53 アシュラリスト 鳴き利き制御(巡り合わせの不幸)
プーラン・デビィの生涯。サイレンステーブルに座る。冷静なる輪廻。憎しみから何も生まれない。「しかし、やればやり返されるわ、必ず確実に死とともに。」
想定外の想定内。
「鳴き利き(なききき)制御」を容赦なく続ける魂のむせび泣き。
始まりは「異国の女」から届いた手紙。文通17年、ついに結ばれる。異国の女はハンスカ夫人。異国とはウクライナ。19世紀フランスの文豪バルザックの晩年の結婚逸話。
まるで、コンパスレス・ゼーレ、位置感覚を失った魂、周囲の人間との距離がわからず、つかめず、何を信じ、どこに進めばいいのかもわからない。
誤解の上に築かれる人間関係、仮に順調な人間関係を継続する努力をしたにもかかわらず、貸し剥がす者の類。
糾明すべきこと、頑張りどころを間違えている者の類。
そんな魂の無駄遣い。
次第に可視化する苦悩、魂は歪になり、心はすくみ、身体は冷えて「耐温」は下がる。
悔恨と憂悶はいつも忘れたころに訪ねてくる。
魂がコントロールする「涙の気持ち」。魂には才能があり、心には秘め事がある。思惑と疑惑が一体となり、異様と異常が常態化して、人は笑顔を創造する。やがて笑顔の向け方、作り方、そこで初めて、笑顔が笑顔になる。
さぁ、心の銭湯に入って、ゆっくり休もう!
アシュラに愛された者、アシュラリストはいつもアシュラリスクを孕んでいる
アシュラは言う「裟婆は耐えた者が勝だ!」。アシュラはかつて悪神だった。善悪両方の人間を理解する軍神。昔の因縁が全身に疼く。
悩むために悩むな、苦しむために苦しむな。人のために悩め、未来のために苦しめ。戦略クズのため会社を辞めるか、対策クズのため辞めされるか、いずれも選択肢の視界に入る選択肢ではない。揚げ足バリアをすべて除去しなければ、責任を取らされる。困難だが不可能ではない。しかし、どうしてそこまで完璧さを求められる。
ここまでのお膳立て、例えば何かの胎動か、そうであるならば魂は慰められて、心は晴れるのだが…。おそれながら、魂の食い物を頂戴する。
怒られながら、「何を笑っているんだ!」
「あなたの価値あるところは何?」と訊かれ、
「同じ失敗をしたら責任を取ります…」それしか選択肢のない居場所、居づらいというより酸欠空間。
哀しいことに「辛い時にする苦笑いがまだ直らない」。
この笑いは本来の笑いではなく、思考停止のサインである。
避けようがない、大きな負のエネルギーと大きな陽のエネルギーが同時に来た(「煉獄」:ダンテ)。
今世は諦念とせよ、それにしても、あんたいろいろ生き方を工夫して、よく頑張ってるよ(アシュラ)。きっと明日はいいことあるさ。
いつか幸せになるのではなく、今ここに幸せがある、そのことに気付け、とアシュラがささやいた。何に躓(つまづ)いている、プライドか見栄か、そんなものは実体がない。無いものにすがるな。高飛車な態度をとる者は自分の誇りまで傷つけている。負けることで知恵が身に付き、下がることで知恵が優しく背中を押す、善きものの前へ(悪しきものは自ずから排除される)、出ろと、アシュラは再びささやいた。
「生かしきれてない魂をなんとかせい!さぁ、わかったら前に進め!!」。
癒しの風は、なんとアシュラからもたらされた。
☆
ゼーレの眼
プーラン・デヴィ(Phūlan Devī)、のダカイトという盗賊から転身したインドの女性政治家。1963年8月10日、ウッタル・プラデーシュ州ゴールハー・カ・プールワー(Gorha Ka Purwa)村で、小舟を操ることを生業とするマッラー(mallah、シュードラのサブ・カースト)の家庭に生まれる。両親の取り決めに従い11歳で結婚したが、年上の夫から虐待された末に婚家から追い出される。後に盗賊団に入り、他の盗賊団との抗争をきっかけに頭目となる。
「盗賊の女王」と称され、多くの強盗と殺人を犯した。しかし、プーラン・デヴィを義賊とみなされ、虐げられた同様のカーストの人々からは広く慕われた。
インディラ・ガンディー政権及びインド警察当局とプーラン・デヴィの間で彼女自身と彼女の率いる盗賊団員を死刑から免ずるという司法取引が成立し、1983年、プーラン・デヴィは10,000人が見守る舞台の上で投降した。
プーラン・デヴィは裁判を受けることなく11年間投獄されていたが、1994年ウッタル・プラデーシュ州で新たに選出されたポピュリストのムラーヤム・スィン・ヤーダヴ(Mulayam Singh Yadav)州首相が検察官に働きかけて彼女に対する訴追を全て取り下げさせたため釈放される。彼女の釈放はインドで下位カーストに属する人々が団結を強め、政治活動を活発に行い始めたことと時を同じくした。プーラン・デヴィの投獄は当時のインドの公民権運動にとって非常に象徴的な事件となっていたため、ムラーヤム・スィン知事による恩赦に影響を与えた可能性がある。
1996年、プーラン・デヴィの釈放に尽力したサマージワーディ(社会主義者)党から国会議員選挙に出馬し当選、国会議員となる。
1999年1月、京都精華大学が招待し、日本のマスメディアにも登場した。
京都精華大学によると、
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インドの自由の戦士、プーラン・デヴィ。海外初の講演会を京都精華大学で!!
盗賊の女王だったという悪口、またインドの差別と戦う自由の戦士だという賞賛、毀誉褒貶(きよほうへん)の様々な声が飛び交う中、ノーベル平和賞候補に推薦されるほど国際的に注目を浴びているプーラン・デヴィ。彼女にとって海外初となる講演会を1999年1月23日(土)、京都精華大学で行なうことになりました。
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また、大学発表では動員人数は1700名だったという。
しかし、プーラン・デヴィは2001年7月25日、ニューデリーの自宅前で射殺される。逮捕されたシェール・シン・ラーナー(Sher Singh Rana)容疑者は暗殺の動機について、「ベヘマイー虐殺事件」の報復であると自白したが、警察当局は信用し難いとしている。
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幼少女時代からカースト制度のためにいじめられ続けた。年の離れた夫に虐待されたあげくに、追い出し離婚を強制された。上位カーストの強盗団から暴行強姦もされた。その後、誘拐された別の強盗団のリーダーと恋仲になり、そして結婚。女としてやっとめぐり合った愛に生きた人生。その後は政治利用された後半生。巡り合わせの不幸と言っては悲しすぎる人生を歩いた女性だ。
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「鳴き利き制御」とは、自動車のディスクブレーキに関連する、ブレーキの止まる性能(利きの良さ)と静粛性(ノイズの少なさ)という相反する性能を高い水準で両立したディスクブレーキパッドのこと。独自の材料と配合技術により実現可能となった。
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AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」と画像
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