5 マリアとバレンタイン

大人達は今日だけ子供になれるという。

男達は朝からよそよそして落ち着かない。

しかし、そんな事とは無縁としている男もいる。

チョコレートは甘いかも知れないが人生は甘くないから…。

今日が愛の誕生日といったコピーがあった。

それなら愛の終結日は何時にするのだろうか?

人間は自分に都合の良い事は創造の力を借りて作ってきた。

新しいものは古くなり、古いものは消えてゆく。それが真理というもの。

アプロディーテの(ささや)きが男をこうも幼くさせてしまう。

涙の重さで瞳の開けられないマリアに比べれば、あんた達、幸福なんだぜ。

(エロース)が裏切り、(ラブ)が暴力をふるう、友情が枯れはててきたらこう考えるが良い。     

(アカーベ)が人々を潤す。

仮の愛は人々を傷つける。恋が人生を狂わす。

エロースの銀の矢は1本だけで充分なんだと言う男達には、今日あなた達にとって最高の日になりますように…。

マリアが眼を開けた。


ゼーレの眼目

 アプロディーテはビーナスのこと。エロースはビーナスの息子(ギリシャ神話)。いささか時期が過ぎたが、バレンタインデーについては私には専ら楽しかったことより苦しかった思い出が多い。しかし今となっては渋柿が完熟して甘味になるように、私にできた精一杯の恋の結果であった。マリアとは恋人の象徴であり、又私は自分の理性をもそれと重ねている。

 恋は別として愛は二つの次元に分けられるという。まず、簡単にいえば個人の愛情をエロースといい、他に向けられる無償の愛をアカーベという。無償の愛だからあげっぱなし、だから自分の彼女又は彼氏に自分より好きな人ができたらその人に差し上げてしまうのがこれである。博愛ともいう。自分が本当に好きな人が他に好きな人を作ってしまったのなら、その人のもとを行かせてあげるのがアカーベなのである。このことを「マリアが目を開けた。」すなわちアカーベに目覚めたということを込めた究極の意味である。それでもつらかろう、そしたら私の胸で思い切り泣くがいい、子供のように大声を張り上げて、抑えた感情を解放させればいい。それもアカーベである。

あげっぱなしの愛も愛には変わらない。

ダイヤモンドのような愛だ宝石ブルー