*それでは、物事が余計複雑になってしまいます。自分の気持ちを分析して、愛の感情と他の要素とを見分けることは簡単ではないと思います。たとえば、性的魅力が愛される必要性や愛する必要性と混ざった場合は、愛と必要性や欲求とを区別するのが難しいことでしょう。
君たちの世界では、大多数の人たちにとって困難であろう。それは、君たちにはまだ愛の感情が明確ではなく、確固たるものがないからである。だが、進化の道程はそのため、言わば、経験したことから学んで本物とそうでないものを見分けるため、にあるのである。
*すべての愛の形が同じとも限らないのではないでしょうか。パートナーのことを大変慈しみ、とても仲がいいのに、セックスの必要性を感じない人もいます。この場合は、どういうことなのでしょうか?兄弟や友達に感じるような兄弟愛を相手に感じているということで、恋愛ではなく、カップルの愛とはいえない。感情を混同しているのだ。
*自分の感じる気持ちがカップルの愛なのかを、どうやって知ることができるのですか?
言い争いやいざこざがなくても、完全には満たされずに、自分たちの関係に何かが足りないと感じる者は、まだ真の愛に巡り合っていない。類魂同志でなければ、カップルが申し分なく親和することはないのだ。二人の親和力のなさは、感情面、精神面、性的な面など、あらゆる分野に表出し、埋めることのできない内面の虚無感を生み出してしまう。
人生において、類魂との愛を経験したことのある者であれば、それを簡単に識別できる。愛する者を思い出しただけで、魂が揺す振られ、満ち足りた気分になれるからだ。
人生でまだその湧き起こる感情を体験していない者には、類魂を見抜くのにも迷いがあるので、霊的な直感を頼りにするしかない。今生での経験がなくても、相似の魂同士の愛の感情が損なわれることはないので、 再び転生して過去の記憶が一時的に失われてしまったとしても、拭い去ることのできない痕跡が魂に刻まれて永続するからだ。
この感傷的な直観力が、真の愛であるか否かを見極めてくれるものである。
*しつこくて申し訳ないですが、兄弟愛と双子の魂との愛をどうして区別しないといけないのでしょう?自分の兄弟や子どもを愛してでは満たされないとでも言うのですか?
自分の相手のことを兄弟のように思い、パートナーとして見ていない者は、それがカップルの愛といえないことをすでに知っているものだ。つまり、子どもか兄弟のように慈しんではいるが性欲を感じない場合や、性的な関係を持っても虚しさを感じたり、その関係に全霊を捧げようとは思えずに終わらせることができる場合、その人の感じている愛は兄弟愛なのだ。
*では、自分がパートナーのことを兄弟のように愛していることに気づいた場合は、どうしたらいいのでしょうか?その関係を続けるべきですか、終わらせるべきですか?
幸せになりたいのであれば、自分自身と相手に対して、自分にある感情に対して正直になって、それに見合う行動をすべきだ。どちらか片方に恋愛感情がないと知りつつカップルの関係を維持することは、当人も幸福ではないし相手も幸せにできないので、無意味である。
たとえば望まない性関係を持つことは、苦しみの原因となるが、相手にとっても欲求不満の元となる。その後味の悪さを避けようとして、セックスをしなくなるのであれば、それは兄弟の関係と、一体どんな違いがあると言えるのだろうか?要は、その人はパートナーのことを自分の兄弟のように愛しているので、兄弟との間柄のような関係になるのである。自分の兄弟とはカップルの関係にはなれないので、カップルとして、その関係を継続することには意味がない。
*パートナーを兄弟のように愛すだけで幸せだし、誰もいないよりはいい、と言う人たちもいると思いますよ。つまり、あるもので満足しているのですが、これは正しい振る舞いでしょうか?
ここで、正しいとか正しくないとかを話してもしょうがない。それより、真に幸福になれるか否かを話した方が良い。そのような状況で諦めてしまって、それで幸せだと思い込んでいる人たちがいるが、実際には違うので、自分を欺いているのだ。