*嫉妬心はどう克服するのでしょうか?

嫉妬というのは、愛の感情が存在せず、能動的な執着心しかないことを表している。嫉妬心は、愛の感情がないことを認識し、自分の能動的な執着心を認めることで、克服する。乗り越えるには、相手を所有したいという欲求を放棄し、その人の感情面の自由を尊重せねばならない。真の愛は自由であり、強要できず、自然に湧き起こるものである。二人の結びつきは、関係を維持するための義務や努力を必要とすることなく、この自発的で自由な相互愛の感情に基づいていなければならないのだ。

 

―恨みと恨みつらみ(悔しさゆえの恋愛の逆恨み)について

恨みは、我々に被害を与えたと見なす人に対する敵意として特徴づけられる、エゴ的感情である。人は自己愛や感情が傷つけられたと感じると、自分に痛手を与えた相手を害しても、それが正当化されると思う。相手に損害を与えれば、スッキリすると思うのだ。つまり、仕返しや報復の願望が存在している。

人が恨みに駆られて行動すると、自分に危害を加えた人だけでなく、世の中全体を敵に回す傾向にある。恨みの感情がその人の意志を支配してしまうと、他の人たちから向けられるあらゆる言動の裏に、自分を傷つけるという隠された意図があると思い込んでしまう。恨みがましいは、極度な人間不信になりやすいのだ。

 

恨みの一種に恨みつらみがあるが、別れることを決めたパートナーに対する反感は、このケースにあたる

失恋を根に持つ人は、自分に所属していたものを失ったと考えるので、感情的に傷つけられたと感じ、その喪失を受け容れるのが難しい。別れた相手が苦しむことを願い、苦痛を与える行動をとりやすい。自分を犠牲者だと思い、不幸の原因だと見なす相手を傷つける権利があると思うのだ。つまり、「僕を苦しめた仕返しに、君を苦しめてやる」というのがモットーとなる。

恨みつらみを持つと、犠牲者意識、名誉毀損、裏工作、恐喝、脅迫、強制、攻撃など、復讐に有効な手段はすべて利用する。

そして、暴力や脅迫を行ったり、ありもしない虐待を受けたと告発して、共有していた財産を相手から奪い取ろうと考えるなど、元パートナーに損害を与える行動をとっても正当化できると思い込んでいる。

共通の子どもがいる場合には、子どもを最後の切り札として使い、別れた伴侶と子どもとの関係を阻害しようとしたり、悪いイメージを作り出して子どもと上手くいかないようにする。

元伴侶が新たな関係を築くと―特にそれが当人たちの別れの原因なったと見なされれば―新しい恋人も恨みつらみを抱く人の攻撃の対象となる。

 

*でも、自分のパートナーに捨てられれば、誰でも気分が悪いものではありませんか?

人は破局によって、悲しみ、失望、欲求不満、孤独感、郷愁などを感じるが、そのように辛く感じることと、相手が苦しむのを望んでわざと行動することとは、全く異なることである。

根に持つ人も、愛の感情が貧弱であることの反映だ。真に愛する者は、相手が理解することのできない決断をした時でさえも、絶対に自分の愛する人を傷つける行動をとらない。それが恨みつらみとなってしまうのは、感情における自由を尊重することがまだできていないからだ。感情における自由は、誰と一緒にいたいか、いたくないかを決める権利を各人に与えているのだ。それが尊重できれば、別れることになってもそれほど苦しむことはないし、他の人たちもそれほど苦しめはしない。

 

*恨みつらみは、どう乗り越えたらいいですか?

すべての解決策は同じこと、つまり、執着心の克服と感情面の自由の尊重、に根ざしている。能動的な執着心と嫉妬心のところで言ったことだが、誰も誰にも属さない、ということを認識する必要がある。伴侶に対する所有権などは存在しないので、相手に代わって決断する権利はないし、ましてや、その気がない相手に関係の継続を要求するなどできない。それゆえ、相手に被害を与える行動は、どうしても正当化することができない。

 

―恋愛感情の強迫観念と妄想について

恋愛関係における強迫観念は、目標とした人を獲得、または所有したいという満たされぬ願いを反映している。願望が簡単に叶えられる場合は、それが達成されるや、興味を失う。だが困難であると、それは一種の挑戦となる。欲望は煽られ、満たされないと、強迫観念に変わる。大概の場合、これは当人の本当の気持ちを表してはおらず、性的もしくは愛情面の欲求不満や必要性が投影されたものだ。そのため、強迫観念は現実性に欠いている。

強迫観念は、自己の気紛れを満たすことに没頭して長く暮らしてきた、移り気な人たちに特有なもので、願望が達成されないと、我を見失ってしまう

また、自分の感情を表すことが苦手な自己抑制的な人たちも、恋愛感情の強迫観念になりやすい。願望の対象となる人に魅了され、その人について妄想を抱く。それは現実に則さないものなのだが、願望を強くし、相手を獲得できれば幸せになれるという期待を膨らませる。

 

*説明を聞く限りでは、ドン・キホーテがトボソ村のドゥルシネア嬢に抱く気持ちを思い出しますが。それは、妄想や恋愛感情の強迫観念がいかなるものかを示すいい例だ。

妄想は、気持ちよりも頭を働かせるものなので、自分の考えることが感じていることだと信じ込むに至る。感情をないがしろにしているので、相手も自分を想ってくれているのかは気にかけない。拒否されるのが怖く、それを認める気がないので、正直に行動できない人である場合が多い。

どんな対価を払ってでも、そして必要とあれば相手の意志を無視してでも、願望を抱いた人を獲得するのが目的である。そのため、堂々と自分の意思を伝えることがなく、相手に嫌だと言う機会を与えずに、欲しいものを手に入れるために狡猾に立ち回る。

自分が肉体的に美しい場合は、誘惑すれば相手の意志と感情を曲げることができると思っている。頭がいい場合は、相手の弱みを研究し、その知識を使って、相手を口説いたり褒めたり、欲求や気紛れを満たしてあげて、手に入れようとする。このようなやり方で相手を獲得できない場合、その人の魂が鈍感ならば、恐喝、脅迫、強制、暴力など、相手の自由意志をさらに侵害する手段に訴える。