アシュラリストシリーズ

090913着手

アシュラリスト

難しい、厳しい、険しい、攻撃を意識した守備。常にアウェイに身を置かされる運命。前に進む恐怖は無視。後ろを見ない傲慢は性格、阿修羅に備わった資質。噛みついて、かつ噛みしめて生きてきた。

我慢は毒、忍耐は飛躍。誤解は生まれ始めから、誤解。誤解のない場所などはない。思い込みと思いやりの狭間。白ワイシャツについた黒インクの染みを気にし過ぎて、大事なことを飛ばす魂。強引さとしたたかさとどちらが勝る、それとも同居か。たくましさ、りりしさ、頼もしさは本音を隠すことから生まれる。浮かび始めた勇気、阿修羅に出会って、また忘れ去る連続の作用。つまびらかにして閉塞、断絶にして融和、拘束されながらの解放、疑心暗鬼という名の信頼、片っ端から刺々しいオーラで刺しまくられても、心に触れる者に対しては慈悲で包み込む心を合わせ持ち、生きている。

みんなをHAPPYにしたい!

誰をHAPPYにしたい?

観音顔に内面阿修羅、ベタつく心によく効くぜ。ふところも心も痛い。切り出し切り出された心。優しい嘘と哀しい嘘を同時につけるやつ。眉間のシワは繊細にして、阿修羅の印(しるし)。それは長く辛い印。阿修羅の印を身にまとい、素知らぬ素振りで歩き抜ける人(やつ)。平気で不実実行、確信犯的悪意(サイコパス)に対抗するため、6秒待て!6秒経てば、怒りと汗も引き始める。そばは音を立てて食え、食える間は。たとえ、生き方がなおざりになっても、それは阿修羅への生成過程。そのまま阿修羅モードに展開されてゆく。すべては悪夢だったと、いつか眼が覚める気がするよ。とにかく足元のすべきことを粛々とやればいい。真実と現実の狭間を生きる。立ち位置を見失っても、打たれ弱くなっても、傷つきやすくなっても、生きろ。生きるひ弱さは誰でも同じだから…。未来図が描けなくても、今日踏み出した1歩の確認はできる。その1歩の積上げが人生なんだ。「自由」と書いて「不自由」と読む、魂のコレオグラファー(振付師)。幾度も焙煎された濃い魂からありとあらゆる感覚と感情が心の奥底のサイホンから抽出されながら、出てきた大量のため息と涙を飲み込む。それが「冷静さを装う」ということ。ドンブラコ、ドンブラコと飲み干すよ。

名もなき阿修羅よ、欺瞞的世間の無意識を挑発し、立て直すような勇気に理不尽なオファーが入り乱れる。悪意のコンプライアンスとの競演。

それが名もなき阿修羅の常態と心得よ。

ゼーレの眼目

奈良の興福寺にいる阿修羅は、いたって穏やかな表情を浮かべている。

「阿修羅像」の最大の特徴は「3つの顔、6本の腕」、仏像の中でも特異な形をなしている。中段の2本の腕。合掌すれば、もはや右手も左手もない。二極対立。左右と上下、善悪、美醜、優劣。お互いに相手をそのままにおいて「認めあう形」が合掌形だ。

単毒、それは青白い炎の「嫉妬」が自分自身を鋭く傷つける。そういう全部を止めよ!

正面:

複雑な感情の起伏、憂いの眼差し、静かでありながら内面の激しさ。自分とは何か、人は何のために生きるか。不安と情念。

正面右:

世の中の不正や悪を憎み、じっと唇を引き結んでいる「忍」の表情。

正面左:

厳しい「怒りの阿修羅」の表情。

後ろ姿:

厳格と慈愛。

をそれぞれ示すとされる。

神通力と思い込みの狭間からくる心痛力。愛によって世間の波に共に耐えた、しかし、見捨てられたスニーカー。魂がひとつになれなかった名前を書き綴る、恨辛(うらみつらみ)より、別れ際、どうして優しくしてあげられなかったのかと思う。互いに未熟ではかない存在(男と女)。怒りこそ、真実の愛、真っ直ぐな恋の姿と思っていた。静かなる怒りより生まれた、純愛。

AEGIS シリーズ
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