「母の日」スペシャル
「小さいお菓子袋」 些細なことだけど忘れられない思い出
「母の日」が近づくにつれて、甘く切ないことを思い出します。母の日を思う気持ちは人それぞれでしょうか?
小さいお菓子袋
小学校低学年の時、近くに神社があり、お祭りの時、お賽銭を1回50円上げるとアメとか、金平糖、ゼリーとかいろいろなお菓子が入った小さい紙袋を1つ、もらえました。
私は兄弟が多く貧乏だったので、このお祭りは楽しみにしていた行事です。
小学生の私には50円(いまの50円玉ではなく穴が開いてて一回り大きい)とはいえ、私にとって大金でした。
大好きな母と一緒に食べようと思い、母からもらった50円と自分で貯めていた50円とをあわせて、100円。
これでお菓子袋が2つ貰えると思い、喜び勇んで神社に行き、50円玉を2つ入れて、お菓子袋を2つ貰おうとしました。
しかし、賽銭箱の前で番人をしていた、神社のおばあさんがこう言いました。
「だめよ、2つ、もっていっちゃ!1つですよ!!」と怒られました。
私は小さい声で「50円玉を2つ入れました・・・」と。
そしたら、おばあさんは「お金を入れた音が1回しか聞こえなかったわよ・・・」と言いました。
賽銭箱にお賽銭を入れる前に、おばあさんにお金を見せればよかったなぁ・・・。
もはや、証拠がありません。
私はしょぼんとして、お菓子袋をひとつだけ貰って帰ってきました。
母にそのことを説明したら思わず泣いてしまいました
そして、
ひとつのお菓子袋、母と分けて食べました。
母は「おばあさんには聞こえなくても、神社の神様はしっかり見ていたはずよ、気にしなくて良いのよ」。
その、お菓子の味が母の愛だったと思いました
この時期になると、しばし他界した母のことを思い出します。
来月は「母の日」がありますね。
私はもはやプレゼントも親孝行もできませんが、皆さんは、どの様に母の日を過ごされることでしょう。
何も特別なことをしなくても、電話をするだけでも喜んでくれるようです。私の場合もそうでした。
故郷にいる母に、「お母さん、有り難う!」と・・・、ただそれだけで。
あの小さなお菓子のはいった紙袋、
ひとつの袋のお菓子を母と分けて食べた、二度と味わえない切ない味をふと思い出し、かみしめるのも、心のグルメかもしれません。
ゼーレの眼
平和の「和」の禾編は穀物類を指し、横の口はそれを食べる。みんなで等しく食べれば平和なのだ。食べるは「人に良きもの」と書いて「食」とし、お惣菜の「惣」は物に心をこめている。昨年から今年にかけて食も含め様々な「偽装の嵐」に振り回され、中には事故さえ起きた日本。
さらに日本の年間、食品廃棄物(消費期限切れ等含む)は1000万トン、ここ数年間同程度で推移している。その反面、発展途上国に支援される食品は年間400万トンという。
「グルメ」って何だろう