16 アシュラリスト 初期阿修羅

神通力と思い込みの狭間から産まれる心痛力。

愛によって世間の波に共に耐えた、しかし、見捨てられたスニーカー。

魂がひとつになれなかった名前を書き綴る、ABCDE・・・。

恨みつらみより、別れ際、どうして優しくしてあげられなかったのかと思う。

互いに未熟ではかない存在。怒りこそ、真実の愛、真っ直ぐな恋の姿と思っていた。

初期阿修羅、

中期阿修羅、

後期阿修羅、

順調にかつほどほどさように阿修羅になっている。

ゼーレの眼目

阿修羅は主観と客観を繰り返し、現実と空想、内面と外面、昼と夜、交互に自由に移動する。

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『生ましめんかな』(作・栗原貞子さん)

 こわれたビルディングの地下室の夜だった。原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえその中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

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栗原貞子さんの詩「生ましめん哉」である。

赤ちゃんは女の子で「和子」と名づけられた。その小嶋和子さんはいま、息子さんと広島市内で食事と酒の店を営んでおられるという。誕生日は原爆投下の2日後、数か月後65歳になられる。亡き母は被爆体験をほとんど語らず、和子さんは高校に上がるまで詩のモデルであることを知らずにいたそうだ。「胎内被爆した娘が世間から偏見をもたれないように、という気遣いだったのでしょうね」と和子さんは言う。いまは栗原さんの詩が朗読されると、生まれ出る身ではなく、地獄のような夜の底に命がけで産んでくれた母の身になって聴くという。

「リアルタイムで、若い女が産気づいているのだ。」この1行からすべてが始まる。若い女が産気づく「リアルタイム」が地球上の至る所でえんえんと続いている。それこそが、心から祝福しないではいられない、連綿と続くいのちのパノラマである。

今年の母の日は、59日である。

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