崖の上の人魚姫 By AEGIS
アンデルセンの童話「人魚姫」のことを思い出してみた。
―あらすじ―
6人姉妹の末っ子として生まれ一番美しかったこの人魚姫は嵐の海で難破して、船から海に投げ出された王子様を救って陸に送り届けたが、この王子様のことが忘れられず、もう1度、陸の宮殿に住む王子様に会うため、人間になりたいと思うようになる。そこに現われた魔法使いの妖婆が、望みのままに人間にしてあげるが、その代わりに人魚姫は「声」を失わなければならないという。
王子に会いたい一心から人魚姫は人間に変えてもらうが、愛の心を伝える「言葉」を失ってしまった。
本当は人魚姫に助けられた王子だったが、声が使えず、話しかけられない、真実を伝えられない。ほどなく王子は城の近くの命の恩人だと勘違いした娘と結婚する。
絶望した人魚姫が船の縁で泣いていると、姉達が彼女に声をかける。「あなたが死なないためには、王子を刺し殺しなさい!」人魚姫が再び人魚の世界に帰るためには、憧れであり、夢であった王子様を魔女からもらった短剣で刺さなければならない。その短剣は人魚姫が王子と結婚できなければ死んで泡になってしまうということを聞いた姉達が妹である人魚姫のために自分達の髪の毛と交換に魔女から手に入れたものだった。
つまり、一番望んでいた幸福を捨て、夢を滅ぼすことが、唯一最後、人魚の世界に戻れる道だったのである。王子の寝室に忍び込んだ人魚姫は王子を刺そうとしたが、好きな人を目の前にして刺すことはできなかった。勇気をもって自分の恋心を捨て、王子の寝顔に向かい、「王子様、幸せになってください!私は死んで泡になります・・・。」
そして王子に届かぬ恋心を抱いたまま、海に飛び込んだ人魚姫は綺麗な泡となり、優しい姉達に見守られながら、その涙と共に虹に変わった。
結局、人間の世界にも、生まれ故郷である人魚の世界にも戻れなかった人魚姫であった・・・。
ゼーレの眼
異界の人魚姫が人間に恋をしたばかりに、魔女の力を借りて、人間となる。その代償は想定外の幸福だったのか?
海の岩にあたっては散る波しぶきは、まるで人魚姫の涙のように見えただろうか。
遠い日の幼心に焼きついた人魚姫の哀しみは、この世のものではないのに、幼心が成長すると共に深い現実味と後悔をシンクロさせながらわが身に迫ってくる感覚がトゲのように心に刺さる。
想いを遂げるためには、代償として失う大切なものがあることや、その大切さに気づかず無視をして二度と取り戻せないことなど-。恋愛とともに成長しながら幼心の君は、そうした現実の痛みを味わいながら、いつか自分の身に受けるかもしれない、遠い記憶の人魚姫に委託された哀しみと痛みを手探りしながら探知するのである。それは容易なことではない。
子供のときに読んだ時には、それほど厳しくも思わなかったが、「人魚姫」は大人になって、男である私にでさえも、しみじみと哀しい物語だと実感する。
もはや人間となった人魚姫、崖の上から飛び込むことは死を意味する、人魚姫のままであるなら、海に飛び込み、元の世界に戻れるが・・・。
恋愛とはあたかも闇の異界に飛び込むかのような心持になる。
恋愛であれ、失恋であれ、離婚であれ、その過去の抜け殻に、海の明るい潮の砕けるさまを眺めながら、そっと回想する心優しき人魚姫よ!それこそが男女が宿命として異界を行き来しながら、互いに保管する春愁の情であるのだろう・・・。
「過去は咽(むせ)び泣きの領域であり、未来は歌声の世界である」(ビアス)
人は泣くために恋はしない。しかし、涙の止まるひまはない。
さぁ!人魚姫の季節がやってきた。
AEGIS「春の海の人魚姫」からのイメージ。編集・文 栗城利光(SWAN)