54 アシュラリスト トラウマという安全装置
トラウマ(trauma)・イントロダクション
それは後遺症となってゼーレ(Seele)に影響を与える衝撃群。
「空の青さはわかるけど、空の深さは分からない」
邪魔しあうのではなく、協力しあう。
複雑ではなく、単純であり続ける。
刃向かうのではなく立ち向かうのであり、自己のためだけでなく、分け合う意識が愛とよばれる。しかし、前者と後者は互いにシンクロしていることを忘れるな。
海の青さ(シーブルー)はわかるけど、海の深さ(シーディープ)はわからない。
限りなく、絶え間なく試練と壁の連鎖。外世界より敏感な内世界。より増幅される現実、拒否できないデフォルメされた真実。恐怖の記憶と格闘するトラウマという安全装置、経験のゼンマイを巻く力。見つかれば逃げ場もない、トラウマは絶え間なく、矛盾を吸い込みながらあたかもシーモンキーのようにどんどん育つ、それにシンクロし、さまざまな魂の立ち位置を求める心。現実に違和感を覚え、アンベール(unveil)に顔を突っ込みたがる。トラウマは邪魔ではなく、もはやその存在が何かのヒントだ。求めるのはプロセスではなく、何を得たか、それが重要だ。ビビッドな明快さと内に棲む複雑さ、しかし心はどの立ち位置にも満足しない。時間と環境に潜り込む幸福。尾生の信(尾生高:びせいこう)。覚悟がスタイルを決める。心が覚悟を築く。初期順応に間に合わず、独立峰にされたトラウマの寒風と突風にさらされる日々。パラノイアのまま生き残るか。それに伴い、楽しくないのに笑うシーンの連続の日々。出口のない真冬のなか、歌の下手なカナリア(独身)稼業。これも神の配剤。タビビトノキ(扇形、水分を蓄えている:マダガスカル、アフリカ)に感謝せよ。トラウマを敵に見立てるな、みかたに取り入れろ!不条理も一旦飲み込めば、味が出てくる。甘味とまではいかないが、珍味にはなる、はまればクセになる。矛盾しながら共存していくゼーレ。
「疲れた、とても疲れた」(メンデルスゾーン最後の言葉)。
何に疲れた?
誰に疲れた?
夢に疲れた?
夢に憑かれた。
今の生き方では辿り着けない、したいこととできること。
自分に嘘をついたか、しかし騙したことはなかった、自分を…。安全は日々の心がけ、安心は安全の積み重ね。苦しい心が砕け散り、再びひとつになる不思議。亀裂の入った心が癒されたとき何かが大きくなったがその何かが分からない。
匍匐(ほふく:物体に力を加えたとき、外力の大きさが一定でも歪(ひずみ)が時間の経過につれて増大する現象)後退の黄昏。
「怒られないように生きるゼーレ」、「気に入られるように生きるゼーレ」、が互いに入れ代わり、対立し、反目し、シンクロしながら和解する。
もはや誰も信じられない、いや信じることから生まれる油断もある。
それでも自分の仕事をきっちりやっていれば誰も文句は言わない。さぁ、見えない尻尾を回せ!(猫は高所から落下しても、尻尾を回転させ、空中で体のバランスを取り、着地するシステムが備わっている)。
生かされて、輝く。輝いて、生かされる、そんな生き方。ライフスタイルは選択できる。トラウマは闇の中で光を見つけたい時、瞬間に役に立つ。それは記憶の眼差し(「キュクロプス」オディロン・ルドン(Odilon Redon)1840-1916)をイメージ)。感動は乗り越えることだ、丁寧に乗り越えることだ。人は遠くを見つめるがそういうときは何も見えていない。
絵と詩は魂の食べ物。
魂が動かなければ何も動かない。入り口から入ったから迷路と分かる、入り口があれば必ず出口がある。夢の足跡がエールを送る。魂が太鼓を叩いて見栄を切る。そうすれば体は勝手に動く。苦労してきたことが報われる。
恋で我慢を覚え、忍耐が恋を引き寄せる。
恋には近道も安堵もない。そして何もない、ほとんどが幻だから…。
親切の押し売りと優しさの隙間。しかし、止めるな、運命を動かす気持ち。この女(ひと)に賭ける、とギャンブラーのように嘯(うそぶ)いてみよう。ふと、気付くと会いたくて、会うと辛くて遠く離れたが、想いはいつもそばにいる。信じて実行するそれだけで道が見えてくる。この道はいつか来た道。聞こえるものだけ聞こえる、見えるものだけ見える、触れるものだけ触れる、訳ではない。ときめく魂、揺らぐ恋、無口な体。それらをひとつの線で結ぶのは恋、日常が彩る高まり。この線の先には何がある。愛か強さか優しさか、光か、誰にも分からない。
「私は見守るだけ、この恋の顛末を」。罪なやつさ、恋ってやつは、さ。その不可解なロジック、高飛車な恋は猫招き。
光は暗闇があるからこそ、認知される。
悲しみを乗り越えるのは難しいテストではない、あんた、このままでいいのかい?
