「志多ら」結成20周年全国ツアー<悠久の道>
私は企画担当者の方とご縁があり、「志多ら」結成20周年全国ツアー<悠久の道>(09/6/24東京ツアー:半蔵門の国立劇場にて)に招待されました。じっくりと邦楽コンサートを聞くのは初めての経験でした。大迫力の太鼓の波動、また笛、琴、鐘で繊細な表現、それらのハーモニーに感動しました。感動のほかに、懐かしさという感情も覚えました。遠い時代から受け継がれてきたDNA的懐古感覚とでもいうのでしょうか、幻想的なステージの中にデジャブーした自分が投影したかのような心持にもなりました。
コンサートを聴きながらそれに関連してある記憶が甦ってきました。
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数年前の、あるNGOの会議で広島大学医学部の教授と話をしたときのことだが、その教授が国のネパール海外医療チーム(公衆衛生支援事業)としてネパールに赴任していて、医者でありながら細菌性赤痢にかかってしまった時の話である。
「公衆衛生」を専門とする教授は苦笑しながら、「私は、赤痢にかかってしまったと思う。すぐさま私は民間療法士の家に連れていかれ、いきなり銅鑼(ドラ:現在日本では船が出港する時などしか聞かれなくなった)を鳴らされて、ヒマラヤの氷河から採ってきたというドロドロした見た目も汚なく、まずい薬草を飲まされた。その後、私は二日間ぐっすり眠り込み、完治した。帰国した後、聞いたのだが、私の消化器血液内科を専攻する友人に話したところ、それは理にかなっている。食べ物が食道から胃そして腸に行くと蠕動(ぜんどう:筋肉の収縮波が徐々に移行する型の運動。ミミズなどはこれによって移動を行い、また、高等動物が腸の内容物を送るのもこの運動による。人の食物の消化のため腸そのものが大脳の命令なしに単独でくねくねとゆっくりした動き)運動の中で食物は消化される。そこにある一定の音波が加わるとその蠕動運動(収縮波)に影響して下痢が止まるということだった。」と話した。そして音波と腸の関係は現在も大学で研究されている、と私は記憶している。
ところで(過去にイベントで私がコーディネートした)韓国農楽団は韓国の一農村の伝承音楽である。もっとも大陸中国から伝わってきたものであると思うが、その伝承音楽は各村々の祭のメインであり豊作祈願や病気払い並びに子孫繁栄等の要素も含まれている。演奏者は技術はいるし大変だろうが、参加する者はその回りをぐるぐる回るだけだから(踊りも覚える必要もなく、ただ回るだけ、盆踊りの原形という見方もある)、日本の阿波踊りとか盆踊りのような「踊り」としての規格性はない。とにかくその韓国農楽団の周りをぐるぐる回る。筋肉を使いエネルギーを消費する、疲れるし、汗が出る、いやなことがあったとしてもその一時は忘れることができる、結果的に血行が良くなるし気も晴れる、血管内部の老廃物の排出効果が上がる、肌もきれいになる。腹が減るし、食欲も増す。さらに蠕動運動を補助する作用があるとされる鐘等の大きな音をまじかで聴く、その波動がまともに体を貫く。それらは(イベント会場である)体育館近隣の人達から「うるさい」という苦情の他、肉体的にデメリットは一つもないことに気づかされた。その後、いつにないほどの食欲とビールがうまかったことはいうまでもない。それが結婚している人もしていない人も、子孫繁栄につながることも医学的に説明するまでもない。それらは「祭」として宗教的、地域文化的、医学的、精神衛生的、肉体的、時には唯一の娯楽並びに苦悩又は孤独の癒しとしての役割を果たしてきた。
しかし、現下近接の祭りの現状はどうだろうか、形式的には残っているが形骸に過ぎないような印象を持っているのは私だけだろうか。あまりに、役所的な管理制約を受け、縮小化・矮小化されて「祭り」の人間性が様々な意味で良い結果をもたらすことを忘れて失った代償は大きい。西洋医学が発達していなかった日本もかつては、至る所でそういう風景をかいま見ることができたのだろう。
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「志多ら」のコンサート後、地下鉄に乗り、再び大都会に埋没していく自分。帰途につきながら、いろいろ思い出し、考えさせられた。
大都会の地域社会が崩壊している現状では、「お祭り」はなかなか体験しにくくなっている。もし、近くの地域社会で「お祭り」があったら参加してみよう。そこには思った以上の地域文化的、医学的果実が転がっているだろう。
ストレスリセットしにくい現代人には、身も心もリフレッシュする空間になるのではないだろうか。
取材・文・コーディネーター 栗城利光(SWAN)
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