64 アシュラリスト ちょうどよい
お前は、お前でちょうどよい
顔も体も名前も姓も
お前にはそれがちょうどよい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前にちょうどよい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえもちょうどよい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ善くもない
お前にとってちょうどよい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところがちょうどよい
うぬぼれる要もなく
卑下する要もなく
上もなければ下もない
死ぬ月日さえちょうどよい
仏さまと二人連れの人生は
ちょうどよくないはずがない
ちょうどよいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます。

ゼーレの眼目
姉の家に遊びに行った。壁に張っていた1枚の紙、その言葉に目が止まった。しばらく動けなかった。感動したからだ。
憶念(おくねん)とは、「深く心中に銘記して忘れぬ考え」であり、それを思い疑わぬ心を持ち続けること(信)である。
作者が分からなかったがネットで調べてみたら以下の記述があった。
*****
http://web1.kcn.jp/strngr/who-asita2/choudo-yoi_RR.html
「丁度よい」は、石川県野々市町の真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路(みつじ)さんが、月に一度発行する寺報「法友」の82年2月号に掲載されたものでした。最初の題は「仏様のことば(丁度よい)」。「仏様の声が頭の中に聞こえてきたので、そのまま書き取りました」ということのようです。
信者ら70人ほどに配ったところ、書き写して友人に贈ったり、コピーして配ったりが繰り返されて、全国に出回るようになった。いつしか題は「丁度よい」だけになり、宗教的な色彩の強い最後の5行が省かれ、作者も良寛に。藤場さんは、「間違われた良寛様も苦笑なさっておられるのでは。この詩は、「自己否定の苦悩の中に聞こえた仏様の慈愛の言葉です。安易な現状肯定ではありません」と話されたということです。
(山や、スキー場、他観光地では終わりの5行を省いて、良寛の「丁度よい」という木札などで販売されていますが、作者は 藤場さんです。)
*****
 今の私にちょうどよい・・・。この言葉に癒された、心も癒された。良い骨休めとなった。

AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」と画像(You Tubeコンテンツは除く)
転載、コピー等はご遠慮ください。
Copyright(c)1999-2010 Toshimitsu Kuriki. All Rights Reserved.