死ぬほど好きになった女(ひと)はいたが、心中するほど好きになった女(ひと)はいない。
心がぶれないように魂の机に寄りかかれ!。
誑(たぶら)かすとはぐらかすのシンクロ、荒ぶるゼーレのタッピング(振動を与え表面を平らにする)の空間デザイナーとレイライン(一直線の霊力)。
ミソデンドロン(風のカーネーション)のたくましさ。
人ははみ出して強くなる。
はみ出すとはそれまでの自分から離脱すること、古来からの英雄の定義だ(「英雄とはそれまでの自分から離脱すること」)。危機が冒険の引き金となり、それがHISTORYとなる。だからピンチがチャンスになるというのだ。快適な生活がほしいなら外出しなければいい。家の中にいればそれなりの楽しさを享受できるが、それ以上の領域には入れない。しかし、はみ出したゼーレは慣れ親しんだ日常を放棄しないものの離れる、離れたがる(一瞬のサーキットブレイカー)。時間や空間に順応しながら逆らい生きる。俗悪で自己中心的魂と闘う、それが英雄だ。「他人を愛せ!それだけでいい!それで十分だ!!」
ゼーレを救う旅はまだ始まったばかりだ。後戻りできない旅。愛を取り戻す旅。それは妙(再生)の旅、生まれ変わるための旅。生きながらの再生の旅である。
「運命の基本構造」それは「理想をもて」ということ。
自分を見失うな、トラウマは道しるべ。旅の中でこそ自分を見つけられる。
こうして人生の羅針盤がひとつ、できあがる。
トラウマはプライドを剥ぎ捨てさせると同時に、自分に自信を取り戻させるアイテムである。
一途に受け止めたよ、俺しか知らない愛…。俺がいて君がいる、助け合えば世界が変わる。
☆
ゼーレの眼
「空の青さはわかるけど、空の深さ(広さ)は分からない」このフレーズは、歌手の松山千春さん作詞・作曲の一部である。
テーマにシンクロする曲:「窓」松山千春
(1) 小さな窓から見える
この世界が 僕のすべて
空の青さは わかるけど
空の広さが わからない
いつか山の 向こうから
君が手を振り かけて来ても
君の姿 見えるけど
僕の心は 届かない
この窓を開いて 自由になりたい
この腕で思い切り 抱きしめて離さない
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
(2) 小さな窓を叩く
風に心震わせてる
気付いたときには これほど
弱い男に なっていた
いつか君が 一人きり
ひざを抱え 泣いていても
君の涙 見えるけど
僕の言葉は 届かない
この窓を開いて 自由になりたい
この腕で思い切り 抱きしめて離さない
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
私がとても霊感を受けたのは、窓から見た光景「空の青さはわかるけど、空の深さは分からない」の部分だ。突然、このテキストと、フロイトの精神分析学入門で説明している絵画「囚人の夢」がオーバーラップした。
