*霊性がさらに進化している世界は、高次の霊性というものを示すために、どうして人を送って来てくれないのですか。
そうしたいと思ってはいるだろうが、何度とくりかえしているように、君たちの自由意志に干渉できないのだ。
進化した物質界の人は、進歩の劣る世界側の合意と同意がなければ、その世界の発展に、集団として干渉できない。そこで、目立たない方法で、軍隊を上陸させたりもせずに、高次の人が地球に転生して手本を示すことで、援助をするのだ。そうすれば、その高度なテクノロジーの魔法に眩惑されることなく、感じ方や考え方の共似性によって、彼らの教えを取り入れてもらえるからだ。
テクノロジーで圧倒するケースは、「自由意志の法則」を尊重しない文明なので、国民は高度な文明に依存してしまい、破壊的な結果がもたらされるだろう。自主努力の成果でないものは簡単に忘れられてしまうので、達成できたと思われた革新も、彼らが立ち去ればたちまち元の木阿弥となってしまうのだ。
それに君たちは、現在は肉体を持たないガイド役や霊界の親しい者たちから、精妙な方法で、常に支援を受けている。援助を受けるために、どのように霊界とコンタクトしたら良いかは、もう充分話したろう。助けられるためには、助けが欲しいと願う必要があるのだ。なぜなら、孤独で世間からの孤立を願う者や、進化を望まない者には、その願いが尊重されるからだ。
愛における進化を、誰にも強制することはできない。自分の意志で進化しようと決意しなければ無駄であるし、おまけに、「自由意志の法則」に違反することになる。
*もっと大きな災いを避けたり、平和や民主主義を守るためには仕方がない、と戦争を正当化する人たちがいますが、これに関してはどう思われますか。
もし本当に平和や自由を愛するならば、自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。目的に対して手段が矛盾するのであれば、その人は嘘つきか偽善者なのだ。
手段は求める目的と合致しているべきで、目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。戦争によって平和は実現できないし、強制によって自由を得たり、不正によって正義を得ることも不可能だ。
*でも、大部分の人びとは平和に暮らすことを望んでいるのに、一部の権力者たちが戦争を決定してしまうではありませんか。
それなら、なぜ君たちが望むことと反対のことをする者に権力を渡すのか?
君たちの世界の腹黒い支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、銃を取る者も他者に強要する者も誰一人おらず、武器を製造する者もいないとしたら、彼らがいかに邪悪であろうと、何できない筈だ。
しかし、もしそれが可能だとするなら、それは君たちのエゴがそそのかされてしまうからだ。自分は他の者たちの殉教者だと納得させられてしまうから、羊は屠殺所に連れて行かれてしまうのだ。だからこれは、自分が同類の命を奪う権利があると信じて、他者も自分の命を奪ってもいいのだ、と納得させられてしまう者の問題なのだ。
*もし誰かが襲われて、自己防衛で加害者を殺してしまったとしたらどうですか。また、これは例ですが、子どもたちに危害を加える者がいて、加害者を殺さなければ子どもが守れない、としたらどうでしょう。
いいかね、霊的世界では、出来事自体はそれほど重要ではなく、その時の意図が重要なのだ。
殺されるのを回避しようとしただけで、相手を殺すつもりのなかった者を、最初から殺意を抱いていた者と、同じように裁くことはできない。当人は、大きな損害を与えることなく被害を避けようと、できる限り努めるだろう。
しかし、これは戦争に行く人たちのケースではない。人が戦争に赴く時には、いつかは他の人間を殺したり、自分が死ぬ羽目になると、完全に自覚している。
神を信じる「愛の法則」の信奉者ならば、敵軍に転生した自分の兄弟を殺害に行くために、絶対に自ら進んで入隊などしない。殺人を正当化し得るほど高尚な理念や信仰は、何一つ存在しないからだ。
*でも、多くの人びとが意に反して徴兵されて、前線に赴くように強要されていることも、確かではありませんか。これについては、どうでしょうか。
当事者の魂にとっては、進退窮まることなので、かなり大きな試練であろう。しかし、このような状況は偶然ではない、と知るべきである。このような試され方をされる者は、おそらく前世では、他者を同じ状況に誘導したのであろう。
これは、愛に賛同する自分の信念が試される、大変厳しい試練である。
殺して殺人者になり果てるか、敵軍に拷問されたり傷つけられるか、造反者や裏切り者のレッテルを貼られ「友達」だった自分の一味から投獄・拷問されさらには死刑にされるか、を選択しなければならない。これらの選択には情状酌量の余地があるが、死ぬか殺すかの戦争に行くように他者を強要した者の責任はもっと重く、重責だとされる。
君たちの世界では、命を危険にさらして敵軍の兵隊を殺した兵士は、勇者である。一方、一人の敵兵も殺さないで済むよう自分の命をさらした者は、臆病者とされる。
しかしながら、霊的世界では、それが正反対となる。勇敢なのは、殺人に反対する平和主義者であり、造反者であり、裏切り者であり、兵役忌避者である。見知らぬ、おそらく別の信仰やイデオロギーを持つ者の命を守るために、死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を危険にさらすので、勇者なのだ。他方、どちらかの軍に自分が一番初めに殺されることを怖れて、他者の命を奪うために自分の命を冒す者は、勇者からはほど遠いのだ。
いずれの場合にせよ、どちらを選ぶかを決めるのは魂だ。兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、霊界で報酬を授かるのか。それとも、戦争のヒーローとして地上で報われるが、兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。