52 アシュラリスト 3個の赤ボタン―聞かされ続ける断裂音―

豆腐の味噌汁の日は、死刑執行の日…。3個の赤ボタン。

飯はナシ、魚はイカン、お菓子はクエ(インドネシア語)

解決しない事件、残された家族。会社という牢獄。

パンドラは箱を開けたことに後悔し、酸の涙を流した。

償うと思って、かけようとした橋はかけはずされ、そのまま落ちた。

体内動揺の日々。

選択される誤った革新、暗闇の先端を歩く。

入り込まず、逆らわず、慌てずクールに対応する、それしか選択肢がない。

砂が水を吸うように、心が魂を吸い込んでいく。悪意化したメディアスクラム(media scrum)に一人で対抗する。人間にはわからないが、植物は自分に必要な光の色を選択している(例えば、レタスは赤の発色を感知し発芽し、青の発色を感知し成長する)。自分にはできないか?…。

妙な安心、妙な不安。今日は前期阿修羅が最高潮!

絶え間のない、こじれのねじれ作用が「イラつき」を生産する、そして常に増産態勢に入っている。しかし、ここは一時の感情に流される場面ではない。

身を潜める塹壕が欲しいが、しかし、留まるのはほんの短い間。阿修羅が魂の塹壕に入られるとかえって始末に負えないと、心は怒る(落語「親子茶屋」のアンチテーゼ:Antithesis)。心底の意見と冷や酒はあとになって効いてくる(親の意見と冷や酒は怒るあとになって効いてくる)。いずれも絶望という幸福であっても、明日のことはわからない。はっきりしていることは幸福から幸福が生まれのではなく、幸福は闇から生まれる。しかし、悪意はさらに悪意を育て、すでになされた悪事は不毛の大地のみで元気に育つ。

ここで流されるな!

次のステージのドアが開けられることを待っている。

沈静化したと思っても阿修羅の挑発に乗るな!!

沈静化のときは伏魔殿の建設中と思え。どこにも安住の地などはない…。

「常正常神、常正常心」、いつも母の姿で慰めに来てくれる菩薩。そしてさまざまなダイバ(Devadatta:「提婆」、意訳して「天授」)に囲み囲まれる日常をこなす魂、決して慣れ馴染むことのない齟齬(そご)と無関心が回り込み、取り囲む。

何が掛け違った、何を取り違えた、何を信じて生きてきた。

無駄になればなるほど阿修羅が喜び、それが阿修羅の思うつぼ。

心がえぐられないように「置き石(台風発生で川の水量が増えたとき、川底をえぐられないようにするために置く石)の準備はできたか、そしたら速やかに置け!

置き石がセットアップできたら、スイッチバック(switchback)しながら歩け!

線路は見えた。道は開けた…。

ゼーレの眼目

報道によると、法務省は2010827日午前、死刑を執行する場所として東京拘置所(東京都葛飾区)内に設けられている「刑場」を報道機関に公開した。刑場は全国7カ所の拘置所・拘置支所にあり、これまで国会議員が視察したことはあるが、報道目的で公開されたのは初めてである。執行室の奥には「ボタン室」があり、踏み板を作動させて死刑囚を落下させるためのボタンが三つ並んでいた。複数の刑務官が一斉に押し、どのボタンで作動したか分からないようにするためだ。

聞かされる断裂音

死刑執行官により死刑執行は朝、言い渡される。それは騙し討ちだ。そして「前室」と呼ばれる部屋に入る。そこには仏像が置かれ、死刑囚はここで正式に執行の宣告を受ける。医療用のガーゼで目隠しされ、手錠もかけられる。

絞首刑のとき1.1メートル四方の踏み板が抜け落ちる。踏み板の周囲は赤いテープが張られている。ここで死刑囚は足をゴムバンドで縛られる。踏み板が抜け落ちる赤い3つのボタンを刑務官3人で同時に押す、どれが回路につながっているかわからない、罪悪感の軽減を目的としている。刑務官は死刑執行時、死刑囚の筋肉が避けるような恐ろしい音(断裂音)聞かされる。激しく揺れるロープを黙々と抑える刑務官、ただただその時を待つ…。ついに生と死のはざまの目撃者となる。

戦後、全国で死刑が執行されたのは668人。現在は全国に107人の確定死刑囚がおり、うち女性は8人とされる。

魂の刑務所

誓願しておきながら今生のうちにすべきことをしなかった人は、魂の刑務所行き。

死刑執行はただの慰め、そしてゼーレロンダリングにすぎぬ。

罪が消えたわけではない。より大きな苦悩受けるために再び生まれ変わるからだ。

残酷な裁定はただただ自分の行いの果報に過ぎぬもの、自分でまいた種を自分で刈り取るだけの人生か、そうではなかったはずだ、あんたの人生。

どうしてそんなところで手をこまねいて立ち止っている。

すべての人が幸福になるまで、やるべきことをしなければ誰でも罪人である。

「親子茶屋」(おやこぢゃや)は古典落語の演目の一つ。男の煩悩は三つあると噺家は言っている。いわゆる『三ドラ煩悩』と言う奴で、こんな内訳である。

『呑む』:飲酒

『打つ』:博打

『買う』:女郎遊び

若旦那の行く末を案じ、説教をしていたはずの親旦那が実は遊び好きだった…と言う落ちは実に皮肉な物であると同時に、男の煩悩に対する見事なアンチテーゼとなっている。

スイッチバック(switchback)とは、急勾配を伴う地形における折り返し式(ジグザグ運転を伴う)鉄道線路のことである。急勾配を列車が乗り切るために、いくつもの乗り換え線を経由し、頂上へと行く。それはジクザグに上り下りするは人生にも似る。恋愛にも酷似する。学生のころによく聞いた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)は、ビートルズの名曲である。この曲についてポールは「あの頃の僕は疲れきっていた。どうしてもたどり着けないドア、達し難いものを歌った悲しい曲だよね。終点に行き着くことのない道について歌ったんだ」と語ったとされる。懐かしく切ない歌だ。

失恋は心の懲役刑的居場所、離婚は魂の死刑執行時苦痛の記憶、それでも心は沈まず、魂は死なない永遠のカオス。これだけの世界があなたの精神で展開されている。恋愛は軽く考えてはいけない。厳粛であり、神聖である。狡猾的で快楽的なのはその一部であり表面的部分にすぎない。そのディープディフィカルトの淵に誰でも迷い込む。デジャ・ブー(既視感。実際には一度も経験したことがないのに,ある体験を以前にしたことがあるという感じがするような錯覚)にそそのかされたのなら、もしくはジェットコースター恋愛であるならば対処はできるであろう。

恋愛は対処不可能であるから恋愛という。淡い恋、簡単な恋、深い恋、行きずりの恋、まじめな恋、不実な恋などと恋を言葉で表現してもその差はあまりない。そしてそのすべての恋愛後はすべて対処不可能である。無理に対処すると死神が近づく。対処とはその後、憎むか免許するかの魂の選択のことを指す。対処不可能というのは、憎しみの中に免許が、免許の中に憎しみが同居していることを意味する。ただし、「折り合い」は対処ではなく、諦念(道理のあるあきらめ)である。

どれがいいか?レベルが高いか?それは、どう恋愛行動したかで自ずと明らかになる。不実な行動をとれば、本来、存在した赤い糸は黒い糸と結ばれ直され、3個の赤いボタンを押され、魂の断裂音を聞かされ、その後、二度と愛しい人とは会えなくなる。まもなく、メデューサの監獄に収監されよう。

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