*自分の夫やパートナーに殺されるのを怖れて、関係を切る決意ができない女性がいることは理解できます。そういう状況の時には、どうするべきなのでしょうか?

その関係を継続すれば、生きながらも死んでいることになる。その人の心の中では、そのように暮らすことは死よりもひどいことである。その試みの中で命を失ったとしても、虐待する者の横暴に屈して一生を棒に振るよりは、幸せになろうと自由を求めて闘った方がよい。

誰にでも自由で幸せになる権利がある。自分自身の人生と感情に関して、自分以上の決定権を持つ者は存在しないのである。

 

*このような虐待の状況から、霊的には何が学べるのでしょうか?

このような試練は大変過酷であるものの、感情の自由のために闘おうとする魂が勇気と一貫性を獲得するのに役に立つ。そして、感情における自由の権利を剥奪することは、人に最大の苦痛と不幸をもたらす原因となるので、誰からも奪ってはならないと気づかせてくれるのだ。

 

*中には、恋愛感情はないけれども、自分のパートナーに一度もひどいことをされたことがないので、別れようとは思わない、と言う人もいますよ。口論もしたこともなければ、暴力を振るわれたこともない、という礼儀をわきまえた関係のことですが、これについてはどうですか?

往々にして、二人の関係を終わらすには、肉体的あるいは精神的な暴力がある、または相手の(麻薬、アルコール、ギャンブルなどの)中毒症により正常な共同生活が台無しにされるなど、正当化し得る不快な原因があるべきだと思われている。

虐待されていなければ関係を切る筋合いはないという意見の人たちは、宗教的な伝統教育を受けていることが多い。そういう教育では、相手の暴力が唯一の離婚の口実として認められるので、双方に夫婦の愛情があるかないかにかかわらず、その関係を一生涯続けるべきだと感じさせら れてしまう。しかしながら、それは違う。別れるには、カップル同志が愛し合っていないだけで充分である。

 

*そう断言することは、結婚の破棄は聖なる法律を破ることだと考えている人たちをびっくりさせると思いますよ。ほとんどの一神教の宗教では―カトリック教会を含みますが―離婚に反対ですよね?多くの宗教は離婚に反対だが、当人の意志に反して関係の継続を強いることは「魂の法則」の中の、「自由意志の法則」に違反することになるのだと言っておこう。

愛がなく空虚なのに、怖れからか、その方が楽だからか、あるいは、離婚すれば婚姻非解消の宗教戒律に違反して神に背いてしまうと信じて、愛情のない夫婦関係を課し続ける人びとが大勢いるのを見ると、大変悲しく思う。結婚を一生続けるように人間に要請するのは神であると多くの人に信じ込ませたせいで、愛のない関係から生まれる苦悩と引き換えに、「天国への切符」を手にすることができると信じる人もいる。

だが、それは違うのだ。自分の感情に従って生きることを放棄した人には、何の霊的進化もない。神が義務付けるのではなく、その人を強要するのは、当人自身か、社会規範か、教わった宗教戒律である。婚姻非解消を要求するのは神でも高次の霊性でもなく、感情までを売買の対象物とする、エゴにどっぷりと浸かった人間の手による法律であることをはっきりさせておかねばならない。

 

*天の戒めでないのなら、婚姻非解消という概念はどこで生まれたのですか?

人間の利己的で物質主義的なメンタリティーは、何もかもに値をつけ、ありとあらゆるものの所有権を決め、それを自分自身の命よりも大事にして、そのために殺したり殺されたりしてする。君たちはべてがり買いできるものと決めつけている。不可能でさえなければ息を吸う空気や太陽の光線でさえも独占し、「これは私のだ!」と主張できるほどの野心を持たない者たちに、目の玉が飛び出るほどの値段で売りつけることだろう。

それと同様に君たちは、個人や意志や感情さえも、お金で買えると思っている。結婚と呼ばれる契約書にサインすることで、ごくふつうの商取引をしていると思っているようだ。それによって、ある者は、人の意志と感情を買い取ったと思い込み、他の者は、契約によって自分の意志や決定能力、自由と感情を伴侶に譲ることを義務付けられていると信じ込む。

この利己的な錯乱の極めつけは、神が契約の証人にされてしまっている点だ。そのため、自分自身や他の人たちの幸せが踏みにじられようが、何が何でも契約を貫かねばならないと思い込むに至った。そうでないと、銀行の借金を払い戻せないと資産を没収されるように、死後にすべての「財産」を剥奪されることになるからだ。言っておくが、これは全部、人間のエゴによってでっち上げられた大嘘である。神は、一人ひとりに感情や思考における完全な自由を与えてくれているので、感じることや考えることの自由のために闘うことは、いかなる天の法則にも背くこととならない。どんな手段や状況であろうと、自由でいる権利や、自分自身の人生や感情に関して決める権利を、君たちから奪える者などいやしない。まして、神の名をその口実にすることなどできやしない。