*でも信者であれば、福音書には“イエスはラサロを蘇らせラサロはそのでしばらく生き永らえたと書いてある」、と言うことでしょう。これは、「肉体の蘇生」を証明するものではありませんか。

イエスはラサロを蘇らせたのではなく、ラサロが実際にはまだ死んでいなかったのだ。本当のところ、イエスは彼の意識を蘇らせたのであり、これは君たちにとっては何の不思議でもない。

今日では心肺蘇生の技術で、臨床的に死んだと見なされる人を医師が「蘇らせる」ことが可能だ。遺体安置所に何時間も放置された後で、死んだと思われていた人が突然目を覚まして生き返った、という特異なケースを耳にしたことがないのかい?

それというのも、心肺停止が起こっても、一瞬で肉体から離れる訳ではないのだ。そうでなければ、心臓蘇生など不可能だろう。

魂の離脱のプロセスは、物質への執着心や肉体自体の生命力によって、ある程度の時間を要するものだが、銀の臍の緒が完全に切れるまでには、最低二・三日はかかるものだ。イエスがエネルギーの力でラサロを蘇生させたとしたら、それは単に、ラサロが肉体との分離プロセスをまだ完了していなかったからで、現在の医師と同じように、彼を生き返らすことができたのである。

 

*でも、イエスの死後三日目に親族たちが墓に行くと、彼の体がなくなっていたではありませんか。

君たちの場合はそうはならないが、イエスのケースは特別で、魂が肉体との最後の絆を断ち切ると、非常に振動の強いアストラル体が分離したために、肉体が瞬時のうちに分解し、それで遺体が墓の中で見つからなかったのだ。この解体の工程が、遺体を覆っていた布に、体跡を残すこととなった。だから、遺体が墓の中になかったからとって、イエスが生存中と同じ肉体で生き続けたということにはならない。

 

*でしたら、聖骸布とそこに見出された姿形は本物なのですか。

そういうことだ。

 

*ではなぜ、炭素14法年代測定の結果がその時代と一致しないのですか。

その件に関して言えるのは、年代測定の手順において不確かなことを確実視してしまっていて、それで年代が一致しない、ということだけだ。でもこれでは、話が脱線してしまう。聖骸布が本当に、死後にイエスの肉体を覆った布であったか否かというのは、彼の肉体が皆のように時間をかけてゆっくり分解または腐敗したかどうかということのように、たちが話していることとは関係がないのだ。これらは、イエスを受胎した時に聖母マリアが処女であったかどうかということのように、霊的な教えとは無関係だ。

君たちは奇異に思える出来事は良く覚えているが、それらは霊的な観点からは実のないもので、イエスが布教した真に重要なことに意識を向けるのを忘れてしまったのだ。

 

*では、イエスはどのようにして使徒の前に現れたのですか。

死後、本当に彼らの前に出現したのだとしたらですが。死後、一緒に暮らした使徒や他の人たちの前に現れた時には、生存中に使用した肉体を伴ったのではなく、アストラル体で顕れたのだ。多くの死者が、亡くなった場所やお棺の中に動かない肉体を置いたまま、愛する人の枕元にお別れをしに顕れるのと同じだ。

というのも、アストラル体は特別な状況下では「凝縮する」のであり、肉体とほとんど同じ形に固まることも可能なのだ。しかも、イエスのような能力を持つ魂を相手にした場合にはなお更なのだが、これは、君たちが「超常現象」と呼び、多くの研究家に知られる現象だ。

 

*「最後の時には死者が復活する」という類の予言は、何か意味があるのですか。

すでに亡くなった人の魂は、転生によって絶えず物界に戻って来ているのだ。つまり、復活するために「最後の時」と呼ばれるような時代を待ちはしないのだ。人類が物的な惑星に存在する以上、魂の輪廻転生というプロセスは絶え作動し続けるだろう。

ただ、本当に言えることは、現在は人口爆発により、歴史上の他の時代よりも大量の魂が同時に生まれ変わっているということだ。こうしてサイクルの終了時に合わせて、こうした魂も進化の最も重要な時期に転生する機会を得るのだ。これが「最後の時には死者が復活する」という一文を解釈し得る唯一のものだ。

 

*それでは、原罪に対する信仰はどうですか。つまり、人類の先祖だとされる者(アダムとエバ)が罪を犯したので、子孫がその行為の結果を償わねばならないということですが。

それについては、例を示して答えるとしよう。

ある男が銀行を襲い、逃亡時に車にはねられ死亡したとしよう。彼を裁くことが不可能なので、裁判官が強盗犯の息子に父親の罪を償わせる決断をし、親の代わりに監獄に入れようとしたとする。君たちは、このような決断を下した裁判官を公平だと見なすのだろうか?

 

*もちろん公平だとは思いませんよ。それに、文明化した国ならどこの裁判所だって、そんな決断はしないと思いますよ。

人間の正義観から見て、父親の罪を息子に着せるのが異常なのなら、どうして神の裁きが人間のもの以下になり得るのだろうか?

霊界では、各自が自分の行為に責任を取らねばならず、他者のしたことには問われない。したがって、原罪や先祖から「継承した」罪など信念は不公正なもので、何の根拠も存在しない。

 

*それでは、先祖から受け継いだ罪という信念は、何に基づいているのですか。

確かなことは、各人が自身の行為に責任を取らねばならないことで、それは過去生のものであるかもしれないので、先祖の中に過去に転生していた自分自身がいた可能性はある。

これが、そのような信念を正しく解釈し得る唯一のもので、転生の存在を認めることで、初めて理解することができる。