フロイトはその絵をこう説明している。ミュンヘンのシャック画廊にあるシュヴィント(「Moritz von Schwind」1804~71。オーストリアのロマンス派画家)の絵の複製をお見せしましょう。この画家が、夢の成立をその時に支配的な状況に左右されるものとして、いかに正しくとらえているかを示したいのです。『囚人の夢』という題の絵ですが、その内容は釈放されること以外のなにものでもないのです。窓から抜け出して自由の身になりたいとは、全くうまくできています。この囚人の眠りをさましてしまう光の刺激が侵入してくるのは、この窓からなのですから。上下に重なり合って肩車を組んでいる小人たちは、彼が窓の高さまでよじ登ろうとすれば、彼自身がつぎつぎにとらねばならない、姿勢あらわしています。(世界の名著60「フロイト」(中央公論社)精神分析学入門 第二部 夢 200頁より)
私は学生時代にこの本に触れ、時折思い出し、その「囚人の夢」に書かれた男の絵がトラウマの安全装置のように作動している気がしてならなかった。
☆☆☆☆☆
尾生の信
魯の国に尾生(名は高)という正直者がいた。人と約束を交わしたら、どんなことがあっても、その約束にそむくようなことはしないという性格。
さてその男があるとき恋人とデートの約束をした。
「あしたの晩、河の橋の下で会いましょうね。」
という約束の時間に、一分も遅れることなく、彼は約束した場所に出かけて行った。しかし、女はその時間その場所にやって来なかった。しかし尾生は前にも言ったような人柄だから、――多少はヤキモキもしたろうが――辛抱づよく待っていた。いつまでたっても女はやってこない。その中に河の水がだんだんふえてきて、彼のからだを浸しはじめた。足から膝、膝から胸と水かさはふえるばかりだが、彼はまだあきらめない。しまいには水が頭を越すほどになったので、夢中で橋脚にだきついたが、その甲斐なく、とうとう溺れ死んでしまった・・・。
「びせいのしん〔連語〕(中国、春秋時代、魯の尾生という男が女と橋の下で会う約束をして待っていたが女は来ず、大雨で河が増水しても男はなお約束を守って橋の下を去らなかったために、ついに溺死したという故事から)固く約束を守ること。信義の固いこと。また、馬鹿正直で、融通のきかないこと。」と辞書では説明される。
しかし、私は一般的な約束、社会的契約論に基づく約束事と「男女間の約束」は別物であり、別次元のものと考える。男女間の約束には、命そのものが魂の引き金となり、心を突き動かすのだから、すでに死を超越してしまっているのだ。恋愛はそういう性格を内包しながら、外面は引っ込み思案を決め込んでいる。
☆☆☆☆☆
「ゼーレの眼」誕生 ―イメージから生まれた大きな魂の目―
オディロン・ルドン(Odilon Redon:1840-1916)の描いた「キュクロプス」(1895-1900)にヒントがあった。神話に登場する醜悪な一つ目の巨人族キュクロプス、彼が美しいガラテイアに恋をした。届かない想いに、岩陰から哀しみの視線をなげかける巨人がひとり。私は中学校の美術の時間に「キュクロプス」を描いた。先生によく書けていると言われたが、そこにあるのはモンスターとしてのキュクロプスだった。そんなグロテスクなテーマにかかわらず、ルドンの眼は巨人の大きな一つ目からなんとも言えない小さな切ない恋心を描き出した。ブルーグレイの空を背負い、山陰から彼は何を思考するのだろう?
