切なる恋の心は尊き事神の如し(樋口一葉) By AIGIS ZERO PUM


ゼーレの目目

私の「AEGIS ZERO PUMⅢ The Twilight of the Gods -神々の黄昏-で取り上げた(7 落花流水-Raison(レーゾン) d'etre(デートル)P.52)の冒頭に引用した言葉。

学生の頃に一葉の日記の一部であるこの言葉と出会った。気になり続けたのが「尊き事 神の如し」だった、その「神」とは何なのだ。具体化された、あるいは偶像化された神か。そうではなさそうだ。それであるなら、なぜ切ない恋心を神のようだと言ったのか。

都々逸で「鳴く鶯より、泣かぬ蛍が身を焦がす」。声に出して、口説いたり、告白したりする人より、人知れず恋する人は自ら恋い慕い、それによって身を焦がされる…。ドリームズ・カム・トゥルーの歌「LOVE LOVE LOVE」の先にはこの都々逸が透けて見える。「せめて、夢で逢いたいと願う…」自分で恋に身を焦してしまった以上、自分の涙で消すしかない(もし、DCTの「LOVE LOVE LOVE」をお持ちの方はBGMにかけて、これを読んでくれれば私のイメージは伝わるかもしれない)

 しかし、一葉の文章表現のすごさ、あるいは過酷さと読むと切れるほどシャープな表現はその後の表現に隠されている。「切なる恋の心は 尊き事 神の如し」その後にこう続く「風情うかぶべからず。凡眼みるべからず、歌へども及ばず。描けどもならず」と。凡夫の私には到底理解できない境地に立っている。逆にどういう恋愛をすればこのような表現ができるのか?私の理解を越えている。

 私の学生時代のメモには、「切ない恋はあたかも無限の嗟嘆にも似ている。その思いは自分だけのものであり同じ量の苦悩もまた自分のものである。神とは無限の嗟嘆である。しかし何もおそれることはない、それは自分にしか経験できぬことであるから。切なる恋によって無限の嗟嘆を感じる事は神のように尊い事だと思う。それは奕葉(えきよう)として続く人間の営みで自分自身に問いかける永遠の謎ではないだろうか。」と結んでいる。

 ある程度、年を重ねてきた現在、分かってきたような、いやさっぱりわからないといった趣でもあるが、不愉快ではない。恋愛は理解を越えた、「自分自身にしかできない行動の中に光る宝石宝石赤」のように思えてくる。人真似はまがい物、自分にしか手に入れることのできない「内的宝石」を手に入れ、貧乏と悲恋の生涯それをどう乗り越え、そして作家としていかに表現するかが一葉にとって唯一の居場所であり「地獄の一丁目」だったのではないのだろうか。


関連:「蒟蒻閻魔と一葉」。昨日(7/16)は、やぶ入り・えんま詣りでした。


蒟蒻(こんにゃく)と閻魔様

 人が生まれる瞬間を「生有」という。そして、生きている間を「本有(ホンヌ)」という。次いで、死ぬ瞬間を「死有」という。この死ぬときと再び生まれるときの間の期間を「中有」という。そこでこの4つをまとめて仏教思想では「四有」と呼ぶ。特に中有の長さは四十九日間だといわれている。     

 つまり、四十九日たつと霊魂は生まれ変わるというのである。その中有の四十九日間に、都合7回の裁判が行われる。すなわち七日目ごとに行われる計算になる。これを私達は初七日(ショナノカ)・二七日(フタナノカ)・三七日(ミナノカ)というふうに呼んでいるのだが、七七四十九日(シチシチシジュウクニチ)目の、ということは七回目の裁判をもって全ての裁判を終了することになる。七回の裁判だから都合七人の裁判官がいる。さらにこの七人の他に三人の判事がいて、七回の裁判が公正であったかどうか調べるというのである。その結果十人の裁判官がいることになる。その十人の裁判官の中でもっとも有名なのが閻魔(エンマ)さまだ。多分その名前を知らない人はいないことだろう。俗に嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるという大変恐ろしい、厳しい裁判官に思われているが、実は大変やさしい方だといわれている。そして、亡くなった人の裁判が少しでも有利になるようにと、遺族は初七日の御供養や七七四十九日忌()の供養を重ねて回向のまことを捧げるというわけである。いわゆる追善供養である。そのような裁判が果たしてあるのかどうかは議論の対象には馴染まない。

 そこで東京都文京区に通称:コンニャク閻魔様と呼ばれるお方が、「源覚寺」という浄土宗のお寺にいらっしゃる。最寄り駅は都営三田線「春日駅」白山寄りの出口から徒歩5分のところにある。「こんにゃくえんま通り」という小さい商店街を過ぎると、こじんまんりとしたたたずまいの中、ひっそりとそのお寺はあった。東京大空襲の難を逃れたのだろうか、小さいお寺だが時代の風格を感じる。お寺に向かって左側には銀色の後楽園・東京ドームが見える、なんとも不思議な風景でもある。

 文京区教育委員会の資料によると、その昔、老婆が眼病を患い、閻魔さまに祈願し、その満願の日に眼が治ったというのである。閻魔さまが老婆の夢枕に立たれて「私の両眼のうち、一つをとって汝に授けよう」と申されたというのである。

 以来、老婆は自分の好物であるコンニャクを断って閻魔さまにお供えするようになったところ、それを聞いた人たちで大変賑わったという。その由来はいまでも伝えられていて、1月と7月の各15日と16日に参拝するとお寺さんで蒟蒻を下さり、それを食べて厄落としをするのだというのです。

 これを閻魔詣(えんまもうで)といい、陰暦一月および七月の一六日を閻魔王の斎日(さいにち:藪入に閻魔に参る日)と称し、地獄の釜の蓋が開く日と伝えて、閻魔堂に参詣することを指し、えんままいりともいう、と伝えられています。本像(区指定文化財)は鎌倉時代の作とされています。

 しかし、なぜ、閻魔さまと蒟蒻なのだろうか?有力な説とされるのは、あるとき、「世の中に分からぬものが二つある。それは人の寿命とコンニャクの表裏」という言葉からヒントを得たとされ、つまり、コンニャクの表裏が分からないということは、裏も表もない人間の正直さを閻魔さまが好まれるということが、いつしか表裏のないコンニャクと閻魔さまの結び付きになったのではないかというのである。/end

一葉のまなざし、そして妖艶なお力の佇んだ処お月見

こんにゃくゑんまと一葉とお力

 源覚寺境内(現在:文京区小石川2-23)。『にごりえ』(樋口一葉)の銘酒屋・菊の井のお力が裏通りの暗がりに佇んで物思いにふけるのはこのえんま様の縁日の夜だった。こんにゃくゑんまは源覚寺のえんま王坐像の俗称。例大祭は17月で「えんま祭り」といって、見世物、木馬、サーカスまで境内で興行した。

 ちなみに源覚寺は目にご利益のある寺。(すでに父親、長男ともに死亡)一家の生活費は母と妹の内職でまかなわれたが近眼のせいで針仕事が不得意だった一葉は、小説を書くことで収入の道を開くつもりだった。

<樋口一葉(新潮日本文学アルバム3) P22P77から引用>

余談:

ヨーロッパでは悲しい扱いのコンニャク

ヨーロッパではデビルズタン(悪魔の舌)といわれ、あまり食べない。日常的に食するのは日本だけだ、といわれています。

文:編集 栗城利光