*イエスは、進化を続けるために、肉体に宿って十字架上で死ぬ必要があったのでしょうか。

いや、すでに何のカルマも負債も背負っていなかったので、その必要はなかった。あれほど酷な最期を迎える必要もなく、自己進化を継続で きたであろう。だが、それがどんな影響をもたらすかを知っていたので、好んでそうしたのだ。

イエスが偉大なのは、カトリック教会があれほど強調してきたように、十字架にかかって死んだことではない。もしもそれがイエスの功績なのだとしたら、その時代にはそれが罪人の処刑法だったので、同じ形で死んだ何十万人の人びとにも、功績を認めなければならないだろう。

イエスの最大の功績は、携えてきた愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを知っていたにも関わらず、誰の脅しにも屈せず、自分の考えを変えることがなかった。

 

*では、何のためにそうしたのですか。

後進の同胞への愛のためだ。イエスのように無条件の愛を知った魂は、償いの必要性のためではなく、遂行せねばならぬ任務のために行動するのだ。通常それは、どのように愛をもって生きるかの手本を示すことと関係している。

魂は、ある段階からは、愛だけを動機として行動する。多くの魂が、発展の遅れた世界への転生を希望し、後輩を支援して愛に生きることで、もっと速く幸福に到達できるようにする。

この場合に遭遇するネガティブな状況は、贖罪のためではなく、霊的に劣った世界自体に元来備わっているものだ。だが彼らは、苦痛も死も怖れていないので、そのような苦悩を味わうことや殺されることすらわない。高次に進化しているので、死が存在しないことを知っており、肉体の命は魂の命のほんの一瞬に過ぎない、と分かっているのだ。

 

*では、劣った世界に転生する高次の魂が、学ぶためにではなく、教えるためにだけやって来るのだとしたら、その人生では余り進化できないのでしょうね。

いや、そうではなく、人生のいかなる試練からも学び取ることができるので、教えるためだけではなく学ぶためにもやって来るのだ。そして、自己の愛と理解の度量を常に試されることになるので、自分と同等レベルの世界にいるよりも、速く進化できるようになるのだ。

さらに、愛に満ちた環境では露呈せず、極限状況でなければ表面化しないような、奥深く隠れた自分の欠点を浮き立たせてくれる。こうして、欠点を改善する機会が得られるので、我欲を除去する面で前進できるのだ。

 

*イエスの話に戻りますが、彼はどこからも援助を受けずに、独りで仕事をしたのですか。

人が愛に突き動かされて尽くす時には、さらに進化した霊的存在からの影響を受けるにふさわしくなる。イエスの場合は、その中でもロゴス・キリストに影響された。

 

*ロゴス・キリストとは誰ですか。

君たちの惑星の進化の最高責任者となる霊的な存在だ。

 

*でしたら、聖なる三位一体の三人とは、神とキリストとイエスなのですか。

それは分からない。そう言い出した人たちでさえ、それが何を意味しているのか知りはしないと思うからだ。

断言できるのは、神が唯一であることと、キリストとイエスが、神とは異なる別々の存在であることだ。それゆえ、彼らは神でも神の顕現でもないが、御心と調和しているので、神の代理人とか神の使者、などと捉えることは可能だろう。つまり、彼らは「愛の法則」を遵守する者で、進化の計画に自主的に参加しているのだ。

 

*キリストはイエスを通してどのように行動したのですか。

イエスはある時点から人生の最後の数年間は、ロゴス・キリストにインスピレーションを与えられ、励まされて、行動した。実際、イエスが任務を完了できるためには、その必要があったのだ。

 

*でしたら、話していたのはイエスですか、それともキリストですか。

二人で行動していたと言っておこう。キリストから閃きを与えられて、イエスが話していたのだ。だが、イエスは決して自分の意識や個別性を失わなかったし、自由意志を失いもしなかった。