画家ルドンは母に捨てられた子供だった。兄を偏愛していた彼の母親は生まれてすぐにルドンをペイルルバード(彼の心の故郷)へと里子に出し、彼は幼少期をそこで孤独に過ごしたのである。荒涼とした風景の広がるその場所で、母に捨てられたという現実から目をそらし、自らの内面世界へとその視線を向けたルドンは、心の中に潜む闇と醜悪と幻想に幼少時から感じながらも気付いていた。
周りとの関係をなかなか確立できなかったルドンは、学校でも家でも、自分の中に閉じこもることでかろうじて生きていたという。自分自身の想像で、孤独な心を培わなければ生きていけなかった。枯渇した心は、想像という自ら作り出した養分なしには、その存在さえ保つことができなかったという。
そして、私は目を閉じ、幸福だった記憶の世界にまどろむ、そしてゼーレの眼が生まれた。
◇
AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」と画像(You Tubeコンテンツは除く)
転載、コピー等はご遠慮ください。
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トラウマ(trauma)・イントロダクション
それは後遺症となってゼーレ(Seele)に影響を与える衝撃群。
「空の青さはわかるけど、空の深さは分からない」
邪魔しあうのではなく、協力しあう。
複雑ではなく、単純であり続ける。
刃向かうのではなく立ち向かうのであり、自己のためだけでなく、分け合う意識が愛とよばれる。しかし、前者と後者は互いにシンクロしていることを忘れるな。
海の青さ(シーブルー)はわかるけど、海の深さ(シーディープ)はわからない。
限りなく、絶え間なく試練と壁の連鎖。外世界より敏感な内世界。より増幅される現実、拒否できないデフォルメされた真実。恐怖の記憶と格闘するトラウマという安全装置、経験のゼンマイを巻く力。見つかれば逃げ場もない、トラウマは絶え間なく、矛盾を吸い込みながらあたかもシーモンキーのようにどんどん育つ、それにシンクロし、さまざまな魂の立ち位置を求める心。現実に違和感を覚え、アンベール(unveil)に顔を突っ込みたがる。トラウマは邪魔ではなく、もはやその存在が何かのヒントだ。求めるのはプロセスではなく、何を得たか、それが重要だ。ビビッドな明快さと内に棲む複雑さ、しかし心はどの立ち位置にも満足しない。時間と環境に潜り込む幸福。尾生の信(尾生高:びせいこう)。覚悟がスタイルを決める。心が覚悟を築く。初期順応に間に合わず、独立峰にされたトラウマの寒風と突風にさらされる日々。パラノイアのまま生き残るか。それに伴い、楽しくないのに笑うシーンの連続の日々。出口のない真冬のなか、歌の下手なカナリア(独身)稼業。これも神の配剤。タビビトノキ(扇形、水分を蓄えている:マダガスカル、アフリカ)に感謝せよ。トラウマを敵に見立てるな、みかたに取り入れろ!不条理も一旦飲み込めば、味が出てくる。甘味とまではいかないが、珍味にはなる、はまればクセになる。矛盾しながら共存していくゼーレ。
「疲れた、とても疲れた」(メンデルスゾーン最後の言葉)。
何に疲れた?
誰に疲れた?
夢に疲れた?
夢に憑かれた。
今の生き方では辿り着けない、したいこととできること。
自分に嘘をついたか、しかし騙したことはなかった、自分を…。安全は日々の心がけ、安心は安全の積み重ね。苦しい心が砕け散り、再びひとつになる不思議。亀裂の入った心が癒されたとき何かが大きくなったがその何かが分からない。
匍匐(ほふく:物体に力を加えたとき、外力の大きさが一定でも歪(ひずみ)が時間の経過につれて増大する現象)後退の黄昏。
「怒られないように生きるゼーレ」、「気に入られるように生きるゼーレ」、が互いに入れ代わり、対立し、反目し、シンクロしながら和解する。
もはや誰も信じられない、いや信じることから生まれる油断もある。
それでも自分の仕事をきっちりやっていれば誰も文句は言わない。さぁ、見えない尻尾を回せ!(猫は高所から落下しても、尻尾を回転させ、空中で体のバランスを取り、着地するシステムが備わっている)。
生かされて、輝く。輝いて、生かされる、そんな生き方。ライフスタイルは選択できる。トラウマは闇の中で光を見つけたい時、瞬間に役に立つ。それは記憶の眼差し(「キュクロプス」オディロン・ルドン(Odilon Redon)1840-1916)をイメージ)。感動は乗り越えることだ、丁寧に乗り越えることだ。人は遠くを見つめるがそういうときは何も見えていない。
絵と詩は魂の食べ物。
魂が動かなければ何も動かない。入り口から入ったから迷路と分かる、入り口があれば必ず出口がある。夢の足跡がエールを送る。魂が太鼓を叩いて見栄を切る。そうすれば体は勝手に動く。苦労してきたことが報われる。
恋で我慢を覚え、忍耐が恋を引き寄せる。
恋には近道も安堵もない。そして何もない、ほとんどが幻だから…。
親切の押し売りと優しさの隙間。しかし、止めるな、運命を動かす気持ち。この女(ひと)に賭ける、とギャンブラーのように嘯(うそぶ)いてみよう。ふと、気付くと会いたくて、会うと辛くて遠く離れたが、想いはいつもそばにいる。信じて実行するそれだけで道が見えてくる。この道はいつか来た道。聞こえるものだけ聞こえる、見えるものだけ見える、触れるものだけ触れる、訳ではない。ときめく魂、揺らぐ恋、無口な体。それらをひとつの線で結ぶのは恋、日常が彩る高まり。この線の先には何がある。愛か強さか優しさか、光か、誰にも分からない。
「私は見守るだけ、この恋の顛末を」。罪なやつさ、恋ってやつは、さ。その不可解なロジック、高飛車な恋は猫招き。
光は暗闇があるからこそ、認知される。
悲しみを乗り越えるのは難しいテストではない、あんた、このままでいいのかい?
