成長勝負 By AEGIS

年下の女性に恋をしている。ドキドキ

それもふた回り以上の女性だ。父親であってもおかしくない年齢だ。

欧米では、1日に最低1回は「愛している」と言う、365日一年中。

自分の恋の器で、恋心が壁を叩いてせかす。

「早く、告白しろって…。」

恋はダメモト、確率の高い恋はただ確率が高いだけのこと、あまり意味がない。

人生の最後に、「君を愛して本当によかった」と言える恋でなくてはならない。

それならば、15回「愛しているって言うよ」そうすれば、5年間で君との年齢差を超える。

早く気がついてくれ、俺の両目の奥の恋心に。

早く去らないでくれ、夢の通い路に立つ、君の姿。

人生はどのくらい長く生きたのではなくて、どのくらい真剣に愛したかが問われる。

誰かに勝つために恋をするのではなく、自分が成長させてもらうための恋をする。

奪うな、迷惑をかけるな、そして、自分を成長させよう、こうして恋は完成系に入る。

だから、恋は真剣勝負ではなく、成長勝負なんだよ。


ゼーレの眼目

成長勝負という考え方、たとえ失恋してもダメージが少なくて済む。恋は精神の鍛錬。本来、辛い恋、楽しい恋など存在しない。恋は真剣な恋か、いい加減な恋そのどちらかだ。前者に当たれば○、後者は振り出しに戻るだけ。従って、敗者は存在しない。敗者と考えるのは少しネガティブだ。

そして、
「幸福は出来合いではだめなんだ。あつらえでなければね…、ぼくは幸福を自分の寸法に合わせて裁とうと努めたんだ。」(アンドレ・ジード:「背徳者」)

幸福を自分の寸法に合わせたいのなら、自分で考え行動するしかない。幸福にマニュアルなどあろうはずもなく、人まねも、人のものもダメ。

後段の、「裁とうと努めたんだ」の「裁つ」には、過去を絶つ、そして未来を切り開くというイメージを感じる。さあ、人生も恋もオリジナルに向けて、快刀乱麻で生きて行こう。
「美しいものが美しいのではない、好きなものが美しいのである」(イタリアの諺)



あなた自身が見たい恋に、あなたがなりなさい 

編集・文 栗城利光(SWAN)