25 アシュラリスト 母の日

大正時代から昭和初期に「母の日」を日本に普及させたのは、青山学院の前身校の校長を務めた米国人女性らという。活動を紹介した「青山学報」(1993)には、母の日は「母に感謝を捧(ささ)げる精神的な行事」とある。贈り物だけで自己満足していた息子(私)、感謝にはほど遠いと思い知る。

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ばあさまが山に捨てられることになり、せがれに背負われて深い深い山にのぼったそうな。ばあさまをそこに置いて帰りかけたせがれは降りる道を見失う(迷子になってしまったのだ)。仕方なく、いま捨てたばかりの母親のもとにもどり、たずねた。「どうすべえか」。母親は息子にこう言ったそうだ。「おめえの背中にぶっつわりながら、道みち、枯れ枝をおっくじいて道しるべにしてきたから、それをたよりにけえれや・・・」と、東北地方に伝わる民話。

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あなたは母に何を贈るだろうか?

母はあなたにすべてをあげている。

亭主「野郎は、金坊は大きくなったろうな」。

女房「おまえさんの前にいるじゃないか。よく見てごらんよ」。

亭主「目をあけると涙がぽろぽろ出てきていけねえ。おめえ、代わりに見てくんねえ」

まだ夜は明けねえか、金坊はまだかと、奉公先から3年ぶりに戻る息子を待ちに待っていた父親は、「ただいま」の声を聞けば感極まって目をあけていられない。落語「藪入り」である。

「みちのくの/母のいのちを一目見ん/一目見んとぞ/ただにいそげる」(歌人・斎藤茂吉)

「あんたにはもう/何もしてやらないと/ケンカした夜/手作りの弁当があった/翌日の朝」(速水裕子・十四歳)母子ゲンカの翌朝、いつもと変わらぬ弁当を見て、裕子さんはうれしかったことだろう。

「あんたはええ子」/一生破れない/マントのように/母の言葉/(まと)っている(高樹郷子)

「ほろほろ泣きながらお袋は/非行少年の俺(おれ)に言った/人さまの物をぬすむなんて/さ、死になさい/私も死ぬから」(江口龍路)

「一度だけお母さんへ」(草壁焔太編・山と溪谷社)より


ゼーレの眼目

本ブログ掲載済みの「小さいお菓子袋」を投稿し、昨年3採用されました。

書籍名は『102年目の母の日』(1200円:長崎出版)です。

亡き母に「母の日の手紙」を、という投稿募集新聞記事でした。完成した本を通読した後、他の投稿者とは面識も生まれ育ちもそれぞれに違うのに母親への思いはひとつということを痛感し、投稿された皆さんのそれぞれのメッセージに胸を熱くしました。

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