死ぬほど好きになった女(ひと)はいたが、心中するほど好きになった女(ひと)はいない。
心がぶれないように魂の机に寄りかかれ!。
誑(たぶら)かすとはぐらかすのシンクロ、荒ぶるゼーレのタッピング(振動を与え表面を平らにする)の空間デザイナーとレイライン(一直線の霊力)。
ミソデンドロン(風のカーネーション)のたくましさ。
人ははみ出して強くなる。
はみ出すとはそれまでの自分から離脱すること、古来からの英雄の定義だ(「英雄とはそれまでの自分から離脱すること」)。危機が冒険の引き金となり、それがHISTORYとなる。だからピンチがチャンスになるというのだ。快適な生活がほしいなら外出しなければいい。家の中にいればそれなりの楽しさを享受できるが、それ以上の領域には入れない。しかし、はみ出したゼーレは慣れ親しんだ日常を放棄しないものの離れる、離れたがる(一瞬のサーキットブレイカー)。時間や空間に順応しながら逆らい生きる。俗悪で自己中心的魂と闘う、それが英雄だ。「他人を愛せ!それだけでいい!それで十分だ!!」
ゼーレを救う旅はまだ始まったばかりだ。後戻りできない旅。愛を取り戻す旅。それは妙(再生)の旅、生まれ変わるための旅。生きながらの再生の旅である。
「運命の基本構造」それは「理想をもて」ということ。
自分を見失うな、トラウマは道しるべ。旅の中でこそ自分を見つけられる。
こうして人生の羅針盤がひとつ、できあがる。
トラウマはプライドを剥ぎ捨てさせると同時に、自分に自信を取り戻させるアイテムである。
一途に受け止めたよ、俺しか知らない愛…。俺がいて君がいる、助け合えば世界が変わる。
☆
ゼーレの眼

「空の青さはわかるけど、空の深さ(広さ)は分からない」このフレーズは、歌手の松山千春さん作詞・作曲の一部である。
テーマにシンクロする曲:「窓」松山千春
(1) 小さな窓から見える
この世界が 僕のすべて
空の青さは わかるけど
空の広さが わからない
いつか山の 向こうから
君が手を振り かけて来ても
君の姿 見えるけど
僕の心は 届かない
この窓を開いて 自由になりたい
この腕で思い切り 抱きしめて離さない
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
(2) 小さな窓を叩く
風に心震わせてる
気付いたときには これほど
弱い男に なっていた
いつか君が 一人きり
ひざを抱え 泣いていても
君の涙 見えるけど
僕の言葉は 届かない
この窓を開いて 自由になりたい
この腕で思い切り 抱きしめて離さない
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
君だけは誰にも 渡したくない
誰にも負けはしない この愛だけは
私がとても霊感を受けたのは、窓から見た光景「空の青さはわかるけど、空の深さは分からない」の部分だ。突然、このテキストと、フロイトの精神分析学入門で説明している絵画「囚人の夢」がオーバーラップした。
フロイトはその絵をこう説明している。ミュンヘンのシャック画廊にあるシュヴィント(「Moritz von Schwind」1804~71。オーストリアのロマンス派画家)の絵の複製をお見せしましょう。この画家が、夢の成立をその時に支配的な状況に左右されるものとして、いかに正しくとらえているかを示したいのです。『囚人の夢』という題の絵ですが、その内容は釈放されること以外のなにものでもないのです。窓から抜け出して自由の身になりたいとは、全くうまくできています。この囚人の眠りをさましてしまう光の刺激が侵入してくるのは、この窓からなのですから。上下に重なり合って肩車を組んでいる小人たちは、彼が窓の高さまでよじ登ろうとすれば、彼自身がつぎつぎにとらねばならない、姿勢あらわしています。(世界の名著60「フロイト」(中央公論社)精神分析学入門 第二部 夢 200頁より)
