*性関係を持つ人たちが、愛し合っているからではなく、単に愉しいひと時を過ごしたいのであれば、何らかの霊的な法則に背くことになりますか。

 

いや、その人たちが自由にそう選択したのであれば、全く問題とならない。ただ魂は、進化すると性関係以上のものを期待し、ただの肉体関係だけでは満ち足りなく虚無感を覚えるものだ。しかも、お互いに性的に惹かれ合っても、魂の類似性がなく内面の気持ちがなければ、単に性関係だけの結びつきでは、しまいには飽きてしまう。そのため、長続きしないことが多い。続いたとしても、二人の絆はとても弱いものなので、不安定な関係となり、いざこざが絶えないことだろう。魂が成長していくにつれ、性関係は、本能という生物的な欲求から、気持ちを表現する手段へと変わる。原始人の性は、基本的に本能的なものであり、好きでもない人と性交しても、まだ感情がほとんど発達していなかったために、空虚感を覚えることもなかった筈だ愛の能力の高い進化した魂ならば、本能を満足させるだけの性関係には、大きな虚無感を覚えるだろう。進化した魂にとっての性的関係は、親密な愛情表現なのだ。性関係を持つ魂が、霊的に似ていて互いに愛し合っている場合には、その深い愛情が、性関係にも反映される。肉体の交歓と共に、お互いの エネルギーが交流し、活力を与え満たし合うのだが、これはアストラル体・メンタル体・霊体が交わることから生じるのだ。それに反して、完全に性的な関係、つまり、性行為に及ぶ男女が双方ともに愛情を感じていない場合は、肉体が満足しても、アストラル体・メンタル体・霊体などの精妙な体の交じわりに欠ける。その結果、虚無感と不満感がもたらされるだろう。進歩した世界では、一緒になろうと魂を奮い立たせるものは、純粋に内面に感じる愛だけで、その他の理由で二人が結びつくことは、極めて稀である。また、そこでは洞察力が非常に発達しているので、地球で良くあるケースのように、外見に惑わされたせいで思っていた通りの人と違って、後で騙されたり失望したりすることがない。

 

 

*性の問題をどう解決できますか。

君たちの性の問題は、その大半が、ほとんどなんの愛情も感じない人と性関係を持つということに由来している。君たちは、まだ肉体の部分しか見ておらず、性の悦びの最たるものは、肉体的に非常に魅力的な人と関係を持つことだと思い込んでいる。大多数の人は感情面を認識しようとはせず、霊的に似ている愛する人と一緒にならない。そのため、愛情がないことから問題が生じる。内面が満たされたと感じられないことが問題なのだ。愛のない性関係を持つことで一番苦しむのは、進化した魂だ。愛情がないことが問題なのだと気づき、気持ちに従って行動すべきだと認める代わりに、同じように愛のない別の人との体験を求め続けたり、セックスを魅力的にしようと色々な要素を加えてみるが、相変わらず虚しいのだ。こうして、感情でしか埋められないものを、物質で埋めようとするので、悪循環に陥るのだ。

 

*それなら、映画で見る関係のように、ロマンチックな愛は、僕たちの世界には不足しているのですか。

この場合は男女の愛のことだが、問題は、愛というものの君たちの概念が、霊的な視点からの愛から歪められていることだ。君たちが誤って「情熱的」な愛とか「ロマンチック」な愛と呼ぶ、強い肉体的な魅力からの関係は少なくはない。それは、花火の光のようで一瞬は強烈だが、その後は完全に消えてしまう。そのため、物的な調味料で感覚を過剰刺激(高価なレストランでのディナー、豪華なプレゼント、五つ星ホテルのスィートルームでの一夜、 楽園のような島でのバカンス)して、なんとか継続させようと無駄な努力をする。そしてこれら全てを、君たちはロマンチックな愛と呼ぶが、実際には、ひと度性欲が満たされるやだんだんと薄れていく、強い性的魅力を指しているに過ぎない。情熱に関しては、多くの場合、愛とは何の関係もなく、誰かを所有したいという満たされぬ欲求であり、我々が執着と呼ぶところの自我が顕現したものだ。人は物ではないので、所有できないし、本人以外の誰にも属さない。愛すことと所有したいこと、愛と執着とを、混同してはならない。はっきりさせておこう誰かを愛すように強いることはできない。愛が自由でないならば、それは愛ではないのだ。感情は強要することができない。感情は提言・操作・強要・命令に従わない。愛されたいのであれば、何の見返りも期待せず、無条件に愛すのだ。そうすれば、いつか、原因-結果の法則が、与えたものをもたらすだろう。