4 アシュラリスト 「感情の皮膚、感性の鎧」

感情の皮膚、感性の鎧

刺がない薔薇は美しくない。しかし、感情の皮膚が薄いので、触ると痛い。触られるともっと痛い。雨も痛い。

「楽」とは時間に比例して自分を進化させること。従って、過去のひとつひとつの物事が現在の自分を造るのに必要な鍵となる。自分に鍵穴がたくさんあるのにただ見過ごすのはもったいない、「魂」。いくら生きる計算が速くても、感情の皮膚は強くはならない。正確な生き方をするより、ぎこちなくても感情の皮膚を育てたい。前に進むエネルギーより、感性の鎧をつけ、後退りしないエネルギーを補填しよう。若い時の苦労は宝物。それが人間の燻し銀、あるいはふところの深み、あるいはコクになる。しかし、感情の皮膚を持たないと若い時の苦労が垢になってたまるだけだ、それは不条理を上塗りするだけ。

栄養にならず垢石としてはてる、もったいないじゃないか!

過酷な分かれ道…。感情の皮膚は誰にでも起こり得る不幸を助け合って解決するために存在する。人としての弱さ、それを隠さない強さ。落ちるより先に三毒が回り、気の毒にまみれてしまっていても、感情の皮膚は常に再生され、感性の鎧に再整理される。こうして感受性が途絶えることなく魂に編み込まれていく。

運命ならまた会える。たとえ、運命でなくても会いたい…。

厭なことといいことは同時に起きるよ。できる思い込み、できない思い込みはバランスが保たれていて、どちらかいずれに傾いても、痛みを伴う勇気を試される。何もしなければ痛みはないが、進歩もない。失敗による失意は、それ自身、不幸ではない。回復する魂が怯えて、どこかへ隠れてしまうことが不幸なのである。失意の改善は愛によって勇気となる。今、愛があるかその胸に!愛の深き者は幸いである、失意を進歩に変え、知らず知らずに、回りを光で照らす。たとえ、自分自身が暗闇に置かれ、それと気が付かなくても、行動が愛そのものになっている。強く優しく握った手は、強く優しく握り返される。それは張り付くまでもない真実、照らし照らされながら、人は生きていく。

徐々に沈む心の刺たち…。

悲しみをみごもり、優しさを産む、魂の子宮。優しさを育てるのは苦しみ、支えるのは一緒に生まれてきた愛。しかし、優しさは産まれる過程で愛と離ればなれ、やがて、人生の苦痛が愛と巡り合わせてくれる。

恋愛は常在非対称にして非対応。真剣に何かと向き合う時、ニコニコしてばかりはいられない。いいセリフを言える恋というのはそんなにいつも味わえる訳ではない。ひとつの思いが終わりを告げる。何故、自分がここにいるのか常に思考することが必要、それが分かればほとんど恐れはない。

ジェットコースター人生に慣れろ!

示し合わせ、抜け駆けしたような後味の悪さを見るな、見させるな!

聞くな、聞かせるな!

話すな、しゃべらせるな!

心の中の一段高い所で輝いている君へ捧ぐ。

愛の谷間、愛の裏付け。「狂った果実」のようなキス。

恋が女をファッションで飾り飾らせ、愛がそれらを脱がせていく。

芸術で昇華し、愛が魂を壊してゆくロダンの愛人。

心は順番を取り違えるミュージックボックス。盾の折れたエンジェル。サイコロの目より複雑にして、繊細な眼差しを向けながら、心の汗、心の血を共に流し続けているのに、想う人には見えない、聞こえない、届かない。燃える恋に包まれて、燃え尽きない愛。

姿を現せ!魂の鼓動を聞かせろ!愛の波を届けろ…、静かに届いてくれ!

心のバイパス、魂のジャンクション。本当に伝えたいことは言葉にならない。だから、苦しむことになる。

デジャブにない恋を欲しながら、結果的にデジャブ恋を選択し、再び同じ苦しみを背負う、あんた、また何してんのさ。

恋は魂の皮膚呼吸、見えないが確実に呼吸している、大事に深呼吸するんだぜ。「口は災いのもと」、しかし、同時に口は愛を語る重要なアイテム。

メロンのかさぶたのような恋。その恋はフルストライク(鮮明にしてど真ん中)にしてフルスクリーン。定常変種する恋、させる恋。恋に行き詰まっている暇はないよ。

「私が、私に、あなたを幸せにさせて下さい。」

恋に生き、恋にはぐれる魂がひとつ。

和泉式部よ、死ぬ前にもう一度だけ逢いたい男って誰だったんだい?

恋に突沸する魂と魂たち。魂の深みで暴れる恋。それは月明かりか闇か、夢かうつつか、身を滅ぼすか…?

恋はひとりひとりが秘めるもの。愛はひとりひとりを守るもの。

恋の誇りがかかっている。

恋に勝てなくても、戦わねばならぬ。

恋が生きるか死ぬか。たとえ、恋が敗れても、戦うだけだ、それがアシュラリスト。

(なんじ)の子と書いて、「孕む」と読む。

自分の五感を通して恋をしな!

少なくとも本当の恋になる。すり減る魂、擦り寄る心。この恋に、入れ残した要素は何もない、そして取りこぼした愛もない。




ゼーレの眼目

「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな」(和泉式部:百人一首)死ぬ前に思い出としてもう一度あの人に会ってから死にたいものだ、という思いだろうか。

「あの人」とは誰なのか?そんな「あの人」ほど恋しい、和泉式部のような恋などできるものなのだろうか。それともひたすら待つことで思いを貫いた女だったのか。

一生を恋愛に終始し、情熱的な歌をよんだ恋多き女、和泉式部の歌留多を指定するのは「悩ましき恋多き女の札だ」と感じてしまう。

メロンのかさぶた

甘さや食べ方などから果物と思われるメロンは、生物学上では野菜の仲間とされる。

果実が出来たばかりの頃は、メロンの表面には網目はなく、ツルツルの状態であり、成長が続き、2週間経過したあたりで、果実の生長速度に表皮生成がが間に合わなくなり、、まず縦に複数の亀裂が入り込む。その切れ目をプロテクトしようとして、亀裂に沿って染み出した果汁が固まりながら、盛り上がってくる。まるで、地球のマグマのようだ。さらに大きくなるにつれ、横や斜めへ亀裂とヒビが増えていき、そのたびに固まって、最終的にネットで覆われたような実となる不思議。あの網目はあたかも、自身の傷口保護のための瘡蓋(かさぶた)のようなものだ。

また、マスクメロンのマスク(mask)はムスク(musk:ジャコウ)からきているとされる。大正時代にイギリスから、初めて導入された温室メロン。網目を仮面(マスク)や覆面のイメージに例えたわけではなく、ムスクのような素晴らしく良い香りがすることから、日本ではマスクメロンと呼ぶようになったといわれる。

AEGIS シリーズ
転載、コピー等はご遠慮ください。
Copyright(c)2007-2009 Toshimitsu Kuriki. All Rights Reserved.