56 アシュラリスト COME AND SEE(来たれ)
ぴったりした靴があればどこまでも歩けると思っていた。
しかし、靴のサイズが違ったため、方向がずれた、そのためしばらく留まり足踏みをしていた。
求めずしてそこにある。
探さずしてそこにいる。
夢にして夢にあらず、
語らずして語る。
過酷にして安楽といい、解かずして解くという。
単純にして真っ直ぐな魂。
心の作用は不可思議。
シナプスの永遠のリレー。魔笛は素敵。
「時はすべてのめでたきことを育てる母である」(シェークスピア)。
至福の時とは何か?それは虚しく儚い。「過酷な時」こそ本当の母なのだ。
「いらっしゃいませ」と言った以上お客様の生命と財産を一時的にお預かりしている。
時の相貌的知覚。
16億人の闇(世界で電気のない暮らしを営む人々)。ソーラーランタンよ、照らせ!!
真実こそ癒し。
真実を整理せよ。
才能は無意味な言動で自分の価値を隠す。
本当に無意味か、深い配慮があった、しかし、伝わらなければ無意味となる。自分の才能を恐れるな。なんの遠慮もいらない、翼を広げろ、人生は一瞬だ。魂は生きていることを実感したくて苦痛を伴う危険を探す、自然の柔らかさ、不確かさ、装飾的ボキャブラリー。幾何学的模様に体を縛られた潜在意識的安心感、胸に込み上げる熱い何か、ジスモンダ。調和と調停の混雑と混在。前向きに動けば、人生は好転する。もうためだと思ったとき、魂にエネルギーが注入される。
心ほど繊細で無常なうえ、あてにはならないが、あることを「決める」そして「実行」すれば、これほど頼りになるものはない。

白い石の座布団。
やはり、圧迫感のある部屋。煙りっぽく見える、錯覚を起こす部屋。通り過ぎる人々、金庫的なもの、貯蔵庫か、大きな冷蔵庫かな、何も知らずに来る人々。ドアがひとつしかない、外から閉められたら逃げられない。奥行きがない、気分が悪くなる、この空間は不思議だ、少したつと慣れてしまう。裸の女がひとり鏡の前に立つが、身体は映し出されても、顔はぼやけてわからない。鏡とはあやかし。悩むゴリラ、落ち込みゴリラ。今日は名前を読んでもらえるか、「瀕死の白鳥」?この部屋は寒い、そして気が滅入る。
日常を俯瞰し、日常の発見は生きる活力。目に見えてない自分だけが感じているときめきや世界の見え方、心と頭と体が全速力で考える。心の輪郭線はそのままで一時的に矮小な現実から離れる。バーチャルバカンス。
毒草ベラドンナ(イタリア語で美しい女)。毒草という名の美女。

ゼーレの眼目
16億人の闇(世界で電気のない暮らしを営む人々)。インドでは11億人のうち4億人が電気のない暮らしをしている。途上国が自然エネルギーで発展を目指す動きを化石燃料を飛ばした「カエル跳び」という自然エネルギーは大規模発電所を建設するより即効性がある。日本企業にとってその設備を売り込む商機となる。
ソーラーランタン
世界には、電気のない生活を送っている人が約16億人います。学校や家に電気が届かないと、子どもたちは夜勉強することができません。暗くなってから安心して出かけることもできません。ソーラーランタンプロジェクトは、ソーラーエネルギーを利用して、多くの人の生活に“あかり”を灯そうとする取り組みです。まずはインドの農村部からスタートし、全世界へ拡大していきます。 最初の5年間で1,000の村に5万個のソーラーランタンを届けるのが目標です。
ガイア・ヴィレッジ・プラットフォームのサイト
http://www.gaiainitiative.org/gaia_village/project.html

ジスモンダ(Poster for Gismonda) 1895年
アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャが名声と社会的地位を得るきっかけとなった伝説的ポスター作品『ジスモンダ』。本作は1895年12月25日にサラ・ベルナールから「来年1月4日から始まる舞台(ジスモンダ)のポスターを至急制作してほしい」と電話で依頼を受け、わずか数日で制作したとの伝説的な逸話が残されている。
私も、ジスモンダにあやかりたいものだ。

ベラドンナ『美しい淑女(bella donna)』
ベラドンナとはイタリア語で『美しい淑女(bella donna)』という意味である。中世ヨーロッパの社交界において、貴婦人たちが瞳を大きく見せるために、ベラドンナの汁を目にさしたことに由来するとされる。事実として、ベラドンナに含まれる成分のアトロピンには瞳孔を拡大させる作用があるのだという。
 しかし、目薬としてのみ有名だったわけではないらしい。その毒性もまた、古くから知られる所であった。ベラドンナは「悪魔の草」と呼ばれ、悪魔や魔女はこの毒草を好んだという。毒殺に使ったほか、膏薬に混ぜて体に塗り、空を飛んだと言われている。なんとも穏やかでない信じがたい話である。魔女が空を飛んだことに関しては、ベラドンナの毒による幻覚であろうか。
 あくなき美のために、「目に毒」とは美しさのためにハイリスクをあえておかしたのか。

瀕死の白鳥
『瀕死の白鳥』 (ひんしのはくちょう、The Dying Swan) は、ミハイル・フォーキン振り付けによるバレエ作品である。カミーユ・サン=サーンスによる組曲「動物の謝肉祭」の「白鳥」を用いて、湖に浮かぶ一羽の傷ついた白鳥が、生きるために必死にもがき、やがて息絶えるまで描いた小作品。 ミハイル・フォーキンが1905年にアンナ・パブロワ(1882-1931)のために振り付けたとされる。ディアギレフのロシア・バレエ団にも参加したパブロワ。世界各国を巡演、日本にも来た。『瀕死の白鳥』は中でも名演と言われている。
 「白鳥のダンスの衣装を持ってきて」(Bring me my costume for the Swan Dance. Anna Pavlove) が彼女の最後の言葉だったという。いかにも死んでいく白鳥のように美しく、そして悲しい。ふさわしい臨終の言葉といえば、「私は天国で聴くであろう」(ベートーベン)もある。
下のザハロワもすごい。リアルな白鳥だ!!
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