*それらの人生では何をしたのですか?
イエスは君や皆と同じであった。そして、充分に進化を遂げてから、霊的なメッセージを携えてやって来たのだ。
*でも、イエスとしてやって来る以前にも、過去に似たような使命を果たしたのではないですか?彼のしたことが何か記録に残っていないでしょうか?
彼の任務は歴史のどの時代においても、人の魂に刻まれていく霊的な仕事であった。歴史の書物にその記述がなかったり、歪められてしまっていても、それが無駄になってしまったわけではない。なぜなら、霊的な教えに心を掴まれた魂は、その教えを絶対に忘れることがなく、以後の転生でそれを表明していくからだ。
イエスは、さまざまな時代の異なる場所に、愛のメッセージをもたらした。イエスは、この世の諸悪の根源がエゴであることを各時代の人びとに伝える方法を熱心に探し続けた。また、魂の諸法則と霊性進化の行程を人びとが理解できるように、基礎的な霊的な知識をできる限りやさしく伝えることにも力を尽くした。しかしながら、その時代の大部分の人たちは、今の時代とくらべると知性においても感性においても大変劣っていたので、彼の提案した改善案が実施されることはなく、彼が過去の世で認められることもなかった。人びとは、超常現象のように思えたイエスの数々の行いに惹きつけられはしたが、彼が布教した意味深い霊的な教えを汲み取ることはなかった。イエスが特別な存在であることはわかっていたのだが、彼を理解できなかったのだ。彼のことを理解することができたのは、最も身近な僅かな弟子たちだけだった。
それゆえ、同じ仕事を続けていく必要がある。そのため、当時イエスを理解できた者たちが、かつて進化不足のために教えがわからなかった人たちを助けようと、現在、継続して任務を担っているのだ。
*人類が救済されるかはつぎのイエスの転生次第なのですか?それとも、イエスは過去にも転生していたので、また生まれ変わらなくても人類を救うことができるのでしょうか?
「救済」というものを人間が愛に向かう霊的な変革と捉えるのであれば、ある特別な高次の魂の転生いかんにそれが左右されるわけなどない。同時期に大勢の人が変われば集団的に愛の方向へ善い変化を起こせるので、それを「人類の救済」と呼べるが、それは特定の人によるのではなく皆によるのだ。
すでに話したが、霊的に進化するかは、個人が自分自身で決断して行動することによって決まるのである。イエスや他の高次の存在たちに、 進化の劣った人間を成長させる義務を負わしてはならない。進化した魂たちは、自らの手本を示すことで一般人を啓蒙する手助けはできるものの、進化するかどうかは個人的かつ自発的なものなのだ。これに関しては、全能の神でさえも君たちを強いることはない。
*イエスの使命への理解が足りないために、彼が戻ってくれば僕たちの罪業をあがなってもらえると、思い込んだ部分もあるかもしれませんね。
その通りだ。イエスの犠牲によって全人類が救われるのだとしたら、人は善を成すか悪を成すかにかかわらず、また何の徳もなく自分の意に反してまでも、救済されてしまうことになる。地球に高次の霊的な存在たちがやって来るのは、いつも同じ目的のためだ。それは、人類が自ら自覚して成長できるように、その指導をするためなのだ。だが、それをするかどうかは人類にかかっている。
*イエスが十字架上で死んだことと人類の救済とが無関係なのだとしたら、なぜそのような大きな犠牲を払う必要があったのでしょうか?
イエスは殺されるかもしれない危険を冒すことを知っていたが、人類に愛の教えを伝えるためにこの世に生まれ出ることを選んだのだ。しかもイエスは、人生のある時点で見せられたビジョンによって、事態がそのまま進展すれば磔にされて処刑されるとはっきりと知らされ、引き下がる選択も与えられている。高次の霊的な世界では自由意志が完全に尊重されているので、誰にも――たとえそれが自分たちと完璧に似通った存在であっても――何の強制もしない。
*殺されることがわかっていたなら、どうしてそれを避けなかったのですか?これは、あなたが「魂の法則」に反するとする一種の自殺行為に当たりませんか?
殺してほしかったわけではないし、磔にされて死んでみたかったわけでもない、というのが君の質問への答えだ。だが、彼が一個人として勇敢で、どうなろうと最後まで愛の教えを広めるという手本を示したかったので、それを続けることにしたのだ。
すでに言ったが、イエスの功績は十字架にかかって死んだことではなく、神の使者としての任務を果たした果敢さにあるのだ。そうすることで、最終的に殉教か処刑となって甚大な苦痛を被ることを知っていたにもかかわらず、あえてその代償を引き受けたのだ。