*でも、愛する人のためには、時にはある物事を断念することが必要だ、というのも正しいのではないでしょうか?
それは、断念という言葉が君たちにとって何を意味するのか、ということによる。愛のためにエゴを放棄することは善いことである。だが、愛によって愛を放棄するのには意味がない。
*あなたの言われることがよくわかりません。わかりやすく例を挙げてくださいませんか?
子どもを持とうか考えている夫婦を想像してごらん。この二人には子どもを持つということが、物的な気紛れを放棄したりレジャーに費やす時間を断念することに思われる。今後は子どもの扶養にお金がかかるし、時間も割かれるからだ。
彼らがこの状況を自己犠牲的に感じるのは、愛よりもエゴが勝ってしまっているために、物の所有や安楽さを重視してしまい、愛情を大事にできないからだ。だが、自分たちの子どもへの愛によって、気紛れを減らせれば、失うものはエゴであるので、彼らにとっては良いことになる。
これと全く違うのは、別の男性を愛しているのに、ある男性との間に子どもがいるために、その子のために愛してもいない人と我慢して一緒に暮らして、人生を犠牲にしてしまう女性の場合だ。このケースが、間違って、愛によって愛を放棄してしまっているのだ。なぜなら、自分が我慢すれば、子どもがもっと幸せでいられると思い込んでしまっていて、自分の自由な感情を棄ててしまっているからだ。
*今お話しくださったようなケースでは、事情の違うありとあらゆる状況があり得るのだろうと考えさせられます。それらのすべてを鮮明に検証して、愛とエゴとを混同することなく、それぞれの場合でどう対処すべきなのかを知るのは難しいだろうと思います。
あなたは、夫婦の関係について、それから子どもとの関係について話されました。個人的な人間関係で生まれるこのような状況を詳しく分析してみることは、特に僕にとって、そして皆にとって有益だと思います。
なぜなら、これはほぼ全員に関係していることですが、明晰な霊的意識でどう対処すべきなのかがわからないので、多くの人が悩んでいると思うのです。これだけで本が一冊書けそうですね。
そのようなことをはっきりさせようとして、今話しているのだよ。確かに人間の感情的な苦悩の大半が、パートナーとの関係や家族関係(親子間、兄弟間など)といった個人的な人間関係と結びついている。だから、人間関係を集中的に取り扱ってみるのはいいことだ。では、どこから始めるとするかね?
*選べるのでしたら、パートナーとの関係からにしたいです。
それなら、始めたまえ。質問を注意深く聞いているから。