30 アシュラリスト SNEHNESNE(みざるきかざるいわざる)

See no evil, hear no evil, speak no evil

見ざるをよしとする。

聞かざるをよしとする。

言わざるをよしとする。

人のあらを見ざる探さずをよしとする。

人の悪口や誤った情報を聞かざることをよしとする。

口から出た言葉は取り戻せない、軽薄な言葉は軽はずみの引き金、言わざるをよしとする。

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人はなぜ、人を「いじめ」るのか?

優位な立場に立ちたいからだ。

優位な立場になったらどうする?

優位な立場を持続するために再びいじめつづける。

それは何かしらの満足をもたらすか?

満足ではない、いじめたいからいじめるだけだ。

そんな理由なのか?正当な理由など存在しないのだ。ただのやっかみの肥大した嫉妬の暴走…。

その思想はどこから生まれる。

こうしなければ生きていけないからだ。

精神麻薬か?

自分の存在理由のために、人をいじめるのか?

いじめは一種の住む家のようなものだ。

どういう家だ?

無間地獄(エンドレス)だ。

誰と住むのか?

悪魔と悪夢だ。

そこから抜け出したくないか?また、そんな奴らと付き合わず他の良き者と付き合いたくないか?

そうしたい、しかしその方法が分からない…。

―――――

人は経験によって良くもなり、望まない経験の積み重ねでトラウマを増やす。いじめる方もいじめられる方もエンドレスな闇の徘徊(たもとおり)。そこに優劣もなく勝敗もない、ともに見るべきものも得るべきものも存在しない、生きづらい空間の拡大・拡張と大きな迷惑でしかない時間の浪費。もったいない。そして人は分からないままに年を取る、これを「無明」と呼ぶ。 しかし、その両者の母親たちは命をかけてそれぞれの子らを守る。それぞれのエンドレスな格闘が開始する。無明の眠りから、日が差し込める日が訪れるまで・・・。

ゼーレの眼目

昨日の告知済イベントで、専門NPOによる発達障害をテーマに最新の情報及び発達障害児を持つ主婦の体験、元小学校教師の体験(学校としての対応)を聞いた。思った以上に現場では関係者の対応が間に合わず、当事者である親子ともに心の闇が深刻に進行・蔓延していることに驚く。

 何かしら該当すると思われる方は、関係NPOにアクセスすると、道が見えてくるかもしれない。なお、参加発言された主婦は、発達障害の子育てで精神が疲れている、「話を聞いてもらえるだけで元気が出てくる」と話した。

 そして、今回、「発達障害に対する理解と、私たちにできることを考えましょう。」の講師をして頂いた特定非営利活動法人パルレは、品川区の委託事業を引き受けている。

◎特定非営利活動法人パルレ

 サイト:http://npo-parler.com/

 ブログ:http://act017.blog17.fc2.com/



AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」
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