黙示録 -心と友-

POLYGAMY -四人の妻- By AEGIS

ある賢者がこんな話をした。

とある町に四人の妻を持つ男がいた。

第一の妻は、男が最も愛していて、身辺から離さず、寒さ暑さにつけていたわる寵愛ぶりだった。

第二の妻は、人と争うことまでして、ようやく手に入れた妻で、ちょっと姿を見ないと不安になってしまう。

第三の妻は、普段はそれほどでもないが、寂しいとき、悲しいときは恋しくなる。

そして、

第四の妻だが、これは妻とは名ばかりで、奴隷に等しい労役をさせながら優しい言葉一つかけてやらずに平気でいるほど虐待していた。



こうして四人の妻をたくわえ栄華を極めていた男が重い病気に侵され、余命いくばくもなくなってしまったのだ。


男は第一の妻を呼んで哀願した。

「俺はお前を何よりも可愛がり、望む通りにしてきた。愛しいお前が一緒に死んでくれるなら、死も怖くない」、だが第一の妻の答えは冷酷だった。

「あなたの世話にはなりましたが、一緒に死ぬなんて嫌です」。



男は第二の妻に頼んだ。「お前なら、わしと死んでくれような」

第二の妻が答えた。

「あんなに愛した第一の奥さんが御伴しないのに、どうして私が一緒に参れましょうか」。

第三の妻を呼んで頼むと、第三の妻は答えた。

「ご恩を受けた代わりに町外れまでお見送りしますが、その先は参れません」。

男は絶望し、第四の妻を呼んだ。

「わしは平常、お前をこき使ってきた。頼んでもムダだろうが、できることなら、わしと一緒に行ってほしいのだ」。

すると第四の妻がこう答えたのだった。

「私は苦楽も生死もあなた任せと思い定めて参りました。どこまでも一緒に行かせて頂きます…」。


この話を述べた、ある賢者がさらにこう言った。

「第一の妻は人の肉体、第二の妻は財産、第三の妻は肉親と友人、そして第四の妻とは人間の心である」と。



ゼーレの眼目

人間にとって、自分の肉体ほど愛しいものはない。その体が健康であると、財産ほど貴重に思えるものはない。しかし、健康であったとしても、財産もあったとしても、人は一人で生きられるものではない。とかく肉親とか友人を何よりも頼りにしたくなる、だがそうしたものに幸せを求めても、そのすべてから人はいつか去っていかねばならない。それらのものは自分の思い通りにならないのに、地位や財産を必死に求め、周囲の人を自分の思い通りにしようとあくせくし続けるだけなのだ。



国連のアナン元事務総長がよく口にする譬え話があるという。
鶏と豚が旅に出て、あちらこちらと見て回ると世間には気の毒な人たちがいっぱいいることが分かった。
そこで鶏が豚に言ったという。
「この可哀想な人たちを私たちで救いましょうよ」
すると豚はこう答えた。
「君と僕だけで何ができるというのかね」
その豚に鶏がこう言ったのだ。
「あら、何も心配することはないわよ、私が卵を産んで、あなたがベーコンになればいいのよ」
これだと豚は死ななくてはならない。
「トンでもない話だ」と豚は逃げ出した。

 つまりは「国際援助の会議も、詰めの段階になると、どの国も負担するのが嫌で逃げ出してしまう」という比喩である。


「われわれの小指のごく小さな痛みの方が、何百万の同胞の殺されるのより余計心配と不安を与えるものだ」(William Hazlitt:ウィリアム・ハズリット)

 人間、結局は、わが身が可愛いのだ。他国の戦争や、虐殺など、自分に関係のない限り、どうでもいいのだとウィリアム・ハズリットは訴える。ほかに「青年はやがて死ぬなどとは考えぬ」とも言う。ただ、想像力をもたない者にとっては何を言っているのかさえ分からない。


心と友 ―黙示録―

決して年をとらぬ青春をください。

永久に病気にならぬ肉体をください。

ずっと死なない生命をください。

苦しまなくて済む心をください。

それらを地獄という。

そんな世界では人は何もできなくなり、退化のみが進化となる。

人は年をとるから青春を謳歌し、

人は病気になるから自愛をし、

人は死すべき命だから尊び、

人は苦しむから努力する、

これらが相互にバランスを取りながら、命を輝かしている源泉なのだから…。


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