7 瓶詰のエロース
すべての思いも、
切ない恋も、
届けたい夢も、
押さえ切れない感性もみんな瓶詰。
このかたいコルクの栓が僕の愛とその仲間を閉じ込めてしまった。
だれか少し助けてください…。
この瓶のコルクの栓をゆるめて下さい。
この愛のひとかけらでも彼女に届けば本当にいいのに…。
瓶の中ではいろんな事ができる。
君と話をしたり、
どこかへ出かけたり、
ドライブしたり、
遊園地へ行ったり、
しかし、どれもが幻想。
取り乱してしまう心がこの瓶を大きくゆさぶってはこわそうとしている。
自分を守るのか、恋を守るのか、ひとつの選択が心を惑わしている。
この瓶にはいつでも入る事ができる。しかし、出る事はできなくなる。
それが恋というもの。
今なら誰も傷つけずにこの瓶を捨てることができる。
しかし、この両手がしっかりと彼女に愛を込めたこの瓶をつかんで放さない。
僕は君を愛している…。
ゼーレの眼
「バラと呼ぶ花が別の名前だったとしても、そのかぐわしさは同じ」。「ロミオとジュリエット」のヒロインは、恋人が敵方の家名を持つのも何のその、大切なのは名より中身だときっぱり言い放つ。シェークスピアの悲劇「ロミオとジュリエット」で登場人物が言う。(愛し合う二人は)「火と火薬のそれのように、触れ合う時が吹き飛ぶ時だ…。」→「サイボーグ007」にこれをモチーフにしたストーリーがあったような記憶があるぁ。
「恋は甘い花である。それを摘もうとするには恐ろしい崖っぷちに立つ決意をしなければならない」『恋愛論』(スタンダール)。また、「恋は盲目である」ともいう。ローマ神話のキューピッド(クピドとも言う。青年になるとエロース呼ぶ、ビーナスの息子)は弓を携えた少年で、しばしば盲目の姿で描かれるが、シェークスピアは、「恋は目ではなく心で見る、だから翼のついたキューピッドは盲目に描かれる」(『真夏の夜の夢』)と説明している。
恋愛は知るより体験です、その人の知識、メンタリティを含めて精神的内部全部の「生き様」が露出します、よりよい「生き様」を持った異性と出会えるといいですね。それにはまず、自分がいい「生き様」を見つけねばならないと思います。また、恋愛はバラにたとえられ、その様が美しくてもそのトゲでボロボロに傷つく、だからこそスタンダールは「恋をするには崖っぷちに立つ勇気を!」と言ったのかもしれません。もう後はないという覚悟を持つほどの恋愛、私もそんな恋に落ちたいものです。
しかし、恋愛は男女間では自由なのに、子供が出来たとたん女はその宿命的な母という立場に置かれる。そのために仕事をやめ子育てに励み、昔から持っていた夢を放棄しなければならない。確かに「生きるということはいろんなものをあきらめるもの」という。欲しいものを際限なく求め続けると結局何も手に出来ないのと同じように、恋愛は自由な半面、移ろいやすいものなのでしょう。しかし、愛があればそこに子供が出来るというのは真実ですね。
ひとつしかない心の(ファインダー)に、写った恋だから、すぐにも現像したいんだ。
恋はその時の幸せ、結婚は続く幸福。
きれいになる恋愛をしようそうしたらきれいな失恋が来る。いい加減な恋愛からはいい加減な失恋しか来ない。自分をきれいに輝かせたいのなら、きれいになる恋愛をしよう、失恋したとしてもきっと愛してよかったと思えるから。
恋愛なのか依存なのか迷うことがありますか
ただ、淋しいから寄り添いたい、それは依存。
互いに人間性を磨き合う、互いに支え合う関係それが恋愛。
どう見るかはその時の互いの心の内にある。
恋愛と依存は目まぐるしく立ち代わり入れ替わる。
その中でも、「リスペクト(尊敬)」という要素は必要で、尊敬がないと恋慕も依存心も消えてしまいます。
そうならないようにがんばりましょう。