9 アシュラリスト 振られたこと
振られたこと
彼女が男の友人に「私、振られちゃった」と言った。この時点では誰もそのいきさつは知らないはずたが、たいてい、同情される。生身で生きる男女、たいていどちらかに大小の程度の差こそある不貞行為、すなわち「許されぬ行為」という臨界線が存在し、はじめは愛情をもって許容しようと努力するが、逆に嘘の上塗りをされ、そのままズルズル腐れ縁を継続するパターンか、しない場合、「振る」という決断を迫られる、一体誰に?自分に不貞行為はないのに、彼女の不誠実に対しての結論。この場合、「別れた」と言ったほうがクール(適切)だ。そこには別々の道を歩き始める覚悟が見える。それはある輝きとなり、本人に備わり、いつしか、誰かを照らす。
キーワードになる「振られた」は二股またはそれ以上の関係をしている者にとってはリアルタイムに便利な言葉だ。しかし、元恋人がやっぱり一番良かったと自分の魂が輝いても、もはや元恋人を照らすことはできない、声をかけても思いは届かない、それはもともと自分の心が選んだ「恋の代償」。別れても好きな人ではなく、振られても好きな人だ。
別れて、別の道を歩きます。「振られる」と「別れる」の差は大きい、それに気がついている人はクール(かっこいい)だと思う。
「振られた」を免罪符に使うことはいつかそのつけは自分に回る、そしてなによりもクールではない、結果もかっこ悪い。自分のなした悪しきことは自分の影のように愛人のようにつき従う、のだ。
ゼーレの眼
昔、未婚女性の振袖は横に振ると好意がある(好き)、縦に振ると嫌いをあらわした。子どもができたらその部分切り離し、子供の服に用い、留袖(人妻)とした、といわれている。男が女に「振られる」のはその振袖の所作から来ているという。したがって、語源からいうと女は男に振られることはない。
そして、S・フロイトの精神分析によると、ふられたときに、相手を実はそれほど好きではなかったと自分をなぐさめる、これを「合理化」と呼び、心理学では防衛機制(defense mechanism)と言い、欲求不満に対処するために、ごく日常的に使う機制であるところから、適応機制ともよばれる。
フロイトの精神分析のお世話になるまでもなく、自分に嘘をつく恋愛はしたくない。
AEGIS シリーズ
転載、コピー等はご遠慮ください。
Copyright(c)2007-2009 Toshimitsu Kuriki. All Rights Reserved.