65 アシュラリスト 故郷
昨日は故郷で中学時代の同窓会だった。昨年の学年同窓会の規模からすると参加者は少なかった。それはクラスの同窓会だったからだ。その分、かなりコアな部分、知らなかった当時の情報などが聞けた。あたかも飛び出す絵本がごときに…。
故郷の散策、そぞろ歩き。それは記憶に踏みこむ感覚だ。ここには人生の「幼心の君」が詰まっている。ばんな寺のほとりの池のカモが20羽ほどいる。しばらく眺めていると集まってくる。きっと餌付けされているのであろう。ここはまだ高い建物がなく織姫山、両崖山など見渡せ、空も広い。ここでは都会の圧迫感はまるで感じられない。
テレビが自宅になかった少年時代に、町内の子供たちといっしょにテレビや映画を見た「家富町自治会館」も現役に存在していた。空にささる鮮やかな柿の実。歩道の照り返しがまぶしい。
知り合いの先輩の同級生(私から見れば面識はないが同じ中学校の先輩)が経営している店で飯を食った。外に出たらやたら空気もうまかった。ここは快晴というだけでうれしくなる場所、それを「故郷」と呼ぶ。
自分の記憶にしか存在しない、かつてあった建物と風景。今風といえば、平屋建ての家々の同じ方向を向く地デジアンテナ群。
一直線に延びる道に人影なし。歩道の幅広く、行き交う人もなく、歩くことが余裕となっている。
足利学校の前に出る。わたしの母校だった東小学校がなくなり、その跡地に足利学校の一部整備拡張された。新しくできた池の鯉、人影を見ると寄ってくる。ここも餌付けされているのだろう。良く待ち合わせに使われた大イチョウは見事に黄葉していた。
故郷が少しずつ変遷・変形しても思い出はあの優しく、切ないままさ…。

萩原朔太郎の「小出新道」を思い出し、そしてシンクロさせながら、かつての中学校までの通学路を歩いた。懐かしいというよりは切ない、思い出にまどろむというよりは現実の再確認、淋しさというよりは尊い記憶の道の散策。ただそこには優しく、思い出は思い出のままに永遠に存続する、私にはただそれだけでいい。

ゼーレの眼目
さて、このブログを読んでくれている同窓生が複数いた。難しい、おもしろい、ロマンチストなどと、評された。いずれにしてもありがたいことだ。同窓生に読んでもらえるということは…。
軽快にして難解、愉快にも不快にも、明瞭にして曖昧に変化する心模様。宅地開発で欠落した記憶に一致しない心象風景。モザイクなリンクを必死に手繰り寄せ、浮かび上がる思い出。そんな心のディープな部分を言葉のスコップで掘り起こしているのだから、これもまた明瞭にして難解ともなるのだろう。
ケヤキ小学校裏、レストラン「ポルカ」にて

※高校時代のノートに記録があった「小出新道」、ここにその時のテキストを置く。
小出新道 ―萩原朔太郎―
ここに道路の新開せるは
直(ちょく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家並(てんじつやなみ)の幹に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟(しゐ)をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。

小出新道(大意:高校時代のノートから)
市街地が広がり、かつて孤独な散策を好んだ雑木林の一帯が無残に切り倒されしまった。そこに新しく開けた道路はまっすぐに市街地までのびている。新開道路から遠く夕陽の落ちる市街の低い家並みの眺望するにつけても寂しさ、暗鬱さが心の中に広がってくる。ふたたびはよみがえらない遠い過去に執着してどうなることだろう。皮相な人間の功利によって失われた過去にまつわりつくものは拒否せよ。その感情が怒りとなってこみあげてくるのだ。

私はあの時、私を理解してくれる女性を求めた。愛と理解のはざまで、愛ではなく理解を…。数年後、理解より愛のほうがとてつもなく大きいものと気がついた。その時、理解だけ残り、愛と彼女は失った。
テーマにシンクロする曲「ささやかな欲望」(山口百恵)

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「ささやかな欲望」(山口百恵)