*今度は、知的面での類似性について話してください。

同じ嗜好、趣味、興味を共有する二人の結びつきのことだ。たとえば、同じ社会層、同種の仕事、似たような知的レベル、職業的または物的期待度が同程度、スポーツやパーティ好きなど同じ趣味で楽しめる、などである。

 

*嗜好や趣味を共有して何が悪いのですか?僕はそれはカップルにおいては自然なことで、望ましいことだと思いますが。

嗜好や趣味を共有することは何も悪いことではない。ここで説明しているのは、パートナーを選ぶという決定は知的類似性に基づいてなされてはいけない、ということだ。そうしてしまうと二人は、感情面ではなく、知的面だけで結びついてしまうからだ。

 

*多くの人が、嗜好や関心の類似性はカップルとしての適性に大きく関係していて、適性がありさえすれば愛情も湧いてくると信じていますよ。たとえば、結婚相談所では、お客さんの理想の相手を見つけ出すために、嗜好・興味・願望などの項目の適性テストを行いますが、それは、そうすることで二人の親睦の可能性が増えるだろうと考えてのことです。

そうしても、それは知的な類似性だけのことで、相思相愛になるわけではない。感情というものは確率のことなどわかりはしないし、あらかじめ計画もできない。

各人が頭の中で考える「理想的な相手」という枠組みから外れていとしても、愛情は、湧く時には自然に湧き起こるものである。「理想的な相手」とは、判で押したように、女性にとっては、背が高くハンサムでロマンチックな男性であり、男性にとっては、セクシーで金髪で情熱的な女性である。このようなものは、想像力をかき立てる頭の中の空想であり、愛の感情とは関係ない。もし、愛の感情が確率で決まるのであれば、相似の魂同士が結びつくことなどないであろう。その結合が偶然に起こる可能性はとても低いからである。

知的面での類似性による結びつきは、表面的に上手くいく時期があるのだが、原因を特定するのが難しい内面の虚無感が生じてくる。頭で判断する外部の目には、幸せになるための必要条件が全部揃っているように映るが、幸福になるのに唯一必要となるもの、つまり愛の感情が欠けているのだ。

 

*次は、愛される必要性で一緒になる人たちのことを話しましょう。

これはよく見られる理由である。一般的には、それまでの人生であまり愛してもらえなかったと感じる人たちや、(今生の以前で)自分が体験したと直感しているものの、今生で出会えていない愛を懐かしむ人たちに該当する。

愛されたい欲求が大変強いため、人から関心を持たれてパートナーにしたいと言われると、とても感謝して、自分の感情を顧みずにすぐに承諾してしまう。通常、これらの人たちは自己尊重能力が低く、自分に魅力がないと感じ、誰からも愛されることはないと思っている。幸せになる権利などないと思っているのだ。

これらの人たちの多くが、極度の愛情不足、寄る辺なさ、あるいは肉体的または精神的な虐待の状況など、困難な幼児期を送っている。当人がまだ自分の力で、抑圧的な家庭環境から逃れることができていない場合には、その耐え難い家族関係から解放されるための安全弁として、パートナーとの関係を利用することがある。

 

*ですが、愛される必要を感じることの何が悪いのですか?それは自然な感情で、すべての人につきものだと思いますし、愛されたいと願わない人はいないと思いますよ。

愛されたいと願うこと自体は悪いことではない。確かにそれは、すべての魂にとってふつうのことであるし、幸福になるための鍵が愛にあると自覚していることになるので、ある程度の進化レベルにいることの証拠でもある。

問題は、その愛される必要性が強烈であると、自暴自棄や情緒的に盲目になって、心の空洞を埋めてくれる人を早急に見つけたいという焦感が生まれることだ。そうなると相手を選び急いでしまい、愛情が芽生える人ではなく、その場の誰をも自分のパートナーとして受け入れてしまう。また、愛情不足だと、情緒的に盲目となって、パートナーをありのままに見ることができない。その人を愛せる期待感から、相手を理想化してしまうことになる。

 

こういう人たちの関係も、通常は支配関係や従属関係となりやすい。このような人たちの多くが息詰まる家族関係から逃れて、カップルとなった者たちだ。自己主張の強い支配的なパートナーに当たった場合には、従順になりやすく、相手に指図され卑しめられても容認してしまう。

当人の情緒的な盲目、明晰さの欠如、逃避願望などが、以前の暮らしよりもひどいことはあり得ないと信じさせ、未知なるものを選ばせる。だが、新しい生活も、捨て去ろうとしたものと同じかそれ以下という結果となる。そして、より良いものを知らないためにその状況ですら正常であると許容し、元の家庭においてと同様の服従の役を担ってしまうことになるのだ。

 

時には、多少なりとも原因を知った上で、パートナーを選ぶこともある。それまでの経験と正反対の性格を持った人、つまり優しく、穏やかで、寛容で心が温かく、自分を大事にしてくれるとわかる人を求める。この場合にはその関係は、父と子または母と子といった関係になり、両親から与えてもらえなかった愛情を相手に求めるので、伴侶はパートナーというよりむしろ保護者の役目を果たす。

苦痛な家族関係から救われた人は、苦しい状況から助け出して守ってくれた相手に感謝し、借りがあるように感じるので、何とかしてその償いをしようとする。そして、その謝恩の感情がカップルの愛だと自分に思い込ませるに至るので、相互依存的な関係ができるのだ。

 

*この最後のケースでは、少なくとも幸せな結末を迎えますね。

苦悩は少なくはなるが、相思相愛ではないので、このケースも幸福ではない。少なくとも一方には、ありがたく思う気持ちしかないので、それでは二人とも幸せにはなれない。一人は愛していないことで不幸であり、もう一人は愛されていないから不幸である。