*カトリック教会を含む大半の宗教では、同性愛は悪いもので、その尋常ではない性的指向を放棄せよ、との見解です。異性愛の関係を持つことすら奨励しますが、あなたはどうお考えですか?

同性愛者が、ただ外見を繕うために、異性愛者でもないのにそうなろうとするのには意味がない。自分が同性愛であることを認めなかったり抑圧したりしても、何もいいことがないからだ。そうすることで当人が不幸になるだろうし、選ばれた相手にとっても不幸だろう。自然でないことを無理強いできはしないのだ。

同性愛者は、誰もがそうであるように、ありのままの自分を受け容れて当人自身でいる必要があるし、そのままで幸福を探し求めなければならない。同性愛者であるという状況は、悪いことではない。全くその逆で、その魂にとっては、自由意志と感情における自由の大切さを認識できる、進化の一助となるものだ。

人は、本来の自分と違う人になることや嫌いな生活を強いられると、苦しむものである。それが、その人の試練となる。社会の無理解と拒絶にもかかわらず、自分自身になるために闘うのだ。本当の自分になるのが困難であると、自由意志の尊重をとても大事にする。そして、他者を強要することは苦痛の主たる原因となるので、何があってもすべきではないと気づき始める。 同性愛と性同一性障害は、虚栄心との関係が深いとつけ加えておこう。虚栄心を克服しない限り、このような状況はなくならないだろう。

 

*双子の魂の話に戻りましょう。カップルとしての幸せが双子の魂の結びつきによるのであれば、今生でカップルとして一緒になれない環境―たとえば血縁関係にあるなどの―を選ぶことは、矛盾していませんか?

時折、自分に一番よく似た存在がそばにいてくれることを確約する手段として、血縁関係を選ぶことがある。通常、血の繫がりがないと、相似する二人が一緒になる際の物的な障害が多く、一緒になるのが望ましても、大半はそうはならない。こういう場合は、最善の状況ではないものの、確実な方法をとるのだ。

 

*パートナーがいる大半の人たちが、自分の双子の魂とカップルになっていないということですか?

もう、そう言っただろうに。相似の魂と結びついている地上のカップルは、両手の指で数えられるほどだ。もっとも、もちろんのことだが、それが自分のケース、つまり類魂同士の結合ではない、と認める人はほとんどいないがね。

 

*一体誰が自分の双子の魂なのだろう、と疑問を持つ人たちもいると思います。簡単なことではないと思いますが、どのように自分の双子の魂を識別するのですか?

君たちが自分の感情に従って行動し、愛する場合にもっと大きな自由が君たちの世界にあれば、より容易になるだろう。だが、そうなっていないので、可能であり得たことが複雑なことになってしまったのだ。

 

*肉体を持って生きている時に、双子の魂同士がカップルになるのを妨げてしまう障害とは、どのようなものですか?

それも、もう話したろう。君たちの惑星の人間はまだすっかりエゴに浸りきっていて、愛の能力もあまり発達していないので、相手を選ぶ場合に、愛の感情よりも他の要素を優先してしまうのだ。生まれ出る前に、相似の魂同士がカップルになる約束をしていたとしても、転生すると別の人たちとくっついてしまうのが一般的である。

 

*そうなってしまう要因は何でしょうか?言い換えると、なぜ、愛のない結びつきが起こってしまうのですか?

肉体的な魅力に惹かれる場合、物的または精神的な便宜、二人の知的面での類似性、愛される必要性や愛する必要性など、いろいろな要因がある。