*自尊心についてに戻りますが、自尊の段階を超えた魂は、どんな進歩を遂げたことになるのですか。
・魂はもっと自信に満ち、自分の感情を自覚し、幸せに生きるためには気持ちに従って生きねばならない ことを認識している。
・自分をありのままに見せることを、以前ほど恐れない。そのため、以前より打ち解け、明るく、自然で 自由で、感情の防壁が少ない。
・自分の内にこもらなくなり、感謝をされなくても気にしなくなる。
・他人に、より共感できるようになる。
・ご機嫌取りに過大な努力を払わない、つまり、人の思い通りにされることが少なくなり、簡単に言いな りにならないので、恨みや怒りを覚えることも減る。
・愛しても見返りを期待しなくなる。
・心を開いて自分に向けられる他者の愛を感じ取り、心を許して自分の愛を他者に与える。
・否定的な状況にあまり影響されなくなり、以前より受け容れることができる。
・肯定的なことをもっと楽しめるようになる。
*自尊から次の尊大への移行を決定づけ、両者を別々の段階とするものは何ですか。
自尊心の強い者は、愛を与え受け取る能力があるのに、傷つくのを恐れるがためにその両方を抑制し、自分の周りに無感情という鎧を作ってしまう。この無感情という鎧が、気位なのだ。
この鎧をほぼ完全に消滅できることが、次の段階への移行となる目印だ。
*無条件の愛への道のりの最終工程に到着しつつあるようですね。
まだそうではないのだ。
魂が自分の抑圧や恐れから充分に解放され、感謝されないなどの否定的な態度を受容できるようになったとしても、その工程を完全に克服できたことにはならない。自尊心を乗り越えた魂はまだ、自尊心が進化したもっと巧妙な自我の形態である尊大を克服する必要がある。
*尊大というものが何で、どういう特徴があるのか説明して下さい。
尊大とは謙虚さに欠けることで、君たちが誤って「自己愛」と呼ぶものが過剰にあることだ。
この段階の魂に残された二つの克服すべき主要課題は、謙虚でないことと、執着、つまり愛する者の愛を分かち合うのが困難なことだ。
尊大な者は自信に満ち、他者を必要とせず、全てにおいて自己自足的である。
他者を助ける気はあるが、助けを求めるのは弱さの証拠だと思う欠点があるので、本当に助けを必要としていても自分では援助を頼むことが滅多にない。そして、他者を優先してしまう。
自分の必要性や弱さや欠点、気落ちしていることなどを隠しがちで、「どうしたの?何かできることはない?」と聞かれることがないように、誰にも気づかれないようにする。そして気づかれると神経質になり、自分が自己充足できていないことを認められずに、腹を立てる。つまり、不信感・怒り・傲慢が表面化するのだ。
尊大な者は自尊心の強い者よりも感化されにくく、忘恩で報われても傷つくことも少ないのだが、中傷されたり裏切られたと感じると、自分の計画通りにいかなかった時のように、怒りと傲慢が頭をもたげてくる。
たとえば、理解して助けてあげようとしている者から軽蔑されたりバカにされたりすると、怒りと高慢が目覚め、「俺が誰なのか分かってる のか」とか「よくそんな真似ができるな」、「そんな口を叩くなんて、一体何様のつもりだ?」などと返答をする場合がある。
謙虚になれず、感謝されないことや侮辱を受容できない場合には、他者を種別して偏見を持ったり、接し方を変えたりする。自分のエゴを自覚し克服できなければ、助けて欲しいと近づいてくる人がいても、不信感に支配されてしまう。自分の偏見で特定の人が苦手になり、それぞれの必要性に応じて公正に平等に援助するのではなく、各人への不信感・恐れ・不得手の程度で判断することとなる。
尊大な者は独りでも平気だと思っているが、認め難くても実際には皆と同様に、幸せになるためには、愛し愛されていると感じる必要がある。
そのため、感情面で自信がなくなると、独りで大丈夫だという外づらが崩れてしまう。確信していた愛を失う恐れは、不信感を募らせ、悲しませ、絶望的で無気力にする。こうなるのは、まだ執着心に苦しんでいるからで、愛する者の愛を共有するのが困難なためだ。
*僕には、ごく普通の反応に思えますよ。愛する者の愛を失うのが怖いのは、皆に共通することではないですか。
無条件の愛の経験に至っていたなら、本物の愛は絶対に失われないと知っているので執着で苦しむこともないし、何も怖いものがないだろう。
*ではどうやって、尊大の段階を超えるのですか。
くりかえしになるが、愛して理解し、欠点のままに行動するのを避けるのだ。
魂が謙虚さを増し執着をなくすにつれて、傲慢も少なくなるだろう。この二つの資質は、見返りを期待せずに他者を心から助けるという、隣人愛の実践を通して発展するのだ。
尊大な者が、失望や屈辱を味わうことを怖れて、自分が与えることのできる援助を惜しめば、欠点を増長させることになり、停滞してしまうだろう。だが、自分の怖れや偏見を克服し、気持ちに従って行動すれば、進歩できるだろう。
*進化の視点からは何が我欲の起源ですか。つまり、魂の進化のどの時点で、エゴが生まれるのですか。利己主義は動物的な生存本能の延長であり、魂が自分自身で決断し、自由意志で経験し始める時点で出現する。
進化が人間の段階に達した魂は、自由意志の力を発揮し始めたばかりだ。知能は基本的に発達しているものの、感情面がほとんど発達してい ないため、本能に影響されて決断することが多く、その中でも生存本能に支配されている。その状態から、感情の学習を通して、自分の意志で決めながら独自の道を模索するという、本能から完全に独立した進化を遂げていくのだ。
*もう少し詳しく答えていただけますか。まだ理解できないのです。
もちろんだ。魂が獲得したばかりの自由意志を行使し始める時は、本能に基づいて行うが、本能は、動物界での進化段階で「魂の原型」が培った知識を集めた生物的プログラムの一種であり、人間の独立意志が発展する元となるものである。
本能は欠陥を補う仕組みであり、まだ自分自身で決定することのできない諸問題に関して、自動的に決断を下してくれるプログラムである。それは自動操縦装置のように、操縦できなくても進路を修正してくれるのであり、まだ機体の舵取りを学んでいる段階でも、衝突せずに運転することを可能にしてくれる。
本能の中には、どんなに過酷な状況下であろうと、肉体の死を避ける手段を探すように転生した魂を駆り立てるプログラム、とも言える生存本能と、種の存続には欠かせない生殖本能とがある。
しかし魂は、同時に、初めての感情的な欲求を満たさねばという未知なる衝動も感じるので、満足はできない。だが、感情について無知であるため、これまで通りに本能を過大に満足させていればいいと思い込み、他の存在に与える害悪は考えずに知能をそのために使用する。