私は学生時代にこの本に触れ、時折思い出し、その「囚人の夢」に書かれた男の絵がトラウマの安全装置のように作動している気がしてならなかった。
☆☆☆☆☆
尾生の信
魯の国に尾生(名は高)という正直者がいた。人と約束を交わしたら、どんなことがあっても、その約束にそむくようなことはしないという性格。
さてその男があるとき恋人とデートの約束をした。
「あしたの晩、河の橋の下で会いましょうね。」
という約束の時間に、一分も遅れることなく、彼は約束した場所に出かけて行った。しかし、女はその時間その場所にやって来なかった。しかし尾生は前にも言ったような人柄だから、――多少はヤキモキもしたろうが――辛抱づよく待っていた。いつまでたっても女はやってこない。その中に河の水がだんだんふえてきて、彼のからだを浸しはじめた。足から膝、膝から胸と水かさはふえるばかりだが、彼はまだあきらめない。しまいには水が頭を越すほどになったので、夢中で橋脚にだきついたが、その甲斐なく、とうとう溺れ死んでしまった・・・。
「びせいのしん〔連語〕(中国、春秋時代、魯の尾生という男が女と橋の下で会う約束をして待っていたが女は来ず、大雨で河が増水しても男はなお約束を守って橋の下を去らなかったために、ついに溺死したという故事から)固く約束を守ること。信義の固いこと。また、馬鹿正直で、融通のきかないこと。」と辞書では説明される。
しかし、私は一般的な約束、社会的契約論に基づく約束事と「男女間の約束」は別物であり、別次元のものと考える。男女間の約束には、命そのものが魂の引き金となり、心を突き動かすのだから、すでに死を超越してしまっているのだ。恋愛はそういう性格を内包しながら、外面は引っ込み思案を決め込んでいる。
☆☆☆☆☆
「ゼーレの眼」誕生 ―イメージから生まれた大きな魂の目―
オディロン・ルドン(Odilon Redon:1840-1916)の描いた「キュクロプス」(1895-1900)にヒントがあった。神話に登場する醜悪な一つ目の巨人族キュクロプス、彼が美しいガラテイアに恋をした。届かない想いに、岩陰から哀しみの視線をなげかける巨人がひとり。私は中学校の美術の時間に「キュクロプス」を描いた。先生によく書けていると言われたが、そこにあるのはモンスターとしてのキュクロプスだった。そんなグロテスクなテーマにかかわらず、ルドンの眼は巨人の大きな一つ目からなんとも言えない小さな切ない恋心を描き出した。ブルーグレイの空を背負い、山陰から彼は何を思考するのだろう?
画家ルドンは母に捨てられた子供だった。兄を偏愛していた彼の母親は生まれてすぐにルドンをペイルルバード(彼の心の故郷)へと里子に出し、彼は幼少期をそこで孤独に過ごしたのである。荒涼とした風景の広がるその場所で、母に捨てられたという現実から目をそらし、自らの内面世界へとその視線を向けたルドンは、心の中に潜む闇と醜悪と幻想に幼少時から感じながらも気付いていた。
周りとの関係をなかなか確立できなかったルドンは、学校でも家でも、自分の中に閉じこもることでかろうじて生きていたという。自分自身の想像で、孤独な心を培わなければ生きていけなかった。枯渇した心は、想像という自ら作り出した養分なしには、その存在さえ保つことができなかったという。
そして、私は目を閉じ、幸福だった記憶の世界にまどろむ、そしてゼーレの眼が生まれた。
◇
AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」と画像(You Tubeコンテンツは除く)
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