横一列になって「黙祷!」の掛け声により、遺体に対し弔いの礼を捧げた後、後ろ髪を引かれる思いで、現場を後にしたという・・・。また、現地に到着した隊員達は寝ずの救出活動で、リュックに入れた固いフランスパンを少しづつかじりながら食べながらの作業だったようだ。そのため排便も2日に1度あればいいということだった。
私の記憶が正しければ、隊員たちから、わが子に黙祷を捧げられた父親は、その行為に感動・感謝しながらも、「私の子供はもうだめだ、どうかほかの生存者救出にあたってください」と涙ながらに言っていたという。ヨーロッパ圏の援助隊は、死亡が確認された場合すぐに現場を後にしたという。文化の違い・対応のシステムに差異があるから、微妙な問題もはらむ。しかし、トルコのメディアには好意的に受け止められたと記憶している。
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