51 アシュラリスト 詩ばり ―誰も愛したくない心を覆い隠す魂―
情に流される生き方から情を押し出す生き方。なろうと思ってもなれるものじゃない、しかし、なろうと思わければなにものにもなれない。ハイテンションジャーニー、担当局入的意味のない名刺配り、人生は台本なしの即興芝居、台無しではない。身の丈に合った金といさぎよい忘却に増えたアルコール。どん底と奈落のコラボレーション。発作的魂のくしゃみのローテーション。
「もう、いいかい?」
「もう、いいよ!」
「もう、いいのかよ?!」。ようこそ、生き下手な皆様。シリアスアクターより、ごあいさつ。
「ありがとうございまし、て。」そして、「かし、こまり。」
出発点を見誤った。誤るを見ているものと見えているもの。体のどこと指定はできない電気ショックを味わいながら、心は加速して見ているが、見えているものを表現することが間に合わない。無から生じる芸術が沸騰することを見ないまま、愛は冷めていく。頑張ることも競うこともない。人という悲しみしか見えない。悲しみは客観か主観か?気の遠くなる経験の集積、一瞬の凝縮。心の多面的重層的空間に儚さが普遍的な詩を書き、魂が筆を持ち、絵を描き始める。ものの見方、見え方、マインドシャッターが監督する。いずれもそれは魂の解放か?魂のシェルター(魂暗室)かサロゲーター(代理人→Surrogates)?憑依型進化?さらなる肉体言葉(気になる躓)の拘束なのか?約束は守られないから約束という。インスタントな魂の着せ替えをアシュラマスターはどう思う…。
助手席のないエヴァンゲリオン、マンマミーア・ハート、癒しの迷宮、誕生サンプル(偶然例)の乱立、自然とパッケージの対立。永遠の遺伝子。自由と梱包は調和しない。人工的なあるがままも存在し得ない。存在としてのマインドコントロール。塵、埃が雪の結晶をつくる。最近、無心に喜んだことがあっただろうか…。梱包には存在しない、笑顔、祈り、残酷が大自然に調和する。それでも止めようのない変化の風が吹く、私達はどこへ行くのだろう。食べるために生きるか、生きるために食べるか、生きるために生きるか。人は生き抜く、生き抜かなければならない運命が課せられている。誰と生きるか、それはあんたが決めなよ。それが生きるモチベーションになる。石文(いしぶみ:古代の意志疎通方法)と碑。死は門である、私はローカルゲートキーパー。フィトンチットの香りによせて。
阿修羅は遭遇した、破壊の前に創造を、それが因縁の後始末。曖昧ジャッジに悩み振り回される。本人はいたって真剣だ、それが哀しい。見事な欺瞞顔と傲慢力。
無関心は不作為の暴力。
無関係は不作為の傷害。
いずれも沈黙罪。関心なくして和は生まれず、関係なくして人は生きられない。「無罪の七施の共生。智目行足たれ。」水ぶくれの魂をスリムにせよ。心のバイタルに「詩ばり」というバロメーター。
リアルをリスクではなくリンクするスキルを手に入れる。
蛇籠(じゃかご:小さくも大きくもできる日本独自の工法、堰:堤、水方向を変える、コンクリートより作業しやすく、メンテナンスが容易)の魂。
エドガー・アラン・ポウの短編に催眠術をかけられている間に死んでしまい、術が解けないので生き腐りしている男の話がある。死に始めているのだが死に終わらない状態がいつまでも続く。「早く死なせてくれ」と男は悲鳴を上げる。ポウはこういう「死にたいのに死ねない」恐怖を書くのが好きだ。
闘牛士のカポテ。スペインの国家資格だ。命懸けで美を追求するスポーツ。1回3000万円ギャラ…得か損か、それを飛び越えた名誉。
キリンとインパラ。キリンはサバンナの見張り役、キリンが逃げると自分(インパラ)も逃げる。キリンがボォーとしていると自分(インパラ)も居場所を確保したと思う。
