17 アシュラリスト 見えざる力

見えないものを見せる力(テレビの力)

フレームワーク(framework)の外の真実。

見せるものを隠そうとする弱さ、

見えるものを取り替える狡さ、

見たくないものを見せる悲しさ、

見たいものを実現する愛。

愛を実現すれば、それがそのまま見たいものとなる。

愛は実現されれば愛そのものが喜ぶ。

そして、愛は実現されることのみを望んでいる。

君を救うのは魂か弾丸か…?

俺の魂は俺にしか救えない。俺は阿修羅のままでいい。

星のない夜空は見たくない。もうすぐ夜明けだよ。

そして始まる意識の収奪、自分のイージスはどこだ、早く探し出せ!

愛と事実。

部分的事実をいくら積み重ねても、全体の事実にはならない(それぞれの部分が矛盾し壊れる)。しかし、部分的愛は積み重ねれば、全体の愛になる…いや、それ以上かも知れない。



ゼーレの眼目

ディズニーのフルCG映画「ダイナソー」。恐竜を主人公にした映画。

主人公の草食竜が肉食竜に追い込まれ、逃げ疲れ、逃げ場を失い闘い疲れたとき、思いを寄せていたメスの草食竜が一言いう、

「諦めるのは自分の意思よ。運命ではないわ。」

スヌーバ(snuba)というスノーケリングとスクーバダイビングからの造語で、潜水器具をいう。ボートに空気タンクをおき、そこから6mのエアホースを伸ばして、スヌーバダイビング(水中散歩)が楽しめる。見える部分(ボート)にも、見えない部分(水中の人)にも、空気の命綱(愛)でつなげれば、生きてゆける。見えなくても人は生きている、動いている、遊んでいる。

また、見えないものの一つ、次の「18 アシュラリスト 宝石の網」をお読みください。

AEGIS シリーズ全編及び「ゼーレの眼」
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