シルト(石の沈む土)に乗った魂。
魂の泉の道枝に花ひとつ咲く、暗闇の灯り。
同じ月を見つめているあなたが生まれなければ、この世に生まれなかった愛があった。
「ありがとう、愛している、大丈夫だよ。」
突然、セピア色のラブバラードの出現、行き着く先は意地悪な風任せ。透明に曲がりくねった夜明け、いずれ絶望になる幸福、朝昼晩、生きるには繊細すぎる、治すには重篤、責めるには浅はか、反省するには無責任、薄紅色の途切れながら見えてくる諦めるほかない執拗な想いの揺れとぶれ。恋は椅子取りゲーム。残酷な天使の鳥かごに入る恋と鳥かごの外を夢みる恋のハーモニー。振り子はぶれても振り子はひとつ、それも世界にひとつだけの振り子。往復する悲しみと葛藤。それでもそんな魂のどこかに笑顔と楽しいおしゃべりは残っている。理由は後付け、汗をかかなくなった擬似恋と結婚しない恋愛、結婚できる恋愛、結婚できない恋愛。そしてメッセージをなくした試練の残滓(のこりかす)。愚かの集大成、哀しみの凍結した瞬間の動画の一部になった恋愛ショー。
葬式を長い旅行と言ってのける、ふざけ笑顔がパンパン。
真似ることができないスタイリッシュ・シリアス・オーラを持つ生き方。肌に張りはなくなったが魂には張りが出た。時には無理やり引き出さなければならない「居場所の引き出し」がある(引き出しイベント)。マトリックス(母体)の中で、思い切り泣いて笑って、自分らしさに出会う魂。幸福は近過ぎると返って見えない。孫悟空が迷い込んだ釈迦の掌(たなごころ)、やがて怒りと光りの違いに気付きはじめる。光りひとつ携帯して、流れ星。過去の3歩先を歩け。泣く暇があるなら歩けよ。
毒抜きは済んだ。さぁ、次は毒出しをしよう。このまま、くたばってたまるか!
体が疼いたまま、魂は愛を求め、心は痛みを予感する。一生をかけても埋めきらない空間と空白を保つ魂。もらっても、そのたびに回収されるトロフィー。見える緊張、見えない緊張。気合いと我慢は挫折する、さ迷うカミソリよ!
「俺は何をしている?」
「俺は、生きているという仕事をしているだけなのか…」。
魂に直接効くという肉体言葉には、打っても響かない恋への苛立ちがリアルタイムに投影される。肉体言葉には当意即妙の「妙」がある。いい得てないかも知れないが妙はある。過ぎ行くものを覆い隠す「今」と折り合いをつけるのはやめよう。精神的試金石マーケット、それは精神、一喜一憂はチャンスの兆し、羽根ない天使それは人間、新しい圧力は優しい軋轢、賢い過酷は脳ミソにへばりつく知恵、心のアレルギーはトラウマの克己。
さぁ、これだけの役者がそろえば、あんたが不幸になれる訳がない。
幸せになりなよ、これだけ苦しんだんだもの…。
光る命、輝く魂、光る畳、輝く存在、インターバルな精神錯覚を乗り越えながら、ね。
味気ないあんたのいない、ここ。
気の毒で憎めない天邪鬼(あまのじゃく)へ。
☆
ゼーレの眼
誰も愛したくない心を覆い隠す魂
詩ばりは「縛り」のイメージと音読みをかけた。縛りには、腐れ縁、しがらみ、絆(きずな、ふもだし、ほだ、ほだし)などがある。
「今はもう誰も愛したくないの…」
「今」とは解字であり、会意である。その意味とするものは、「ものにかぶせるふた」、あるいは「屋根が、下の物をおおっている形を表す」。過ぎ行くものを「覆い隠す」の意。のちに「いま」の意に用いる。
昔、流行った歌の歌詞「今はもう誰も愛したくないの」、それは、まぎれもなく、「誰も愛したくない心を覆い隠す魂」の作用、それは心を縛る魂の姿である。恋愛とはそれほど強固で恐ろしい。
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